たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

50歳までに身につけたい教養~六芸について~

こんにちは。

だんだん寒くなってきて、少しの気のゆるみで風邪をひいてしまう季節になってしまいましたね。とにかく寝ている間に布団がはだけて、おなか丸出しにならないように気をつけています。

 

さて、50歳間近にして、人生次のステップについて頻回に考えるようになってきました。自分の周りの人たちも、中には40代成りたてにも関わらず、自分の10年後、20年後について深く考えているのに、つくづくびっくりしてしまいます。

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自分はこのブログを始めた頃まで、つまり40代半ばまで、自分の将来についてどういうように変えていこうかなんて考えたことが全くなく、今乗っているレールの上をそのまま走り続けるんだろうなと単純に思っていました。

ですので、あまりにも忙しい職場環境とそれによるものすごいストレスで体を壊すまで、人生を考え直すなんてことは思ってもいませんでした。

ところが、超がつくほどブラックな環境の中で体を壊し、このままでは明らかに寿命が縮まるような状況になってしまいました。朝7時すぎから下手したら夜中の2時まで働きっぱなしの毎日にトコトン疲れて、結局前の職場を辞めざるを得なくなりましたし、今後の人生をもう一度考え直す必要に迫られました。

 

さて、それから今の職場に移って2年近く経とうとしている今、なんとなく毎日仕事をしながら過ごしている自分がいます。最初のうちは、そのブラックな当時と比べて時間がゆっくり過ぎていく日常がすごく心地よくて、体をその流れに任せているような状態でした。ほんと気の抜けた感じというのはまさにそんな状態です。

ただそれは自分だけの話で、周りは結構忙しく時間が動いていました。先ほども書いたように、周囲の人たちはあれこれ自分の人生のことを考えて行動しています。

その人たちの行動をぼーっと眺めていた自分の場合は、正直だいぶ遅れをとっているような気がします。

でも、がむしゃらに仕事をしていた数年間を考えると、あの頃の自分にはもどりたくない、というのが当たり前の本音です。

がむしゃらに働いて寿命を縮めて、あるいは病気になって何らかの後遺症を背負っていきていくのはつらいですよ。

だったら、出世とか肩書とかそういうのはあまり気にせずに、そこそこお金を稼いで自分のペースで仕事ができればいいかなというのが今の考えです。

 

50歳になるまであと3年。これからの時間を日々大事に使っていけば、充実した人生をおくれるでしょう。

よく毎日全力投球だなんて言っている人がいますが、そんなのは無理です。

ただ無駄な時間は極力省きたいなとは思っています。

ボーっとしている時間も大事ですが、それがいたずらに長くなってしまうのは避けたい。

ネットをしている、テレビを見ているなんてことで数時間経ってしまうのは、目的をもってやっているときはいいのですが、そうでないのであればもったいないですよ。

その時間を自分の時間として使うことができれば、なんか充実した人生を送れそうな気がしますよね。

さあ、どうしよう?

 

人生50年!

これからの後3年間、とにかく大事に生きていくためには、やはりいろいろとあちこちで言われているように、いくつか目標を決めてそれに向けて日々タスクをこなしていくことが非常に大切なんでしょう。

少し難しい話ですが、最近「論語」っつう本を読み始めました。知り合いのえらい先生に40歳を過ぎているなら古典の一つや二つを勉強しておくと、その後の人生に活きてくるからと言われて、手にとったのが論語です。

簡単な和訳の本とかあるので、まだ少ししか読んでいないのですが、内容的にはビジネス書みたいなものです。読んでいると、「ああ、なるほど」とうなづいてしまうようなことが書いてあります。

その中に、

「子曰わく、道に志し、徳に依り、仁に依り、芸に游ぶ」

というのがあります。最初の方に出てくる内容です。

やりたいことややるべきことは人として正しい方向(道)に向かいながら、実践の中で道徳(徳)を身につけて、人を思いやる心(仁)をもち、その上で教養(芸)を身につけていくような日常をおくりたいものだ

というような意味だそうです。

この場合の「芸を游ぶ」というのは、六芸(りくげい)といって、6つの教養を身につけよということを表しています。六芸とは礼(礼節)、楽(音楽)、弓(弓術)、御(馬術)、書(書道)、数(数学)のことで、この時代の人々にとってこの6つのことを習得していないと教養のある人とはされませんでした。

人として正しい道を歩きながら、他人を大切にすることは当然のこととして、さらに教養を身につけることで、素晴らしい日常を過ごすことができるということなのでしょう。

50歳になって次の新しい職場に移ったところで、じっくりこれらの教養を身につける時間があるという保証はありません。多分ないでしょうか。新しいところで始めるときは、とにかく忙しいのが普通で、その間にそのような時間は十分にとれないものです。

 

であれば、この2,3年間でなんとか六芸を身につけたいものです。

 

では、六芸とは何でしょう?

哲学者の内田樹先生の本に分かりやすく書いてありましたので、自分なりに覚えていることを書いてみたいと思います。

 

 

①礼(礼節):

上手にナイフとフォークを使う、敬語をうまく話せるといったことではありません。今生きている人はもちろん過去に亡くなった死者を敬うという意味であります。昨今お墓参りでさえもきちんとできていない生活を送っているので、やはり最低限のことはしなければいけないのでしょう。鳥居の前で一礼するとか、仏様の前で手を合わせるとか、そう言ったことも必要と感じます。自分がやることで、子どもも真似てくれれば、将来その意味がわかるというものです。

もちろん、宗教にのめり込むということではありません。ただ宗教という文化と比較的結びつきの弱い日本では、きちんとした精神の文化というのは育ちにくい環境があり、そういうところに犯罪やカルトなどがはびこりやすいと言われています。

子どもを教育する上でも、このように目に見えないものに対する敬いをもつことの大切さを教えることは大切かと思います。

②楽(音楽):

音というのは今鳴ってるものではありません。聞いた時にはすでに過去のものとなっています。そしてそれを聞いて次の音、つまり未来をイメージしてメロディを聴くものです。過去から現在、未来へとつながる時間のループにまさに並走しているのが音楽であります。過去の一瞬を表現した写真と違って、また過去の時間の流れを再現した動画と違って、音楽は過去から未来に向かって流れていきます。

何かしら楽器を演奏することは、それゆえに時間の流れに身を任せることになりますし、心の癒しにもなります。

③弓(弓術):

これは敵のいないスポーツです。内なる自分と対峙し、自分の体をモニタリングしながらの競技です。構えて狙いを定め、矢を放って的に当たるのを確認する。その一連の動きの中で自分の肉体状態(姿勢や力の入れ方、呼吸など)、精神状態(集中力、注意力など)をモニタリングし、その一つ一つを修正しながら動きを調整していくのです。野球やサッカー、格闘技などの敵のいるスポーツと違い、すべて自分とその周囲の環境(天候など)だけに左右されることになるので、普段から如何に修行しているかということが大事になってくるのです。

④御(馬術):

動物とのコミュニケーションというのも大事で、言葉の通じないもの、意思疏通のとりにくいものに対していかに寛容になれるかということなのでしょう。言葉は通じなくても、自分の気持ちは伝わるものです。自分が焦ったり慌てたりすると、馬も落ち着きなくなります。

子育てにペットを飼うことがいいという話はよく耳にします。コミュニケーションがとりにくいものに対して、いかにイメージを膨らませて相手の気持ちを汲み取ることができるかということが非常に大切になってきます。

⑤書(読み書き):

読書というよりは読み書きなのでしょう。文字通り、読むということと書くということです。本を読むことで遠い国あるいは過去の師匠に出会える、また普通には体験できないようなことを経験できる。またスキマ時間など自分のペースで本を手に取ることができるので、自然と心の余裕をもって本に集中できるのです。その一方で、字を書いて手を動かすことで、より脳の深くに文章が刻み込まれます。読むだけだと右から左にスルーしてしまうようなことでも、声に出して音読、あるいは紙に字をしたためることできちんと体に染み込ませることができるのです。

⑥数(数学):

これは今でいう数学とは少し違うようで、単なる計算ということではなく、ある意味物事を理論的に捉えるための道具という意味合いが強かったとされています。ただ生活を便利なものにする、物事をわかりやすく分解してまた構築していくという意味では、今我々が学校で勉強する内容と同じかもしれません。

たしかに計算機のなかった時代に暗算ができれば、それは重宝されるでしょう。今では、統計学の知識があるとかプログラミングができるというのがそれに当たるのでしょうか。

 

 

そんなわけで、これからの2,3年でなんらかの勉強の姿勢を見せていこうと思っていますが、これまでいろいろと計画立てては計画倒れ、3日坊主と長続きしなかったのが自分です。

時間は止まってくれません。このままで50歳を迎えるのは悲しいじゃありませんか!?

さあ、えらそうなことをつらつらと書いたからには、何か行動を起こせ!

というわけでたーさんでした(終)