たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

目を閉じて、耳をふさごう

こんにちは。

アンドこんばんは。

 

今日は朝からだるくて、まぶたが重く、油断すると奇妙な瞑想時間に陥ってしまいそうな体調でした。こういうのを、全身倦怠感というのでしょうか?

昨日はそんなに遅く寝たわけでもないのに、そして今日も朝活はあきらめて5時半に起きたのに、なぜか眠い?

なぜにあくびが止まらない?

週のまんなかでこんな体調では、週末まで残りの日々を乗り切ることができるのかすごく心配になってきます。

 

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「よく歳だから」

とか

「運動不足だから」

とか言いますが、果たしてそれがこの全身倦怠感の原因でしょうか?

最近ふと思ったのは、これだけ疲れやすいのは、体のせいではない、

頭のせいなんだって。

頭つまり脳が疲れすぎているから、いつもどんよりした眠気が体を包み込んでいるんだと。

 

どういうことかって?

だって、ここ数日別に体を酷使しているわけではないんです。

フルマラソンを全力で走ったわけでもありません。

日本代表みたいに90分間サッカーをしてたわけでもありません。

 

では、なぜ疲れるのでしょうか?

 

もちろん、疲れる原因としては、心臓や肺、肝臓などの内臓に問題が生じていたり、貧血だったり、あるいは自律神経の障害が隠れていたりなど様々なことが挙げられます。

しかし、こういった体の問題で疲れやすくなる以外に疲労がたまる原因として、脳が疲れるということが挙げられます。

そして、その中でも最近特に気になるのが、目や耳から入る情報のあまりの多さに、脳内での整理整頓が追いついていかず、結果脳が疲労困憊してしまうことがあります。

 

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ただでさえ、PCスマホブルーライトも目の疲れ(眼精疲労)の原因になっているのに、そういう物理的な原因以外にも勝手に目から入ってきてしまう様々な(無駄な)情報も、この疲れの要因でしょう。

(このブログもみなさんの疲れの一因になっているかもしれませんが...)

寝床に入ってから、スマホでツイートを検索するのは楽しいけど、実はすごく負担になっているのです。

 

まあ、百歩譲って、目から入る情報は静かに目を閉じていれば、シャットアウトできます。

では耳に入ってくる周囲の騒音はいかがでしょうか?

今じつはショッピングモールで一人飯が終わって、この記事を書いています。

モールのフードコートでこうやってキーボードをたたいていても、隣のテーブルでは母親がごはんを食べないでゲームに夢中になっている子どもをどなりつけています。

向かいのテーブルでは女子学生が、テンション高く下ネタで盛り上がっており、耳を澄まさずにはおれません。

斜め前の柱には、モニターに次から次へCMが流されており、始終子供向けにアンパンマンマーチが流れています。

乾燥した目を潤そうと目を閉じても、この様々な音たちは消えてくれません。

都合よく耳栓なんて持っていませんし、ヘッドホンはわすれました。

どうすればいいんでしょうか?

(正直、ヘッドホンは必需品です!)

 

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昔ドイツに住んでいた時に、食事する場所は暗くて静かという子どもながらのイメージがありました。

家族連れで食堂に入ると、たいていそこは間接照明で、場所によってはろうそくの灯りだけのときもあります。

LEDなんて全く無縁の時代です。

ネオンサインもあまりありませんでした。

ベルリンの中心でさえ、20時をすぎるとかなりの店が閉まってしまい、お店の灯りが暗くなる代わりに教会のライトアップがきれいに照らされていた覚えがあります。

食事をする場では薄暗くなると、人々の話声も自然に静かになります。ゆっくりと食事を楽しみながら、お酒をゆったりしたテンポで口に含み、お互いの会話を楽しむ。大人の世界って、こんな感じなんだって子どもながらに思いました。

日本の街中にあるような、ネオンチカチカな建物の中のすごく明るい居酒屋で、学生たちがワイワイ騒ぎながら、ビールを一気飲みするような景色とは、まったく正反対です。

海外のこの環境にいると、大声を出して騒ぐことはご法度なんだと自然に身に染みてきますし、自分も弟も親の話に耳を傾けることがいつの間にか当たり前になってきました。

 人の話を聞くという当たり前のことが、最近の子ができなくなってきているのは、やはり目や耳への刺激があまりにも多いからなのでしょうか?

大人の自分でさえ、あまりの情報過多で疲れてしまうのに、物事を乾いたスポンジのように吸収する脳を持っている子どもたちの場合はなおさら余計な情報があふれて大変です。

過剰な脳の興奮を招くことも容易に想像できます。

(これが、さまざまな発達障害につながるかどうかはわかりませんが...)

 

 

先日たまたま家のブレーカーが落ちた時に、災害を想定してろうそくに火をともしてみました。

ライターでろうそくの芯に火をつけて、家の中のゆったりした風にしずかにゆれる炎。

ほかになんの明かりもなく、テレビの音が消え、洗濯機が静かになり、聞こえるのは自分たちの息遣いだけ。

「正直、すぐに飽きるだろうな」

と思ったのですが、私が電気をつけようとしたときに子どもたちから、

「もう少しこのままでいよう」って。

いつもYouTubeを観ながらギャーギャー騒いでいる子どもたちが、自然と炎の揺れに合わせているのか、静かに話しかけてきました。

「こういうのいいね。」

あの悪ガキたちが、こんな落ち着いたトーンで話すのを初めて聞きました。

 

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そして、親が話そうとすると、ろうそくの炎の向こう側から自分のことをしっかりみて話を聞こうとする子供たちの視線を感じました。今まで、人の話なんてただの一秒もまともに聞いたことがなかった子どもたちが、二人そろってこっちを見て耳を傾けてくれたのです。

 

欧米の家では、暖炉の火を囲みながら家族でお話しをする時間があると言います。日本の場合は囲炉裏なのでしょうか?

キャンプに行って、焚火を囲んで炎を見ながら話をすることも、同様の効果があるのかもしれません。

 

目に優しく、そして耳に優しく。

そうすることで、脳も癒され疲れがとれ、気持ちも穏やかになり、目の前にいる相手のことをより理解しようとする。

 

世の中、あまりにも不必要な情報が、勝手に目や耳から入ってきすぎています。

そんなものはない、自然の調べだけが漂っている静かなところで過ごしてみたいものです。そんな貴重な時間を作ってみたいものです。

 

以上たーさんでした(終わり)

 

 

今日も1日お疲れさまでした。

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