たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

草間彌生さんの展覧会に行ってきた~わが永遠の魂~

こんにちは。

 

普段仕事に追われて朝から晩までパソコンの前に座っていたりすると、たまには自然に触れたり、芸術鑑賞に浸ったりしたくなりますよね。

(俺だけかな?)

日常に疲れて、ふと思い立ってつぶやいたことを先日実行にうつしました。

「美術館に行って、絵を観ようかな」

 

というわけで、国立新美術館で開催中の

草間彌生~わが永遠の魂~

を鑑賞してきました。

5月22日までの開催ということで、実は来週までの開催なのです。

(まだ観ていない人はまだ間に合います)

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早速、千代田線乃木坂駅からエレベーターで上がると、そこはもう美術館の入り口!

(はやっ!)

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木板のデッキを歩くと、途中左手に大きなかぼちゃが!!

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かぼしゃは草間彌生さんのトレードマークですね。

そこは最後に観るとして、まずは館内に。

 

まずは展示室の手前の部屋で、トレードマークの水玉のカラフルなシールをもらい、白かったはずの部屋のあちこちに水玉シールを貼ります。これも芸術作品になるんでしょうね。

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そしていよいよ展示室に。

大きな部屋に入ると、それは圧巻。部屋の壁前面に展示されたカラフルな水玉作品の数々。2009年から草間彌生さんが描き続けている「わが永遠の魂」と銘打ったその作品なんと130点がドーン!

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遠くから見ると、それは壁一面の色鮮やかなカンバスであり、近くで観察すると細かい水玉の集合体から一つ一つの作品が成り立っていました。

 

そして真ん中のスペースにも、「真夜中に咲く花」「明日咲く花」と題した巨大な花のオブジェがそびえたっています。

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2年前に村上隆の五百羅漢図展に行った時も、村上さんの同じみのオブジェとカラフルな作品に圧倒されましたが、それと同じくらいに壮大なスケールで強烈な色の光線が次々に目に飛び込んできます。正直全然目に優しくありませんが、それだけインパクトがあります。

 

この大きな展示室は携帯での写真撮影はOKでした。

 

この展示室の脇に入り口があって、その他の作品群の展示室に。

今度は彼女の初期の作品(草間彌生さん10歳のときのデッサン)、ニューヨークに渡っていたときの作品、そして帰国後の男根をイメージした突起物を家具に貼りめぐらした作品など、凡人にはなかなか理解が難しく、ただただその迫力に圧倒されるだけでした。

理解しがたい作品というのは、共感を生みにくいものなので、非常に強烈な印象を観ている人の心に与えるか、全く退屈なものになってしまうかどちらかなのですが、正直最初の大広間に展示されている作品と比べると、ここで展示されている作品は何か暗い印象を与えると同時に、少し気味悪い感じもしました。退屈とまではいきませんでしたが、自分の部屋に飾っておきたいとは全く思いません。

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草間彌生さんは統合失調症という病を患っています。100人に1人の割合で発病する病気で、幻覚や幻聴といった症状を呈します。草間彌生さんは幻覚が生じたときに見えたものをうまく色を使って絵やオブジェとして表現したとのことです。

考え方によっては、幻覚という草間彌生さんの「創造」の世界と絵を描いている「現実」の世界を行ったり来たりしながら作品を生み出していたので、病気の症状としては落ち着いていたのでしょう。

(幻覚の世界に入りっぱなしではなかった)

人に聞いた話では、草間さんがお世話になっていた病院にはもっと症状のひどい方もいらしたそうです。その方が描いた作品はもっといい意味で強烈だったらしいのですが、残念ながらその方の病気が重く、その作品は日の目をみることはなかったそうです。

 

 

草間さんの作品については、いろいろと考えさせるものがあります。

ある知り合いの画家は、「草間さんの作品は純粋に彼女の創造からなるものなのかというとそうではない」と。だからアートと呼べるかどうかということを論じておられました。草間さんは幻覚でみたものを忠実に描いているだけなので、もし彼女が病気でなければもちろんこの世界は創造できていなかったでしょう。ですので、「彼女の作品はデッサンとか風景画のように美術作品ではあるが、純粋に創造された芸術作品ではない」という意見です。

(酒の席だったので、覚えている限りでそのようなことをおっしゃっていました)

ポイントになるのは、病気が彼女の才能の一部になり得るのかということなのでしょう。薬の効果がしっかり現れて幻覚が見えなくなってしまったら、彼女から作品は生まれてこなかったのでしょうか。病気を先天的なものととらえるか、後天的に発症したものとするかによっても異なると思います。彼女が病気をカミングアウトしていなければ、また違ったとらえ方になるであろうし、さらには彼女が幻覚としてみたものにアレンジを加えていたとしたら芸術作品になるのでしょうか。果てには何が美術で、何が芸術(アート)なのかという定義の論争にまで発展してしまいます。

(すみません、全然話についていけませんでしたが、この論争は科学が入ることによりさらに複雑になってしまいました。この辺の論議を解決してくれる人がいたら、コメントをお願いします。)

 

いずれにしても、病気というハンディにも関わらずこれだけの作品を生み出して、自分の存在を世界に知らしめたのはやはりすごいと思います。

何事も継続して続けることが大事なのでしょう。そして、少しずつ変化をもたらし(アレンジを加え)、新たなものを創り出すことが大切なのでしょう。

 

時々こういう芸術に触れる機会をもつことは、気分を入れ替えるうえでも必要なことであると感じました。

以上何の取り柄もないたーさんでした(終)