こんばんは。
今日は朝から悲しいニュースがずっとテレビで流れていました。
みなさんも、もうご存知だと思います。
世の中に夢を与える人たちが、こうも悲しい目に合わなければいけないなんて。
少しでも多くの人が助かりますように。
亡くなられた方に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
正直、日本はもはや安全な国ではなくなってきたような気がします。
何をいまさら、なんて思うかもしれませんが、自分はちょっと前まで海外よりは
日本の方が安全に暮らせると思っていました。
テロだって戦争だって、日本ではあまり起こる気がしませんでした。
たぶん、そう思っていた人は自分だけではないと思います。
自分も含めて、みんな「日本は平和だ!」と安心しきっていたと思います。
しかし、国民一人一人のバックグラウンドが多様なものになってきてからは
なんか日本が陰湿な国になってきたような気がします。
かつては、一つのコミュニティの中ではほとんどみんな同じような考え方をもち、
お互いを尊重して、何か助け合えることはないかと常に優しく伺っているような
社会でした。
村には一人のリーダーがいて、しきたりがあり、みんなそれに従って生活し、
何かあればみんな協力して乗り越えていく。そんな社会だったような気がします。
しかし、徐々に社会が大きくなるとまとまらなくなり、やがて派閥ができて対立するようになってきました。しかし、その中でもその派閥どうしで対立することがあっても、
相手の主張をしっかり聞いて、それに対して声を上げるということはしっかりできていました。お互いを分かり合おうという気持ちが必ずあったのです。
携帯電話の時代になり、相手が暇だろうが忙しかろうが、ピッポッパッで電話で自分の要件を伝えるようになってきました。
相手の姿は見えないので、声だけで相手の調子を判断します。ですから、心の中で面倒くさいなと思っていながらも、あるいは目が明らかに怒っているようでも、声だけはやさしく話す ようにすればよかったのです。
しかし、このあたりから、人は相手の様子を伺うということをあまりしなくなってきました。自分の言いたいことを真っ先に言いたいというような人たちが増えてきました。
たしかに、社会が成長するにつれて、人と人との距離感が広がってきたので、相手の様子を見に行くなんてことはできないので、仕方がありませんよね。携帯電話は非常に便利なツールだったんです。
さて、次はメールの時代です。相手に文章を送るだけです。
当然、相手の姿をみることはありませんし、相手の声を聞くこともありません。
相手が落ち込んでいても、相手が怒りモードに入っていても、相手がすごく楽しい時間を過ごしている時間は送信者にとっては同じなんです。
携帯電話のときは、相手の調子を声のトーンから判断することはできたのですが、メールの時代にはそんなことはできません。
受け取る方は書かれた文面をみて、相手がどんな状態でこのメールを書いたのか判断するしかありません。
当然勘違いもありますし、すぐに相手の意図を把握することもできません。
だから、メッセージを送る側は相手が間違ったとらえ方をしないように、じっくり文章を練って、書き出してから送信するのです。
いまや、LINEをはじめとするSNSの時代。
自分の思いついたことを、スマホを使ってLINEで送ったり、ツイートしたりするわけです。思いついたまま打ち込むわけですから、そこには相手のことを思って文章内での言葉遣いを気をつけるなんていうデリカシーはありません。
下手すると、一方的に自分の意見を相手に押し付けることになるかもしれませんし、不特定多数の人に、人が傷つくような内容を拡散してしまうこともあります。
送った側の表情もわからないし、声の調子もわからない。
オブラートに包んだ文章でもなく、どストレートで文面が届くのです。
そして、それを良しとする今の社会。
人は、相手の気持ちを探る、相手が気を悪くしないように気を遣う、なんてことがどんどん下手になってきているのです。
自分の気持ちを押し通そう、気を遣うなんて面倒くさいというようなのが当たり前の今、人は極端な方法で自分をアピールするようになってしまうわけです。
口よりも手が出てしまう、それも相手からやり返されないように、極端な手で。
広がりすぎた社会から孤立した人たちが、その傾向にあるのでしょう。
やはり、昔のように隣同士の付き合いがあり、お互い気ごころ知れたコミュニティを再形成しないと、今日のような悲しい出来事はどんどん増えてしまうような気がします。
思い切り自分の考え方を述べてしまいました。正解かどうかわかりません。
ただ世の中がなんとなく間違った方向に進んでしまっているような気がしています。
以上たーさんでした。終わりです。