たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

唯一長く通うことのできた塾での話

おはようございます、たーさんです。

 

私の場合、今もそうですが、昔から同じことを続けることが苦手でした。

小学校のときに、漢字ドリルで同じ漢字を縦に何個も書いたり、

中学のときに英語の文章を1ぺージ分書きつづったりするのが嫌いでした。

みなさんはどうでしたか?

もちろん、私に限ったことではなく、ほぼ全員こんなつまらない宿題出すなよって

思っていたかもしれません。

ただ私の場合は、宿題に限らず、ほかの場合にも当てはまりました。

 

まず習い事が続きません。

幼稚園から習い始めて小学校まで続いたもの、

小学校から習い始めて中学校まで続いたもの。

 

ありません。

 

水泳、サッカー、ピアノ、バイオリン、習字、そろばんなどなど。

こう書き出してみると、うちの両親は少しでも私の興味をひくものを見つけようと

一生懸命だったんだろうな

と思います。

ネットとかない時代だったので、近所を探し回って、商店街でもいろいろと

聞きまわっていたみたいです。

でも、せっかくはじめても長続きはしませんでした。

 

友だちができれば続けられるんじゃないか、と親が教室にきて、隣に座った子に

母親が話しかけているのをみると、逆に恥ずかしくなり、それで習字教室をやめた

こともありました。

 

すでに先にやっている子が先生のまわりで雑談しているのをみると、自分は

あそこまで溶け込めないだろうし、今やっていることも別に興味があまりないから

という感じで、親の苦労も知らずに平気で

「今度から行かない」

と、親に言い放って困らせていました。

今から考えると、続けていれば何かスキルを身に着けていたかもしれないし、

達成感を得ることもできたんじゃないかと思いますが、後の祭りですね。

 

中学受験とか大学受験とかで塾に通うにしても、何回か変わっています。

(幸い通っていた学校は中学高校一貫教育だったので、高校受験はありませんでした)

塾も初日はウキウキしていくのですが、数日経ってなんとなく行くのが面倒になって

きて、だんだん休みがちにあるという始末です。

何が原因で行かなくなったんだろう?

今になって分析してみると、やはり一番大きいのは

いつも同じ時間、同じ席に座って、同じメンツで授業を受けるということ。

講師が話している内容はテキスト通りで、特に目新しいことはなかった。

さすがに、3日でやめるなんてことはなかったけど、

でも1年間続けばいい方だったかな。

でも、気づいたら長年通い続けて積み重ねて勉強してきた人たちと比べて、

毎回新しくその塾のカリキュラムをはじめる自分は

いつもスタート地点が後ろの方だったわけで

高校2年以降になるとついていくのが難しくなってきました。

 

小学校や中学校では、途中編入でもなんとなく授業についていけたので、

「こんなもんかな」

「そろそろ行くのがだるくなってきたから、やめようかな。」

「次またさがしてくれるだろう」

なんて思っていました。

しかし、いよいよ高校2年になって大学受験本番モードに入ってきたところで、

いきなりハイレベルな授業になっていたのでとまどいました。

 

ただ高校2年に最後に入った塾は、大学受験直前まで継続できたんです。

ほぼ2年間。

何がよかったのか。

 

そこで面白かったのは、教科書はあるんですけど、ほぼ先生の雑談がメイン。

「某メーカーのシャンプーの成分は、牛の胆汁と組成が一緒なんだぞ」

とか言いながら、有機化学の授業を面白く説明したり

スエットを裏返しに着てたので指摘したら、

「この裏地の方が、摩擦が発生しやすいので、トイレから出て手を洗って拭くときに

便利なんだよ」

とか言いながら、物理の摩擦の話を始めたりするんです。

 

もちろん、向こうの作戦通りだったのかもしれませんが、でも毎回毎回どこかに

雑談のポイントなる隠し味がしこまれていて、授業の真ん中あたりになっても

教室の誰も気づかなかった場合には、

「君たちはなんで気づいてくれないんだ?!」

と、種明かしをして授業が脱線します。

 

その日は、靴下の左右が違う色のものだったんです。

(気づくかい!)

そこで教わったことは、化学でも物理でもありませんでした。

「別に左右同じ色、同じ模様でなくてもいいじゃない。なんで、左右一緒でないと

いけないの?」

ということ。

「かっこ悪い」

「おかしいよ」

「恥ずかしい」

「そういう風に売られているじゃないか」

いろんな意見が出てたように思います。

笑いながら先生は、

「靴下を履く目的はなんだ?足元が寒くないようにするためだろ。だったら、別に

左右色違いでもいいじゃないか?おしゃれのために靴下を履くんだったら、冬でも

半ズボンを履いておけ。」

そこから先生は続けていきます。

「今回の例は極端だが、大事なことは何のために今自分がその勉強をするのか

ということを常に考えてほしい。今勉強しているのは、大学に入るため?だったら

別にこの塾でなくていいよ。大手の塾に行けば、もっと受験にあった授業を

してくれる。」

「俺が教えるのは、君たちがそれを好きになって、それを自分の将来の仕事や生活に

今勉強していることを活かしてほしいから。君たちは、この問題を解くときに、なんで

このような問題が作られて、それを自分の生活にどのように活かせるのか

考えてほしい。その方がやりがいがあるだろう?」

「問題を解くときに、公式を当てはめて正解を導き出すのは簡単だ。

コツさえつかめばいいからな。問題の正解にたどり着きたいのなら、解答をみながら

覚えていけばいいわけだ。ただ世の中のことって、やり方が一つでないときもあり、

さらには正解が一つでないときもある。」

「大事なことは何が最終目的かということを考え、そこに向かって自分が

どれだけ試行錯誤したかという途中経過を必ず明示し、そしてそれゆえに

自分が導き出した正解はこれ。ということを明らかにすることが大切なんだよ。」

「もちろん、出題者が意図した正解というものがあるので、そこに達する必要が

あるかもしれないけど、出題者がそれだけを求めていて、その過程を評価を

しないような問題は悪問である。」

そして先生は言った。

「ということで、俺の靴下における最終目的は、寒くなきゃいいやということなので

柄なんぞ気にしない。それが正解だから。」

「まあ、今朝急いでいて、つかんだ靴下がこれだったからというのが本当のところ

だけどね。ハッハッハッ。」

オチまであった。

最後に生徒から突っ込まれていた。

「いや、先生。それじゃ、正解でも途中の過程があまりにもダサすぎて、部分点も

もらえませんよ」

毎回こんな感じの授業だった。

飽きっぽくて長続きしない私が、はじめて2年間楽しく通い続けた塾でした。

もっと早く先生に出会っていればよかったのかな。

 

今も普段の仕事で、結論はもちろんですが、そこにたどり着いた過程も大事に

するようにしています。

その過程を前もって書いているのが計画表で、それゆえに仕事が遅くなっているの

かもしれません。

 

www.taosanblog.com

今このブログを書いていて、そんな気がしました。

仕事が遅い自分の原因がここにありました。

でも、その反面興味をもって仕事に取り組むこともできています。

 

医学という道を進みながらも、いまだに化学や物理などに興味をもって

本を読めるにも、そのときに出会った先生のおかげです。

 

ではまた、たーさんでした。