たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

言葉を学ぶことの意味、メリットは?~中国語勉強、現在進行中~

こんにちは。

 

いよいよHSK中国語検定が来週に迫ってきました。

問題集を解いてみましたが、正直一番下の1級でさえ満足に点数をとれない状態!

(マジ、やばっ!)

 

しかし、こうして焦りと危機感を感じている一方、少しずつですけど中国語の勉強が楽しくなってきている自分がいるのも確かです。

中国語の新しい単語や言い回しを勉強していくと、なぜか政治とかそういうの関係なく、中国が親しみやすい、より近い国に感じます。

 

さて、新しい外国語を勉強する「意味」もしくは「メリット」について考えてみました。

今回中国語を勉強して、単に日常会話ができるようになる以外にも、ほかの効果があることを実感しました。

 

「外国語を勉強する」って何でしょう?

海外ではどうなのでしょうか?

実際、海外の学校やビジネスでは、母国語以外に英語はもちろんさらに1,2か国語はだいたいの人が話せています。もちろん、国の性質上母国語が2つ以上ある場合もありますし、ビジネスにおいて必要に迫られてペラペラになっている場合もあります。

しかし、そういう理由以外に学校でのカリキュラムが外国語を勉強するようになっていることの方が欧米では多いようです。自分がいたドイツではすでに小学校から英語はもちろんですが、ラテン語をみんな必修でやっており、そこからフランス語、スペイン語と派生言語を学ぶようなカリキュラムになっていました。ラテン語はすべての言語の基礎になっている言葉であり、また生物学の学名や医学の解剖、哲学や宗教学においても絶対に必要とされる言語です。ですので、ラテン語を勉強した彼らにとって、そこからラテン語をルーツにもつ言葉を勉強するのは容易でありますし、将来様々な学科の勉強する上でも専門用語などの言葉の上であまり苦労することはないようになっています。

 

日本での外国語学習事情は? 

日本ではそのようなカリキュラムになっていませんし、日本語と全く共通点のない英語を学ばなければいけないのは非常にハンディです。

しかし、それでも英語を含めて母国語以外の言葉を学ぶことは非常に意味があると考えます。実際に意味があるから、授業で取り入れられているのでしょうから。

その一方でこれだけメリットがあるのに、2,3言語を流暢に話せる人が少ないのも現実です。小学校からネイティブ・イングリッシュが必修になっていても、実際に大学にまで進学しても、英語のレベルは受験英語にとどまっているのが現実です。そのために、論文投稿などでいいアイデアがあり、いかに内容がいいものであっても、英語でつまづいてしまい、世界にだいぶ遅れをとっているのが現実です。

 

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さて、母国語でない言葉を学ぶメリットについてあげてみたいと思います。あくまでも、自分の視点からの意見ですが。

 

母国語の発展

外国語を学ぶにあたり、その基本になるのはあくまでも母国語であることは間違いのないところでしょう。外国語を勉強するときに、母国語のルーツや単語の成り立ち、文章の基本構造を見直すことは当然必要なことです。

私たちは、普段自分たちの言葉を話すときに、だいぶ文章の一部分を省略してしまっています。

分かりやすいのは

「おーい、お茶」

主語も述語もありません。正確には

「おーい、○○さん。私に湯呑一杯のお茶を注いで持ってきてくれ。」

となるのでしょうか?

私たちが外国語で話そうとする場合は、よほどネイティブに近い状態でないかぎり、いったん母国語で文章を作り、それを外国語に置き換えていくという作業を行います。この際に、当たり前ですが母国語の文章は主語、述語のある正式な文章にしないといけません。

でないと、先ほどの例だと

Hey! Tea!

になってしまいます。

2つの言語を理解するまでは、1つの言語を理解できない

という言葉があります。要するに、自分の話している母国語が正しいかどうかは、外国語を学ぶ際に再度母国語を見直すことによりはじめて気づくことも多いということなんです。ですので、2つ以上の言語を話せる人の多くは、きれいな日本語を話しているという印象があります。

(自分は例外かもしれませんが)

 

外国語の言語中枢

以前に、日本人の患者で、仕事で中国での生活が長く、中国語を流暢に話すことができる方が脳腫瘍になり、その入院時にいろいろと検査を行ったことがありました。

たいていの右利きの方は脳の左側に言語中枢があります。その方の場合も、母国語である日本語の言語中枢は通常の左前頭葉にありましたが、中国語を話したときに使う脳の領域は日本語のそれとは離れたところに存在していました。ですので、実際に日本語の脳の領域を刺激してその機能を停止させた場合でも、中国語は話せました。そして、逆も然りだったのです。

実際に言語中枢に関する論文では、新しい言語を学ぶことで、言語中枢が新たに構築されて脳の機能範囲が拡大するとされており、それと同時に神経回路の増加で情報処理を行うチャンネル数も増えるとされています。2か国語以上話せる患者の場合、母国語の言語中枢の一部にかかるような脳腫瘍ができたとしても、コミュニケーション能力は維持されます。その領域に脳梗塞が起きても、もう一方の言語中枢が代償性に働いてくれる可能性があるということです。

神経回路が増えることで、認知症になりにくいという報告の論文もあります。単一言語しか話せない人に対して、2言語以上話せる人は数年も認知症の発症が遅いと言われているのです。

 

外国語を学ぶ過程

母国語をどのように学んだかというのは、残念ながらたいていの人には記憶にないでしょう。実際、自分の子どもの言葉の発育過程を見ていても、いつのまにかこんな言葉を覚えたんだということでビックリすることが多々あります。自分の記憶をたどっても、母国語をどのように覚えたかは、なんとなく曖昧な気がします。頭(脳)で覚えたのでしょうけど、表現としては体であるいは心で覚えたような感じだと思います。

しかし、第2言語である英語については、明らかに中学のときに文法でSVOとかSVCとかを習って始めたという記憶があります。もちろん、文法と単語の丸暗記では流暢な英語を話せるようにはなりませんが。

さらには、映画を観たりテレビドラマを観たり、あるいは外国の人と話したり、目や耳で見たり聞いたりしたシーン、つまり視覚刺激との結びつきで学んでいったような気がします。つまり、文法を理解し、単語を覚える、シーン(シチュエーション)での対応の仕方を学ぶといった、より論理的構造的思考を要しています。そして、実際これは外国語を学ぶとき以外でも、ほかの科目を勉強する上でも必要とされる考え方なのです。2か国語以上話せる人は外国語から得られる情報がインプットされやすい以外にも、論理的構造的思考過程から数学などの科目を得意としている人が多いということも知られています。

 

より多くの情報を、それも正確にインプットすることができる

いまや世の中に氾濫している情報は、有用なものもあれば全くの偽情報もあります。書籍のように文字媒体として記録が残るものでないネットの世界では、一部のWikipediaをはじめとしてうその垂れ流しが当たり前のようにまかり通っています。そして、それらが正しいかどうかを検証するのは自分自身しかいないのです。しかし、自分の近いところから離れれば離れるほど、うそかほんとかの鑑別がしにくくなってきます。例えば、日本に住んでいると海外でどんなことが起きているのか、断片的にしか情報が入ってきません。そんなときも外国語ができれば現地に直接言って情報を仕入れることができます。あるいは外国語の書籍、論文を手に入れることで、正しい情報をインプットできるのです。ネットでも正しい情報筋からであれば、現地の新聞社などから直接の情報を受け取ることができます。

 

新しい文化を学ぶ(体験する)

外国語を学ぶことでその国の文化、歴史、生活様式などを学ぶことができます。短時間で外国に行けて、ネットで瞬時につながってしまうこのグローバル社会においては、いい部分もたくさんありますが、あまりにも自分と相手が密接になってしまいすぎる傾向があります。つまり、知らず知らずのうちに自分の国の習慣やしきたりを相手に押し付けてしまっているのです。相手の国に行っても、自分の習慣やしきたりがそのまま有効であると勘違いしたり、日本に観光に来た外国人に相手の事情を無視して自分たちのやり方を強要させてしまっていたりします。

外国語を学ぶ過程では、相手の国の文化、習慣やしきたりを勉強することになります。その結果、母国語との区別から、相手の国を意識するようにもなります。つまり、自分と外国との間に一つ線をひくことができるようになるのです。

自国ファーストを掲げるトランプ政権やヨーロッパでのアンチ移民の動き、そして韓国での反日運動および日本での嫌韓の傾向。いろいろと深い根っこをもった事情がありますが、それに追随する人々の多くはその深い事情、歴史についてはほとんど知らずに、表面上のその動きに乗っかっているだけであることが多いのではないでしょうか。相手の言葉を知り、歴史や文化について学ぶ機会があれば、自分たちの行動がいかに浅く薄っぺらいものであるかわかるようになりますし、逆に相手国との結びつきが深いところで形成されるように思われます。

 

 

さて、この記事を書いたら、再び中国語の勉強です。中国語を話せるようになったら、香港旅行に行きたいと思っていますし、中国の古典を勉強してみたいと思っています。

中国語検定については、人に聞くと最上級あたりは中国の大学入学レベルになるらしいので、そこまでめざすかどうか迷っています。ただ言葉がスラスラと話せるということがどれだけ楽しいか、どれだけ自分の世界が広がるかということを最近再確認したので、またそれは次回に書こうと思います。

 

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今日はお読みいただきありがとうございました。

以上たーさんでした(終わり)

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