たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

スマホを見ない生活、そんなことがあってもいいのでは

最近スマホ(自分はiPhone)の画面を眺めていると、1日平均の画面を眺めていた時間が表示されてくる。

忘れたころに知らせてくれるのだが、そこでハッとすることがある。

 

先週は3時間19分だった。

その前の週との差は9%。

これが多いのか少ないのかは、わからない。

その内訳はエンターテイメント5時間43分とかSNS4時間48分とかって、ご丁寧にも解析してくれる。

 

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エンターテイメントはおそらく音楽を聴いていた時間。

車の中でBluetoothにつなげて運転中音楽を聴いていた時間だ。

画面は見ていない。

 

それにしても、SNSに4時間も割いているなんて多いかも。

その4時間で何か別のことに手を出した方が有意義だったかもしれない。

あとのまつりだ。

 

 

以前ガラ携を持っていたときは、iモードというのがあった。

正直ほぼ使ったことがなかった。

ほとんど電話として使い、時々ショートメッセージを打ち込んでいたくらいだ。

 

iPhoneを持つようになっても、使うのはもっぱら電話機能だけだろうと思っていた。

だから、ガラ携で十分だろうと考えて購入をしぶっていた時期があった。

 

しかし、いまやiPhoneを電話として使うことは皆無。

メッセージ、LINE、そしてSNSとしての利用がメインになってしまっている。

 

iPhoneが発売されたのが2008年7月のこと。

自分が購入したのはiPhone5が最初で、その後購入した6sをいまだに使っている。

最近電池の減りが早くて困っているのだが、なかなか買いかえる勇気がない。

この10年くらいの間で、世の中の景色が変わったように、自分の生活もスマホ中心にがらりと変わった。

その変化にまだついて行けていない自分がいる。

(年とったなあ、と思う)

 

去年暮れに立てた目標に、「スマホを見ない、手に取らない時間をつくろう」というのがある。

 

www.taosanblog.com

 

今でも、なるべく手に取らないように心がけている。

それでも仕事中でも、一度気になってしまうと、次から次へとアプリを立ち上げてスワイプしまくってしまう。

自分にとっては大した情報でもないのに、見入ってしまうのがよくない。

 

コロナの感染者数がどうなのか

総理大臣の支持率がどうなのか

芸能人の結婚だとか

 

正直自分の生活や仕事に全く関係ないのだが、一度目に飛び込んでくるとそのページを開いて記事を読んでしまう。

さらにはTwitterも。

命の大事な時間をこんなことに使ってはいけないことを分かっているつもりだけど。

 

最近、なんか知らんけどイライラすることも増えたように思う。

ちょっと電波が繋がりにくかったりすると、先日も知らんうちに舌打ちをしていて家族にとがめられた。

電波がつながるのが当たり前。

そういう頭にすでになっているのだ。

 

携帯電話のなかった頃は、渋谷駅で友達と待ち合わせしていて、相手が来なくても気長に本を読みながら待ったもの。

だが、今やその忍耐力はどこにいったのか。

 

スマホ文化になってから、ちょっとしたことでもがまんできず、すぐにイライラするようになったような気がする。

(この歳になって、小便もがまんできなくなってしまっているが...(笑))

 

もちろん、スマホになってからすぐにわからないことを検索できるようになって、便利になったことは皆さんもご承知だろう。

その一方でその情報が本当か嘘か、自分の目で確認することは減った。

わざわざその現場まで足を運んで自分の目で確認したり、正確なことが書かれている本を図書館や本屋に探しに行ったりすることは格段に少なくなった。

人の話を聞きに行くこともなくなった。

せいぜいメールやLINEで済ましてしまう。

人と直接触れあうことも減っている。

動かなくなっているので、運動不足にもなっているだろう。

 

結果、今や頭の中は不確かな情報とどうでもいい情報であふれていて、さらにはイライラ感とストレスで充満。

体は慢性的な運動不足に陥り、いろんな意味で悪い方向に向いている。

こんな状態では、健康に生きることは難しい。

1日数時間でも強制的にアナログ生活に戻すことがやはり大切かなと思う。

(デジタルデトックスというらしい)

 

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自分のようなおじさんは、そのような不便だけど健康なアナログ時代があったことを知っている。

でも、子どもたちはスマホがあって当たり前の時代に生まれてきた。

最初からある意味不健康なのだ。

彼らに、何が健康な生活なのかを教えることは自分たち親の大切な役割なのだろう。

悪い習慣を挙げてみよう、そしてその原因となるものを排除しよう

悪い習慣というものは、結構な割合でほぼ無意識に行っていることが多い。

反対に良い習慣というものは、なかなか意識して行動をしないと身につかないものだ。

これが逆であればいいのにと、何度も思った。

 

このことは、誰でも思い当たったことがあるのではないか。

  

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例えば「健康」というテーマに絞って考えてみると、自分の場合はエスカレーターと階段があった場合に、何も考えなければエスカレーターに乗ってしまう。

喉が渇いていて、冷蔵庫にコーラがあった場合には、飲むだろう。

机の上にキットカットが置いてあったら、当然食べてしまうだろうし、さらに2個目と手をのばすことは容易に想像がつく。

時間が少しあった場合には、すぐに寝ようとする。

 

要するに、今まで何度も不健康な方の行動をとってしまっていたのだ。

 

結果、運動不足、暴飲暴食、デブ、糖尿病というレッテルが貼られたわけだ。

 

では、この場合に健康を意識して行動をしていたらどうなっているだろうか。

つまり、その都度その行動が健康に良いことなのかどうかを考えて、行動にうつすのだ。

健康に良い行動の選択した場合、

 

エスカレーターではなく階段を上ることを選択するだろう。

喉が渇いても、蛇口をひねって水を飲むだろう。

机の上のキットカットは戸棚にしまい、完全に視界から遠ざけるようにし、どうしてもお腹が空いていればみかんかバナナを手にとるようにする。

時間があったら、ストレッチをするか、少し散歩に出かけて体を動かすようにするのがいい。

 

これだけ健康に良い選択をすれば、結果が良くなるに決まっている。

 

つまり、運動が習慣になるし、食事量も抑えられる。

やせるし、血糖のコントロールも一定水準を保つことができる。

 

このことから、とにかく無意識にやっている悪しき習慣を自分であぶり出して、良い習慣に切り替えていくことが非常に大事だということがわかる。

 

毎日どのタイミングで、悪い習慣を行ってしまいやすいか。

おそらく先ほど挙げたコーラやキットカットの例でも分かるように、視界にそれが入った瞬間にその悪いスイッチが入ってしまうのだ。

喉が渇いている→何か飲みたい→目の前にコーラ→飲む

お腹が空いている→何かを食べたい→目の前にキットカット→食べる

それだけではない。

疲れている→少し時間がある→休めるソファがある→座って眠りにつく

おそらく、このときに休む場所がなければ、起きて他のことをしているだろう。

そう考えると、オフィスに椅子がなく、立って仕事をする場所があることも納得である。

 

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とにかく視界から悪い習慣の原因となるものをまず排除することから始めよう。

そう考えたが、世の中普通に生活していると、なんとデブへの悪い誘いの多いことか。

 

街のいたるところにコンビニがあるではないか?

コンビニに陳列されている商品の中で、健康にいい物と悪い物果たしてどっちが多いか。

この質問に間違える人はまずいないだろう。

 

マクドナルドなどのファーストフード店、ラーメン屋、たこ焼き屋など、炭水化物が主体のお店がどれだけ多いことか?

ちょうどお腹が空いたときに、そのお店のどれかの前を通ったら、それは吸い込まれるに決まっているだろう。

 

そして、コンビニを通り過ぎても自販機があったら、何か買ってしまうだろう。

珍しくドクターペッパーがあったら、そりゃボタンをポチっといってしまうよね。

(いかないって。そりゃ、あんただけだろ!)

 

どうしたら、それらの誘惑に負けないでいられるか。

 

その結論はまだ出ていない。

ただ昨年からの目標で、一つ確実に継続していることがある。

それは、マックのドライブスルーにあれ以来1回も寄っていないことだ。

(すごい、パチパチ)

完全にスルーしている。

だから、車の中がマックの袋で汚れることがなくなった。

シートの横の隙間にポテトが1本も落ちていない。

それって、すごいよね!

それに車に乗った瞬間、謎の食べ物の異臭がすることもなくなった。

 

ひょっとしたら、これを継続できていることに何かヒントがあるのかもしれない。

 

自分の悪しき習慣をまずは意識することから始めてみようと思う。

目標その6「他人ができる仕事は、なるべく他人にお願いする」

自分の時間は限られている。

いつまでも好きに時間を使うことができると思っていたら大間違いだ。

命の時間は有限であり、それがどれくらいかは正確には分からない。

このコロナ禍においてはなおさらだ。

 

それと同じくらい当たり前のことだが、自分の体は一つしかない。

分身の術なんて技が子どもの頃忍者ごっこして流行っていたが、あれも結局本物の自分以外は幻影でしかない。

 

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自分の時間が限られていて、自分の体は一つしかない

こんな当たり前のことを自分は分かっているはずなのに、なぜに物事を全部自分でやってしまおうとするのか?

 

時間管理の自己啓発書やビジネス書には書いてある。

とにかく、人に任せられるものはすべて人に任すように、と。

自分がやっても他人がやっても、結果同じ結果になる仕事については、他人にやってもらうということが鉄則なのだ。

他人にやってもらうことができれば、その分自由に使える自分の時間が増えるので、それを自分にしかできない別のことに利用すればいい。

その方が全然生産性が高く、効率がいい。

 

自分でやりたがる理由 

自分でどうしてもやりたがる理由を考えてみた。

 

・自分で状況を確認しながらやる必要性があると考えている

他人を信用していない、自分が一番確実だと思っている。

もちろん、自分の専門的知識やスキルを十分に活かせる仕事であれば、自分でやるべきである。

しかし、どうでもいい書類の整理だとか、部署の引っ越しの準備だとか、職場の隅っこにおいてある冷蔵庫の中の確認だとか、何故自分である必要があるのだろう。

 

・人に頼むのが億劫である

こんな雑用をほかの人にお願いしていいのか?

後輩に頼んだら、あの上司はいつも仕事を押し付ける嫌な上司だと思われないか?

もし、お願いするとしたら、どのように頼めばいいのか?

こんなことを考えてしまう。

 

要は、そのようなことを考えてしまうのが面倒だと思っており、ならば自分でやってしまおうというカラクリなんだろう。

いやいや、実際後輩に頼むと二つ返事で引き受けてくれて、結局取り越し苦労だということがわかるのだが。

要するに考えすぎなのだが、一方でその仕事を人に頼むということ、つまりコミュニケーションをとるということを放棄しているのだ。

 

・お金がかかる

例えば引っ越しなんていうのは引っ越し業者に任せてしまえばいいのだ。

自分が何も仕事の合間に数十個ある段ボールを持ちながら、階段を昇り降りして建物内を移動する必要はないだろう。

職場の秘書さんが、お金はかかるが業者を雇うことはできますよと親切に言ってくれているのだから。

 

お金と時間、どっちが大事という話だ。

当たり前だが、

時間>>>お金

時は金なり、という言葉が如実にそれを示している。

 

歩いて1時間、タクシーで10分のところに行くのであれば、時間を有効に使うのにタクシー代を払うべきだ。

どうも時間よりもお金の方を大事と考えがち。

それは、お金は目に見えているが、時間は形としてないからなのか。

 

もう一つある。

 

・責任の問題

他人に任せてミスをしたらどうするのか。

自分が責任をとれるのか。

だったら、自分でやった方がいい。

 

もちろん、責任重大な仕事は自分でやるべきだ。

ただ、引っ越しとか冷蔵庫の整理だとか、そんな責任問題になるだろうか?

 

他人に任せるべき理由 

自分ですべてをやろうとするのは、ナンセンス。

自宅では、家族に「お茶持ってこーい」なんて言っているのに。

逆に、それくらい自分でやれよという感じ。

 

・自分の時間を作ろう

人生は限られている。

特にこのコロナ禍、いつ罹患して急変するかわからないのだから。

 

・精通する人間に任せた方が早く片づけられるかもしれない

自分が一番ではないのだ。

とんでもない過信だ。

 

・仕事の内容によっては、後輩の教育の場になるかもしれない

後輩の育成にとってそれは非常に大事なことなのだ。

自分がいなくなったときのことを考えよう。

 

これからどうすべきか 

今後はまず仕事が降ってきたら、まずほかの人ができそうな仕事であれば断ること。

自分が責任もってやらなければいけない仕事であっても、自分でなくてもいいような仕事内容であれば(責任問題が小さければ)、ほかの人に任せることをまず考えることが大事。

何かあれば、責任は俺がとるから、という肝のすわった人間であるべきだ。

その上で、その分の自由な時間を自分にしかできないことに割り当てようと思う。

 

目標その6「他人ができる仕事は、なるべく他人にお願いする」

目標その5「月10冊、年間100冊以上の読書」

例年、お正月は仕事があるとき以外は田舎に帰ったりしていたのだが、今年に限ってはあまり出歩かないようにしようと思う。

まさに寝正月を実践しているこの2日間。

寝正月と言えば、酒を飲みながらテレビで駅伝でも観ながら、横になっているイメージだが、最近はあまりテレビを観ることが少ない。

というか子どもたちがゲームするのにテレビを占拠してしまっているために、仕方なく自分の書斎に閉じこもっていることが多い。

(別の意味での引きこもりである、ははは)

 

というわけで、今年の正月は、読書に精を出すことにした。

 

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時代に伴う読書の変化

読書離れというものが、若い世代だけでなく自分のような中年にまで広がってきていると聞いたことがある。

読んでいるとした人でも、月に1冊、多くて2冊程度らしい。

情報を得るのならば、スマホで十分ということなのだろう。

 

また読書をするにしても、その形態自体に変化が出てきており、電子書籍なるものが普及してきている。

たしかに電子書籍は、手軽だし便利である。

何冊の本をいっぺんに持ち歩くことができるので、ちょっとしたスキマ時間に数ページ読み進めることもできるし、乱読をしたい人はもちろん辞書替わりに調べものをすぐに行うこともできる。

しかし、なんとなく味気ない感じがするのは私だけだろうか?

 

本来の読書の楽しさ

ただ本来の読書というものは、紙で作られた本を手にもってページをめくりながら、文字を追うというもの。

そして、読んだ本を一度でおしまいにしてしまうのは惜しいもので、思い立ったら本棚から取り出して、繰り返しページをめくっては読み返すことがやはり楽しい。

本を手にとったときのあの重量感と、ページをめくるときのワクワク感。

そういったものは電子書籍では味わえない。

 

また本屋や図書館に本を探しに行くちょっとした高揚感も、画面をスワイプしているだけでは味わえないものである。

本の表紙、そして巻いてある帯の一言一言、横に置いてあるPOPに書いてある趣向を凝らした文章。

こういったものに引き付けられて、その本を手にとりページをめくる。

出だしの文章を読み、目次を自分の目でとらえてみる。

気になるページを開いて少し文章を読み進めてみると、本と自分との相性がなんとなくわかる。

「よし、読んでみよう」

という意識を明確にして、会計にもって行く。

この一連の作業がなかなか面白い。

 

本を読むことのメリット 

本を読むことのメリットは

知識を増やすだけではない。

語彙を増やすだけでもない。

世の中のいろんなシチュエーションについて学ぶことができるし、その場合における人の感情を思いやることもできる。

相手との間を感じるようになれるのだ。

体一つしかないので、本を読むことで新たな体験をすることもできる。

その結果、自分の世界観、価値観を形成することができる。

自分の不完全さを見つめることで、自分自身を知ることができ、誰にでも欠けている部分があるということを気づける。

そして、そこに深い根っこを張って、さらに読書を積み重ねることで、心の成長を遂げることができるのだ。

なんか偉そうなことを書いてしまったが、やはり読書は大切だ。

 

月10冊、年間100冊以上をまず目標にしてみよう。

コロナに注意して、明けましておめでとうございます

みなさま、明けましておめでとうございます

今年はどんな年にしたいですか?

 

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さて、世の中の流れが一気に変わり、全く今までの通常が通じなかった2020年が終わり、今年2021年はそのままの流れを継承するのか、あるいはそこからガラッと変わった世界になるのか、正直なんとも言えないだろう。

 

ちなみに四柱推命的には、今年の3月で世の中が大きく変化するらしいけど、これがどういう方向性なのか全然わからない。

(知り合いの人に聞いた話)

 

晦日に急に増えた

コロナ禍において、昨年大晦日の感染者数が1300人以上となった。

一応これでも医療従事者なので、この数には大きな驚かなったし、むしろまだまだ検査数が増えれば、その数も増えるだろうと思っている。

検査数がそれだけ多ければ、正直欧米並みの感染者数までいかなくても、かなり多いことは予想できるだろう。

もちろん、感染者数が増えても、そのまま重症者数、死亡者数が増えるとは限らない。

マスコミのあおりをそのまま受けてしまうのは危険である。

ただ、その一方で自分たちが感染しなくても、濃厚接触者になってしまった場合は、2週間出勤停止となるので、その間予定手術は延期になってしまうし、緊急の多い病棟はカツカツになってしまう。当然家族とも一緒にいられないので、結局は別宅に寝泊まりすることになる。

(別宅と言っても、変な意味合いの家ではない。自分のように遠距離通勤している場合は、仕事で夜遅くなることがザラにあるので、職場の近くに部屋を借りているのだ)

 

世の中いろんな意見がありますが

感染者数が増えても、単なる風邪レベルだからと主張するグループもある。

一方、これが2週間後の重症者の数に繋がるだろうし、重症者数が増えると医療崩壊につながるという意見もある。

「勝負の3週間」なんて、政府が叫んでいたこともあった。

みんなバラバラなことを言っているし、肝心のトップが如何せんしっかり分かっていないのか、あるいは分かっていないフリをしているのか、とにかく国民みんながどうしていいか困ってしまっているのが現状だ。

 

大事なのは感染しても重症者を出さないようにすることと経済をまわすこと

一医療従事者の立場からすると、かかっても無症状でいることが多い若い世代にとっては前者の考え方でよくて(風邪レベルというのは極端だが)、感染に気を付けていれば、何も外出を避けるようなことはしなくていいのではないかと考える。

ただし、大事なことはこの場合の感染に気を付けるというのは、うつるとうつすの両方を意味する。

だから、高齢者や病気持ちの人と一緒に生活している人は、十分に気を付けるべきだ。

ただそう言った心配をする必要がなく、一人でもくもくと食事をするのであれば、外食は大いにしたらいいと思う。

 

一方で、高齢者や基礎疾患を持っている人は、とにかく感染させられることに気を配って行動することが大事であり、当たり前だが不要不急の外出はしない方がいい。

ただし、必要な外出、急ぐ外出は十分に気を付けてしていただければいいと考える。

コロナが怖いから高血圧の薬をもらいに来ない患者さんが時々いるが、それはこの寒い冬非常に危険なのでやめてほしい。

脳卒中になる可能性がある。

今は病院によっては、電話対応もやっていたりして、処方箋を近くの薬局に送ることもできたりするので、ホームページや電話で問い合わせてみてほしい。

 

常に念頭においていてほしいこと

とにかく、やるべきことは

・手洗い

・うがい

・マスクの着用

・頻回の手指消毒

・無用に顔を触らない

・密にならない、密を避ける

というところ。

自分も含めて基礎疾患のある人は要注意だ。

こんなことで人生を狂わせてはいけない。

 

基礎疾患とは

ちなみに基礎疾患については意外に知らない人が多い。

手術や入院が必要な病気だけではない。

それらの原因となり得る高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病をさす。

だから、内科などのかかりつけ医より何らかの薬を処方されている場合、高い確率で基礎疾患を持っていると考えてほしい。

その場合、絶対に不要不急の外出は差し控えることが大事。

 

とにかく気をつけて 

今日は東京都の感染者数は783人。

昨日よりも減ったと喜んではいけない。

お正月で検査数が少ないだけなのだから。

心配なのは、夜のニュースで元旦の初詣の人数が例年より減っていると報じているところ。

おそらく

「じゃあ、明日も空いているだろうから初詣に行こう」

という人もいるような気がする。

その結果、すごいことになっているかもしれない。

密な場所は、とにかく避けてほしい。

 

自分の場合、去年一年間は居酒屋に行けなかった。

行きつけのお店がつぶれていなければいいけど。

正直オリンピックは...

ルーチンワーク、習慣行動をうまくこなしていくために

ビジネス用語なのかどうか知らないけれど、ルーチンワークという言葉がある。

これは、日々同じ作業を行う仕事のことを言う。

業務の手順やルールがすでにパターン化されて、マニュアル化されることで、効率よく進めることができる。

 

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このルーチンワークのメリットは、

 

・業務の効率化が図れる

・時間配分の正確性が高く、スケジュール管理しやすい

・一定のクオリティーが確保できる

 

ルーチンワークと習慣

さて、私たちの日常生活においても、それに似たような言葉がある。

「習慣」だ。

 

ルーチンワークと習慣は、前者はビジネスで用いられる言葉で、後者は日常生活で使われる表現とされて、別々に使い分けるものだとする見方もある。

 

ただ、朝6時からブログを書き始めるというのを、ルーチンワークと呼ぼうが、習慣としようが、別にどちらでも悪いことではないだろう。

 

とある会社でのルーチンワーク

例えば、ルーチンワークならば、

朝9時から始めて、いつも通りの作業で10時には終わって、次のタスクに取り掛かることができるとする。

ルーチンワークのいいところは、先に述べたように、時間配分の正確性が高いので1時間で一定のクオリティの結果を出すことができて、非常にスケジュールの管理がしやすい点にある。

だから、その次のタスクとして10時5分に会議室で面会なんていう予定を立てても、ほぼオンタイムに行動に移せるわけなのである。

 

しかし、そのルーティンワークが、時にうまくいかないこともある。

 

ルーチンの対義語として、イレギュラー(変則)やアドホック(臨時)、スポット(一回きり)などと言った言葉がある。

それらが、ルーチンワークを妨げるように、どこかで起こることがある。

 

ルーチンワークを邪魔するイレギュラーイベント

例えば、

朝8時50分に話の長い部長に呼び出されて、まとまりのない話を20分もされてしまった場合。

その結果、自分のルーチンワークは10分遅れで開始することになる。

 

例えば、

9時30分、最もルーチンワークに集中しているそのときに、同僚からの電話でどうでもいい話をされて集中が途切れてしまった場合。

そこから、再び「全集中」の状態に戻すためには当然時間がかかる。

その結果、予定していたルーチンワークの7割程度しか終わらなかった。

 

このように、予定外、想定外のことがふりかかると、仕事の効率はめちゃくちゃ落ちてしまうのは容易に想像がつくだろう。

 

自分たちの日常生活において

さて、私たちの日常生活に目を向けるとどうだろうか。

習慣においても、同じだろう。

 

例えば、自分の場合は朝5時に起きて、6時すぎに出勤するまで行動が習慣化されている。

朝5時に起きて、シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながらその日のスケジュールを確認するみたいな。

 

ところが、その習慣の一連の行動パターンが崩れる可能性がある。

 

例えば、

朝5時に起きる予定であったが、目覚ましがその日は鳴らずに20分遅れで目が覚めた。

結局シャワーを浴びずに出勤しなければいけない。

これが前日焼肉なんか食っていたりしたら最悪だ。

なんとなく、甘酸っぱい焼肉のたれ的なにおいをさせながら、出勤しなければいけないわけだ。

 

あるいは、

予定通りに起きてシャワーも浴びることもできて、コーヒー淹れながら、

たまたま習慣としていないテレビをつけてしまい、

そして、その日たまたまNiziUが「目覚ましテレビ」に出てしまっていたら、

おじさんとしては自分のスケジュール管理の時間に、縄跳びダンスを見ていることになるかもしれない。

(具体的すぎるだろっ!)

(つうか、出勤時間が「スッキリ」にかぶっていたら、休んでいたかもしれない)

その結果、今日1日のスケジュール、そしてto do listを作成せずに、仕事に向かうことになり、場合によっては職場で路頭に迷うことになる。

 

イレギュラーなことが起きないようにする

というわけで、仕事でも日常生活でも、いかにイレギュラーなことが起きないようにするかが、非常に大事になってくるのだろう。

これを克服しないと、下手するとその日にやりたいことが、たいていのことは手つかずに終わってしまう。

 

まず、よく言われていることは、やっている最中に自分の仕事を邪魔するだろうものはあらかじめ排除すること。

仕事ならば、

・個室でやる

スマホ、電話は排除する

・人から声をかけられないようなオーラを出す

 

日常生活でも同様だろう。

なんと言ってもスマホが問題。

すぐにどうでも良いYahooニュースにとびついて、読み始めてしまうと、そこからどんどんサーフィンしまくることになる。

 

自分の場合、テレビなんかもそうである。

どこかのお偉いさんが、自分のことを「ガースー」と呼んだことがテレビニュースで流れているのを目にしたがために、その日1日中Youtubeを見まくってしまい、翌日のプレゼン資料の作成が深夜にずれ込んでしまったことが最近あった。

(チクショウ、この歳で夜更かしすると数日体に疲労が残るんだから)

 

とにかく、自分のルーチンワーク、習慣行動を行う場合には、それを妨げるであろう事柄はすべて排除すべきなのである。

スマホや携帯電話はそばに置かずにかばんの中にいれておく

・テレビやラジオはつけない

・音楽も聴かない

・雑誌や漫画を排除する

・生理現象は仕方がないとして、喉が渇くことはあるので飲み物をそばに置いておく

 

こういった準備が必要なのである。

 

予定どおりに始められない

さて、ルーチンワークの途中の邪魔は、このようにはじくことができるのだが、その直前に発生したイレギュラー事象については、なかなか避けがたい。

予定どおりにはじまらなかったことで、すべての時間配分がくるってしまうことになる。

 

自分に原因がある場合、例えば寝坊したとか、渋滞に巻き込まれたとか、そういうことである。

必要な資料が見つからなくて、そのために数分時間をロスしたとか、そういうこともである。

この場合は、とにかくそれ以前の時間配分や事前準備のあり方を見直す必要があるだろう。

 

5時起床予定ならば、睡眠時間7時間は最低とっておきたいので、前日22時には布団にもぐりこむようにする。

渋滞も考慮して、時間10分前に仕事場に到着するように出発時間を調整する。

つまり、時間にルーズな人はダメなりに工夫が必須。

肝心の書類が見つからないことで、探すのに時間をロスするのであれば、普段から整理整頓して書類を取り出しやすいようにしておく。

こういったことを気を付ける必要があるのだ。

そして、行動の終わりが後ろにズレても、多少時間に余裕をもってスケジュールを組み立てるのも、一つの手法だ。

予定どおりにいって時間が余ったら、それはそれでそのスキマ時間に何か小さなタスクをおこなえばいい。

 

というわけで、ルーチンワーク、習慣行動を予定通りこなすためには、時間的に余裕をもってスケジュールを組み立てたうえに時間厳守。

そして整理整頓をすることで無駄な行動を省くことをめざすのが大事。

さらに仕事の邪魔をするような媒体や人は、自分のまわりから可能なかぎり排除することが大事だ。

このことを肝に銘じて、2021年も頑張っていきましょう!

習慣を変えることが自分の生き方を変える

自分の毎日の過ごし方を振り返ってみようと思う。

 

朝5時に起床して、すぐに暖房をつける(今は冬!)

トイレに行って、体重計に載ってアプリに登録。

シャワーを浴びて歯磨きをし、体を拭いたら、服を着て、コーヒーを入れる。

血糖を測定し、薬を飲み、さらにビタミンのサプリメントを口に放り込み、コーヒーで

流し込む。

今日1日のスケジュールを確認し、自分の目標を再確認する。

荷造りをして、6時になったら自宅を出て職場に向かう。

 

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さて、この1時間の間、スケジュールを確認して、自分の目標をみるというところ以外は、ほとんど頭を使って考えずに過ごしている。

 

何故、それが可能かというと、それはその行動一つ一つが習慣化されたものだからだ。

習慣化されることにより、無意識のうちに事が進む。

 習慣化したことにより、毎回同じような結果が得られ、そして、自分の思い通りの時間に次の行動を起こすことができるのだ。

 

習慣化のメリット

習慣化することの良いところは、

同じことを繰り返すことで同じ結果を得ることができるということだ。

つまり、自分が期待している結果を、考えることなく無意識に得ることができる。

 

アインシュタインは、

「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」

と言っている。

つまり、同じことを繰り返せば同じ結果を得ることになるのは当たり前なのである。

 しかし、この名言の解釈の仕方を少し変えてみるとどうだろう。

違う結果を望むのであれば違うこと、つまり新しいことを始めなければいけない。

 

新しい習慣を身に着けることで、自分の生き方が変わるということだ。

 

古代ギリシャの哲学者アリストレテスは言っている・

「人は習慣によって作られる、優れた結果は一時的な行動ではなく、習慣から生まれる。」

自分の理想的な人生の道を歩みたいのであれば、その目標に向かって新しい習慣を確立しなければいけないのだ。

 悪い習慣を捨てて、新しい健全な習慣を身に着けることが大切。

 

悪しき習慣から良い習慣へ

ただ新しい習慣をゼロから考え出して、身に着けるのはなかなか難しい。

まずは自分の悪い習慣を把握することが大事。

そして、その悪い習慣を良い方向に改めるというやり方がいいと思う。

 

今の自分においての悪い習慣とは何か?

毎日の行動を思い返しながら、書き出しているといろいろと悪いことをしているな、というのが分かる。

それを可能なかぎり、良い習慣に変えていくことが必要なのだが、たくさんの悪しき習慣をすべて良い習慣に切り替えていくことは大変な労力になる。

(当たり前ですね)

 

習慣化目標を月3つに絞ろう

正直書き出したものをみるだけで、お腹いっぱいになってしまう。

ではどうすればいいか。

そのたくさんある項目のうち3つに絞って、まずは変えていくことをめざせばいい。

1か月続けることで習慣化できたところで、次の3つというようにしていくのだ。

 

習慣をまとめる

たいていの悪しき習慣はいくつか連動していることも多い。

悪い習慣が

「ジャンクフードを食べる」「清涼飲料水を飲む」「野菜を食べない」「果物を食べない」「緑茶を飲まない」

であれば、良い習慣は

「お腹が空いたら、野菜サラダや果物を食べる」「喉が渇いたら、緑茶を飲む」

というようにまとめられるわけだ。

5つの悪しき習慣が2つの良い習慣に切り替わる。

これにより、「体重を減らす」という目標につながることになる。

 

習慣の因数分解

さらに、習慣の中にはハードルの低いものと高いものがある。

低いものは早々にクリアできるが、高いものはなかなかきついし、まず後回しにしがちである。

絞った3つがすべてハードル高いものであった場合は、下手すると一つもクリアできないかもしれない。

というわけで、ハードルの高いものは因数分解して下げていく必要がある。

例えば、

「運動不足」

という悪しき習慣を

「運動をする」

という良い習慣に変える場合、それだとあまりにも漠然としていて、やる気が起きない。

それに対して、それを時間的に空間的に因数分解すると、例えば

「週末は、家の近くの神社まで散歩する」

とか

「2日に1度、万歩計で12000歩歩く」

とかになる。

これが「毎日」とか「走る」とかになると、いきなりハードルが高くなってしまう。

まずは低めから始めて、習慣化する第一歩を踏み出し、そして1か月経って習慣化に成功したら、少しずつハードルを上げていけばいいというわけだ。

 

そういうわけで、自分の悪い習慣をまずは挙げていこうと思う。

次回に続く。