何かを目標に挙げたときに、それにすぐに取り掛かることが大切であることは言うまでもない。
限られた人生の中で時間は貴重だ。
だから、スピード重視で、すぐに第一歩を踏み出して、目標に向かって歩み始めるのがいいに決まっている。
ただ現実的になかなかそのきっかけとなる一歩目が出て行かない。
一歩目が出る前に、言い訳が口をついて出てしまう。
「今忙しいから」
「まだすぐでなくてもいいだろう」
「ほかにもっと大事なことがあるから」
「もう少し考えてから」
「...」
(俺の悪いところだ)
(みなさんは、どうですか?)
では、どうしたらいいのか?
と、その前になぜそういうことになってしまうのか、考えてみた。
人間としての仕事の放棄
人間が物事に取り掛かるときに働かせるところは、体か脳みそ。
だから、理由としては単純に、この2つの臓器が両方ともが動いてくれないから、ということになる。
つまりのところ、
①どのように体でもって動き始めて、行動していいかわからないから、体を動かすのを不効率に感じて、まずは頭の中で考えてみようとする。このときの状態を「面倒だから」と一言で言う。
②でも頭の中で考えようとしても、漠然とはわかるが具体的なところどうしていいかが分からず、結局脳みそを働かせるのも面倒くさがって、後回しにしてしまう。より単純な作業を先にやってしまうわけだ。
要するに、面倒を嫌って楽な方に流れていってしまう。
(極端な話、人間という仕事の放棄だな)
自分が、どこかに行こうとする場合
もともと運動音痴で、インドア派な私の場合、どこかに出かけようとなると、どうしても最短距離を行こうとしたがる。
また無理に険しい道を歩いていくほど、どMではない。
いかに坂道の少ない道を通るか、いかに早く、ただし走らずに目的地にたどり着けるか。
そんなことばかりをまず考える。
しかし、考えようとするうちに、家にいるべき理由を見つけ出して、結局そこでゴロゴロしてしまう。
「今日は行かなくてもいいや」って。
どの道を行くか考えていくことが大事なのに、頭を使うことも投げ出してしまうので、結局目的地にたどり着かない。
楽に頭を使うことが大事
せめて、少しは頭を使おうよ。
んで、どうすればいいのか。
かつては、目的地に向かうのに地図帳を開いたり時刻表を引っ張り出したり、ガイドブックを読んだり、はたまた行った人から話を聞くしかなかった。
しかし、今ははるかに便利になった。
ネットで検索すればいいのだ。
どうやって行くのか、調べたいことを打ち込んで、検索ボタンをポチっと押すだけ。
実は時代の進歩により、それほど頭を使わなくても簡単に道を教えてくれるのだ。
どうせ家でネットサーフィンをしているのだから、それくらいは面倒ではないはずだ。
なんとか、そこまで自分の頭を使うようにもっていきたい。
調べることで、正確に緻密になる
当たり前だが、調べると成功率が上がる。
そして、より確実に、そして緻密に物事が進む。
より具体的にいろいろと知識がついてくれば、目的地に向かう自分、そしてたどり着く目的地のイメージが湧くだろう。
そうすると、それをきっかけに重い腰を挙げて。そこに向かおうとするはずだ。
もちろん、一緒に行ってくれる人がいると、なおさらいい。
引っ張ってくれるからだ。
どのくらい調べるのか
さて、物事を調べるにあたり、どの程度調べればいいのだろう。
単純にどこかに行くだけなら、ナビタイムで十分。
ただ目標に向かって何かを始めるのであれば、徹底的に調べるべき。
体を動かすのが面倒と感じている間は、とにかくまだその機が熟していないので、調べまくるのがいい。
そのうちに、動き出そうというキッカケが出てきて、重かった腰が少し軽くなって動き出せるようになるはずだ。
調べることのいい点は、もう一つ。ほかの人と同じだけの知識しかなければ、そこまでしか成長しない。
調べた分だけ、自分は成長し、より最短距離で物事を進めることができるのだ。
とにかく徹底的に調べることが大事。
「もう少し調べてから」
最初の方で挙げた、何かをしない言い訳の一つ、「もう少し考えてから」を「もう少し調べてから」にするのだ。
今まで、どうしたらいいのかわからないと思っていたことは、実は検索すれば必ずやヒントは得られるものだ。
例えば、ブログの始め方にしても、確定申告の仕方にしても、自宅への光回線のひき方いしても、ちょこっと検索すればすぐにわかりやすい解説が出てくる。
なのに、体だけでなく頭も動いてくれないから、結局やらないか、ギリギリになってやることになる。
とにかく、調べ倒すことからはじめよう。
そうすれば、早い時期に動き出すきっかけが出てくるはずだ。