こんにちは。
最近、花粉のせいで朝から目がかゆくてたまらんです!
これ、なんとかならんもんですかね?
花粉症の目には下のポチっと効くらしいです。
さて、今日は高齢者の車の運転の話です。
自分もいずれは高齢者の仲間入りするわけで、当然そのときには他人事では済まされなくなります。
そこで、そうなる前になんとか考えなくてはいけない問題。
ある場所からある場所への移動手段として、徒歩、自転車、自家用車、そしてバスや電車などの公共交通機関があります。当然ながら距離が離れれば離れるほど、利用できる交通手段の選択肢は少なくなってきます。
自宅から数百mの距離を健康的に歩いて行ってもいいし、時間がないので自転車でひとっ走りしてもいい。さらには足が悪い人ならば、あるいは疲れている人ならばバスや電車、タクシーを使ってもいいでしょう。自分も一時期めんどくさがり屋が前面に出てしまっていたときは、すぐ近くのコンビニや吉野家に行くのに、自家用車を使っていました。買ったものを運ぶのに自家用車は非常に便利ですし、牛丼大盛を食べたあとに苦しいお腹で歩くのは非常にしんどいのです。
その便利な車ですが、特に体の自由がきかないお年寄りの方々にとってはなくてはならない乗り物。
あまり出歩けない方々の場合、近所のスーパーに1週間に1度の買い出しに行くと、どうしても荷物はたくさんで重くなってしまいます。そんなときに歩きで行ったとしたら全部自分ひとりで背負えるわけではなく、二人で行ったとしてもやはり限度がありますね。ですから車で買い出しに行けば、帰りはどんなに楽か。
特に地方に住んでいると自宅からスーパーまでが遠い。そんな生活では、車がないとどれだけ不自由か。
新鮮な野菜、海産物やお肉を気軽に買うことができない生活は、どれだけ不健康な生活になるか。もちろんインターネットが使えればいいけど、そうでなければ郵便、銀行などでの請求の支払い、お金の引き出しなどもなかなか難しい。
近所の人たちとの集まりに参加するために、町の集会所に顔を出すのにも、車がないとそこに行くのが大変なのです。
つまり、車がないと、行動範囲が自宅周辺に限定されてしまうわけです。そうなるとますます動かなくなるし、日常における刺激、人とのふれあいも減ることになります。 つきましては、頭の活性化も落ちることになります。
ある論文で、認知症発症率は都市部よりも地方の方が高いということが書かれていました。この理由としては、都市部では移動手段はもっぱら公共交通機関で、乗り換えなどでは歩くが求められるからとされています。歩くことにより認知症になりにくいことはかなり有名な話ですが、まさに都市部では歩かなければいけないような設計になっているわけで、その結果認知症になりにくくなります。一方、地方では前述したように移動手段はもっぱら自家用車。おじいさんが軽トラに乗って、毎日畑に行っているイメージです。要は1日の移動距離の大部分を車で移動してしまうので、1日の平均歩行距離は自ずと少なくなるわけです。それに加えて、体が不自由になったとかで車の運転をしなくなった、もしくは運転ができなくなった高齢の方々も、自宅周辺がもっぱらの行動範囲になるので、歩く距離は極端に少なくなります。
別の論文では、普段の生活で車を利用している高齢者と利用しない高齢者では、利用しない高齢者の方が数倍認知症になりやすいというデータを示されていました。つまり、車を利用することで、先にも挙げたように行動範囲が広がり、ほかの人と出会って話したり、新しい刺激と触れ合うことで、認知症発生率が減るということなのです。
でも、残念ながらここ数年高齢者の車の運転にストップをかけるような事故が多く報道されています。小学生の列につっこんでしまいけがをさせたり、高速を逆走して衝突事故を起こしたり、1か月に何件かはそういう悲しいニュースが報道されます。
そして、そのたびに高齢者の車の運転をやめさせるように、免許を返納するようにという声が上がります。もちろん、被害者およびその家族の立場を考えると、それは当たり前のことだろう、となるでしょう。このように高齢者というだけで、交通事故の加害者になるリスクがあるわけで、それをやめさせることで未然に事故を防ごうとするのは当然なのかもしれません。
しかし、それを当然とすることにより実際法整備がされたりしたら、貴重な移動手段を奪われた高齢者はこれからどのように生活すればいいのでしょう。もちろん、交通網が発達している都心に近いところであればなんとかなるでしょうが、田舎の1日数本しかバスが来ないような集落では、ほとんど引きこもり状態になってしまいかねません。食料品の買い出しも行けないし、雨が降ったり冬の寒い日には家でじっとしているしかないのです。下手すると、孤独死の原因になるかもしれません。誰かが心配して山奥の家々を一軒一軒訪ねまわっていかないかぎり、その悲しい結末に気づかない可能性もあります。
難しいのは、都市部や郊外の交通の便がよいところに住んでいる人の立場に限って、
「お年寄りは車なんて乗らなくてもいいだろう。」
「公共交通機関を利用すればすむじゃないか。」
「こんな狭い人が密集する地域で事故を起こされたりしたら、ものすごい危険だよ。」
というように考えます。
一方、地方の田舎に住んでいる人の立場で考えると、
「車がないと餓死をしてしまうよ。」
「病気になったら、どうやって病院まで行くんだ?」
と当たり前の意見があるとしても思います。このように、彼らにとっては車はなくてはならない乗り物なのです。
事故が起きるたびに、加害者の年齢を活字の中に探してしまいます。そして、高齢であることを見つけると、
「やっぱな」
と思ってしまいます。
しかし、これはある意味偏った物の見方です。世の中には、安全に運転している高齢者もいるわけですし、逆に暴走したりあおったり、酒飲んで運転する若者もいるわけです。
高齢者の運転がいいか悪いか、という問題については深く議論する必要がありますし、何かいい案をみんなで知恵を絞って考える必要があるでしょう。
以上たーさんでした(終わり)