たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

子どもの頃の「居場所」~楽しかった夏の思い出とともに考える~

こんにちは。

 

唐突ですが、皆さんには自分の居場所ってありますか?

自宅や職場、通勤電車の中や車の運転席などなど。

そんな居場所の中で、そこにいるとワクワクするような楽しくなってくるような、はたまた心が安らぐような「居場所」って、どれくらいありますか?

正直今の自分の場合はトイレの中だけです(笑)。

 

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自分の小さい頃の「居場所」

自分の力で小さい頃を思い出してみると、狭い子どもの世界ながら「居場所」はいっぱいあったような気がします。

勉強は好きじゃなくて、しょっちゅう親や先生に怒られていたけど、それでも兄弟や仲間がいた自宅や学校は「居場所」でした。少し電車で行ったところにおばあちゃんの家があり、親の帰りが遅いときはそこでのんびりすることもありました。もちろん、「居場所」です。

近くに空き地があり、そこに行けば誰かしらいました。プラバットとゴムボールでしょっちゅう野球をやっていたし、そこでは上級生に変化球の握り方を教えてもらい、下級生にベース1周を早く走り抜けるコツを教えたりしていました。年の差や学年が違うからなんて関係ありませんでした。

家にいても、すぐにテレビをつけるなんてことはしませんでした。垣根越しい隣の家で、家族でスイカを食べているのが見えると、向こうもこっちに気づいてくれて、「一緒に食べよう」なんて誘ってくれることもしばしば。結構仲良かったので、何気なく垣根越しに除いては、1つ学年が下の隣の子が縁側で暇そうにしていると、誘って自分の弟と一緒に近くの大学跡地の池にザリガニを採りに行ったりしました。

空き地も隣の家も、そしてザリガニを採りにいった池も自分にとっては「居場所」でした。

今はどれもありません。

おばさんに怒られた夏の思い出

俗に言う悪ガキだったので、同じクラスの仲間と悪いことをしては近所のおばさんに怒られることもありました。

商店街の夏の夜店で水鉄砲をゲットして、ある学校が終わってみんなで集まったときに打ち合いになりました。夏の日照りが厳しいときだったので、かけられる水が冷たくて気持ちよく、そのうちにエスカレートして気づいたらみんなびしょ濡れでした。

そこで終わらないのが悪ガキたる所以で、びしょ濡れになったことでタガがはずれたのか、そこからなんでもありの状態に。それぞれが自分の家に駆け込むと、洗面器やらバケツやら持ってきて、蛇口の栓を思い切り捻って満杯にし、お互いかけあうことに。誰かが、生ごみ用の1mくらいある青色のゴミバケツに満杯にいれてひっくり返したときは、道の真ん中にも関わらず大変なことになり、仲間6人でゲラゲラ笑いながらビチョビチョになっていました。道行く人は、その洪水を避けるように歩いたり、中には来た道を引き返す人もいたような。

そのうちに誰かが(自分ではないと思うが、記憶は確かではない)、近所のおばさんの家の庭に干してあった洗濯物に思い切り水をかけてしまったのです。それをたまたまなのか、おばさんが目撃されてしまい、次の瞬間に道に飛び出してきました。

「あんたたち、今何をしたかわかってんの?」大声で道に響くおばさんの声。それぞれは(うわ、やべっ!)と思いながら、慌ててもっていた柄杓や洗面器を背中に隠そうとしていました。残念ながら、ゴミバケツを持ってきたやつはバツが悪そうに、その横に立っているしかありませんでしたが。

おばさんにこっぴどく怒られ、これで水戦争もおしまい。全員頭を下げてあやまり、お開きとなって、それぞれが自分の家に戻ろうとしました。

そのとき、おばさんがいったん戻った家からタオルをいっぱい抱えてきて、一人ひとりの頭にかけてくれました。

「風邪ひくから、ちゃんと拭いて、そして早く着替えてきなさい」

(このおばさん、やっぱいい人だ!)

声は出さないけど、みんなでそう思ったのでしょう。お互い顔を見合わせてうなずき、そしておばさんに向かって一礼しながら、一目散に自分の家に着替えに戻りました。

翌日、学校が終わったあとでランドセルを置いて、前日のタオルを返しに行こうと外に出ると、別に相談していたわけではないが、みんなそこに立っていました。

お互いの顔を見た瞬間、なぜかみんなで笑ってしまいました。

片手に洗ってきれいにたたんだタオルをもって、おばさんの家に行き、一人ひとりお礼を言いながら、おばさんに両手でタオルを返しました。

「ありがとうございました」

「どういたしまして」

「昨日はごめんなさい」

「もういいですよ」

おばさんは笑顔でした。

自分たちが帰ろうとすると、「はい、これ」と言いながら包みを一つ渡されました。

中には人数分のおはぎが。うちら全員がタオルを返しに来ると予想して人数分のおはぎが入っていたのか、たまたま人数分だったのかはわかりません。

全員で帰り道の公園に寄って遊具に座りながら、おはぎを頬張ったのを昨日のように覚えています。

そんな夏の思い出。

 

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今年の夏...

2か月前に、そのおばさんのお葬式があったことを親から聞きました。

そのとき、はじめて知ったのは、おばさんは早くに夫を病気で亡くして、子どももいなかったそうです。あのときは、自分の母親と二人暮らしだったそうです。

あのときの悪ガキは、おばさんにとってどんな存在だったのでしょうか。

あれから遊んでいるとお菓子をくれたり飲み物をくれたりしていましたが、ひょっとしたら、うちらがいたその場所はおばさんにとってのある意味「居場所」だったのかな、なんて考えてしまいました。

残念ながら、自分は遠くにいたのでお葬式に行けませんでした。はたして、あの時の仲間の誰かは行ったのでしょうか?

みんな、どうしているのかな?

 「居場所」を創りたい

最近、 自分たちの子どもの世代にとっての、そういう「居場所」がどんどん減ってきています。それは、子どもなりに何かを生む出す場所でもあり、お互いの絆を深める場所でもあります。そして、学校とは別の意味での教育の場でもあります。

 

そして、これは大人の自分たちにとっても同じです。

気心の知れた仲間と集まって、何かを創りだすワクワク感。そして、それが人のために役立ったときの喜びの共有。一見ばかげたことかもしれないけど、仲間でワイワイやる面白さ。そして、万一誤った方向に向かっていたならば、意見を言ってくれる人生の先輩の存在と、自分たちなりに物事を修正していくということ。仲間どうしはもちろん、そのように人生の先輩後輩関係なく意見が言えて、そしてみんなで然るべき道を見つけて歩んでいく。

そんなことが自然にできるような「居場所」があることに憧れます。

今自分は、そんな「居場所」となるような職場兼遊び場を創ってみたいと考えています。自分が仲間と呼べる人たち(まだ声をかけていないので片想いかもしれませんが)と集って、これからの人生楽しく働き、好きなことをして過ごしていけるような「居場所」を。

 

平成最後の夏が終わり、今日は少し涼しくなってきました。

少しだけセンチメンタルになったたーさんでした(終)