たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

唯一長く通うことのできた塾での話

おはようございます、たーさんです。

 

私の場合、今もそうですが、昔から同じことを続けることが苦手でした。

小学校のときに、漢字ドリルで同じ漢字を縦に何個も書いたり、

中学のときに英語の文章を1ぺージ分書きつづったりするのが嫌いでした。

みなさんはどうでしたか?

もちろん、私に限ったことではなく、ほぼ全員こんなつまらない宿題出すなよって

思っていたかもしれません。

ただ私の場合は、宿題に限らず、ほかの場合にも当てはまりました。

 

まず習い事が続きません。

幼稚園から習い始めて小学校まで続いたもの、

小学校から習い始めて中学校まで続いたもの。

 

ありません。

 

水泳、サッカー、ピアノ、バイオリン、習字、そろばんなどなど。

こう書き出してみると、うちの両親は少しでも私の興味をひくものを見つけようと

一生懸命だったんだろうな

と思います。

ネットとかない時代だったので、近所を探し回って、商店街でもいろいろと

聞きまわっていたみたいです。

でも、せっかくはじめても長続きはしませんでした。

 

友だちができれば続けられるんじゃないか、と親が教室にきて、隣に座った子に

母親が話しかけているのをみると、逆に恥ずかしくなり、それで習字教室をやめた

こともありました。

 

すでに先にやっている子が先生のまわりで雑談しているのをみると、自分は

あそこまで溶け込めないだろうし、今やっていることも別に興味があまりないから

という感じで、親の苦労も知らずに平気で

「今度から行かない」

と、親に言い放って困らせていました。

今から考えると、続けていれば何かスキルを身に着けていたかもしれないし、

達成感を得ることもできたんじゃないかと思いますが、後の祭りですね。

 

中学受験とか大学受験とかで塾に通うにしても、何回か変わっています。

(幸い通っていた学校は中学高校一貫教育だったので、高校受験はありませんでした)

塾も初日はウキウキしていくのですが、数日経ってなんとなく行くのが面倒になって

きて、だんだん休みがちにあるという始末です。

何が原因で行かなくなったんだろう?

今になって分析してみると、やはり一番大きいのは

いつも同じ時間、同じ席に座って、同じメンツで授業を受けるということ。

講師が話している内容はテキスト通りで、特に目新しいことはなかった。

さすがに、3日でやめるなんてことはなかったけど、

でも1年間続けばいい方だったかな。

でも、気づいたら長年通い続けて積み重ねて勉強してきた人たちと比べて、

毎回新しくその塾のカリキュラムをはじめる自分は

いつもスタート地点が後ろの方だったわけで

高校2年以降になるとついていくのが難しくなってきました。

 

小学校や中学校では、途中編入でもなんとなく授業についていけたので、

「こんなもんかな」

「そろそろ行くのがだるくなってきたから、やめようかな。」

「次またさがしてくれるだろう」

なんて思っていました。

しかし、いよいよ高校2年になって大学受験本番モードに入ってきたところで、

いきなりハイレベルな授業になっていたのでとまどいました。

 

ただ高校2年に最後に入った塾は、大学受験直前まで継続できたんです。

ほぼ2年間。

何がよかったのか。

 

そこで面白かったのは、教科書はあるんですけど、ほぼ先生の雑談がメイン。

「某メーカーのシャンプーの成分は、牛の胆汁と組成が一緒なんだぞ」

とか言いながら、有機化学の授業を面白く説明したり

スエットを裏返しに着てたので指摘したら、

「この裏地の方が、摩擦が発生しやすいので、トイレから出て手を洗って拭くときに

便利なんだよ」

とか言いながら、物理の摩擦の話を始めたりするんです。

 

もちろん、向こうの作戦通りだったのかもしれませんが、でも毎回毎回どこかに

雑談のポイントなる隠し味がしこまれていて、授業の真ん中あたりになっても

教室の誰も気づかなかった場合には、

「君たちはなんで気づいてくれないんだ?!」

と、種明かしをして授業が脱線します。

 

その日は、靴下の左右が違う色のものだったんです。

(気づくかい!)

そこで教わったことは、化学でも物理でもありませんでした。

「別に左右同じ色、同じ模様でなくてもいいじゃない。なんで、左右一緒でないと

いけないの?」

ということ。

「かっこ悪い」

「おかしいよ」

「恥ずかしい」

「そういう風に売られているじゃないか」

いろんな意見が出てたように思います。

笑いながら先生は、

「靴下を履く目的はなんだ?足元が寒くないようにするためだろ。だったら、別に

左右色違いでもいいじゃないか?おしゃれのために靴下を履くんだったら、冬でも

半ズボンを履いておけ。」

そこから先生は続けていきます。

「今回の例は極端だが、大事なことは何のために今自分がその勉強をするのか

ということを常に考えてほしい。今勉強しているのは、大学に入るため?だったら

別にこの塾でなくていいよ。大手の塾に行けば、もっと受験にあった授業を

してくれる。」

「俺が教えるのは、君たちがそれを好きになって、それを自分の将来の仕事や生活に

今勉強していることを活かしてほしいから。君たちは、この問題を解くときに、なんで

このような問題が作られて、それを自分の生活にどのように活かせるのか

考えてほしい。その方がやりがいがあるだろう?」

「問題を解くときに、公式を当てはめて正解を導き出すのは簡単だ。

コツさえつかめばいいからな。問題の正解にたどり着きたいのなら、解答をみながら

覚えていけばいいわけだ。ただ世の中のことって、やり方が一つでないときもあり、

さらには正解が一つでないときもある。」

「大事なことは何が最終目的かということを考え、そこに向かって自分が

どれだけ試行錯誤したかという途中経過を必ず明示し、そしてそれゆえに

自分が導き出した正解はこれ。ということを明らかにすることが大切なんだよ。」

「もちろん、出題者が意図した正解というものがあるので、そこに達する必要が

あるかもしれないけど、出題者がそれだけを求めていて、その過程を評価を

しないような問題は悪問である。」

そして先生は言った。

「ということで、俺の靴下における最終目的は、寒くなきゃいいやということなので

柄なんぞ気にしない。それが正解だから。」

「まあ、今朝急いでいて、つかんだ靴下がこれだったからというのが本当のところ

だけどね。ハッハッハッ。」

オチまであった。

最後に生徒から突っ込まれていた。

「いや、先生。それじゃ、正解でも途中の過程があまりにもダサすぎて、部分点も

もらえませんよ」

毎回こんな感じの授業だった。

飽きっぽくて長続きしない私が、はじめて2年間楽しく通い続けた塾でした。

もっと早く先生に出会っていればよかったのかな。

 

今も普段の仕事で、結論はもちろんですが、そこにたどり着いた過程も大事に

するようにしています。

その過程を前もって書いているのが計画表で、それゆえに仕事が遅くなっているの

かもしれません。

 

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今このブログを書いていて、そんな気がしました。

仕事が遅い自分の原因がここにありました。

でも、その反面興味をもって仕事に取り組むこともできています。

 

医学という道を進みながらも、いまだに化学や物理などに興味をもって

本を読めるにも、そのときに出会った先生のおかげです。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

 

 

花粉症の時期は、ほんと目がかゆい

おはようございます、たーさんです。

 

気づいたら、3日ぶりの更新になっていました。

この間2日間、日曜日とはなんかバタバタしていて

それに対処しているうちに、

物事の優先順位の中でブログが下の方になっていました。

 

バタバタのまず上位にランクされるのが、

週末あたりから目がかゆいし鼻が出っぱなしだし、

いよいよ本格化した花粉症。

ハウスダストかもしれんぞ!)

特に鼻以上に自分の場合は、目がしらがかゆみがたまらなくなってしまい

気づけばこすっている状態。

目が真っ赤。

この目ン玉を取り出して、水でじゃぶじゃぶ洗うと、

黄色い花粉がとれるんじゃないのか、というくらい。

 

眼鏡をかけていたときもありました。

でも、今はマスクが必須なので

そこに眼鏡をかけると、もう目の前は見えない状態。

鼻口呼吸の荒い私の場合は、眼鏡をかけた瞬間から曇りっぱなし。

まさに「肉がない」状態。

(このCM知っている人は、だいぶベテランですね)

 

マスクの上の針金みたいな部分をしっかり折って、自分の鼻にフィットさせても

鼻の形が悪いのか鼻が低いせいなのか、いつの間にかスキマができていて

いつの間にか真っ白になってしまうんです。

このストレスが半端ない。

私の場合は、目の前が見えなくなるよりも目がかゆくなる方がまだいい

ということで、眼鏡をかけるのはマスクをしているときはやめました。

 

そこで、目薬を活用しています。

なかなかドラッグストアに売っている目薬でいいのってありませんでした。

そこでかかりつけの眼科で処方してもらっています。

眼科でも最初は、アレルギーに対して処方してもらっていましたが、

いまいち効果ないんですよ。

(抗ヒスタミンとか抗アレルギーとかっていうやつです)

私の目が特殊なのか、目薬をいれても涙が多すぎて流されてしまうのかは

わかりませんが、全然かゆみがおさまらなかったんです。

 

そこで、そのことを眼科の先生に話したら、次の出されたのが

ステロイドという薬でした。

なんか、ドーピングしているみたい!

これが抜群に効果あったんです。

それ以来、花粉の時期はこれを1日に何回か目に入れています。

 

普通の市販の目薬の成分をみてみると、

あまりステロイドって含まれていないみたいです。

それだけ強い薬だからなのでしょうか?

 

いろいろと調べてみると、

ステロイドって炎症を抑える働きがあるみたいです。

目がかゆいという状態になっているということは、

すでに目の中で炎症を起こしている状態なのです。

だからステロイドが効果あるんですね。

もちろん、かゆみ予防としても効果あるのでしょうけど、かゆみが出た時の

効果としても十分です。

 

ただステロイドの入った目薬を長く使っていると、やはり副作用があるみたいです。

眼圧が上がって緑内障ステロイド緑内障)になったり

目のレンズが白く濁る白内障になったりするようです。

またステロイド投与で免疫力が下がるので、

目の感染症を起こしやすくなったりします。

ですので、目薬を長く使用していて、汚い手で目をこすったりすると

目に細菌が入ってしまい、そこでまた別の炎症が起きてしまうらしい。

 

それゆえに、市販はされておらず、

眼科の先生にしっかり注意を聞いてから処方という形になっています。

まあ、花粉のひどい時期だけなら問題ないと言われましたが、

一応「1日3回くらいにして」と釘をさされました。

 

というわけで、今日もこれから出かけなければいけないんですが、

玄関出る直前に目薬をいれてから行こうと思います。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

50代なりの仕事のしかた

おはようございます、たーさんです。

 

この2日間、自分の仕事の遅さを嘆いて、

なんとか解決策をということで書き綴ってきました。

まとめると、

★何かを始めるときは、完璧な計画を立てることはせずに、

簡単な仮説を立てて、まずは行動すること

★嫌なことはあと回しにしがちなので、

まずは最初の5分間だけ取り掛かってみること

ダメならば、次に進もう。

★すぐに忘れてしまうので、良いと思ったアイデアはボイスメモで記載

さらに可能であれば、その場ではじめてしまうこと

★そして、少しでも物事を進ませて達成感を得ることが大切

 

こんな感じになるんでしょうか?

 

ということで、どんどん体を動かせみたいな状況に昨今の自分はなっています。

 

ただ実はまだまだ大きな落とし穴が2つほどありました。

(落ちまくりやん?!)

 

まず1つ目は、自分はイノシシ年なんですが、

猪突猛進という言葉通りまっすぐにしか進めません。

どういうことかと思われるかもしれませんが、

何か事を始めた場合にそれしかできない性格なんです。

器用に、2つ以上のことをいっぺんにできない。

さすがに音楽を聴きながら勉強はできていましたが、

難しいことになると、たいていのことは2つ以上のことを同時進行できないんです。

 

電話対応しながら資料作成とか、人の話を聞きながら運転とか。

もちろん音楽を聴きながらとかラジオを聞きながらとかは可能ですが、

ほとんど頭に入っていません。

歌詞は無視してメロディのみですし、

ラジオの言葉もキーワードが少し入ってくる程度で重要なところは後で聞き返します。

だから、何かに集中して作業をしているときに、

横から声をかけられたり電話にでなければいけなかったりすると、

ほんとにむかつくんです。

それはたとえ家族でも。

申し訳ないけど、ものすごく素っ気ない感じの返事になってしまったり、

後で内容を聞き返したり、そんなんばっか。

(「話を聞いていなかったの?」とよく怒られます。)

だから、職場では最初ものすごく無愛想な人って思われることもしばしば。

でもそうしないと、やっている仕事もおろそかになってしまうし、

聞いている話とかも適当な返事になってしまうんです。

絶対に聖徳太子にはなれないタイプ。

 

同時に二つことをできない行動パターンというのは、緊急時に対応しにくいんです。

ですので、途中で今集中してやっている仕事をそのままにして、

緊急課題にとりかかるというのがすごく苦手。

実は医療従事者であるので、

昔の職場では緊急に対応しなければいけないなんてことがしばしばありました。

そういう状態が続くと、やりかけの仕事がどんどん山積みになり、

結局緊急の仕事はなんとかこなせても、それ以外の課題は全部放置パターン。

それで、上司に大目玉を食らったことが何度かありました。

 

今の職場では、そういう人だからという不名誉なレッテルを貼られており、

あまり緊急事態に直面しないように周りが気にかけてくれています(たぶん)。

やるべき仕事は、仕事にとりかかる朝一番(時に前日夕方)に、

「今日1日の課題」ということで割り当てられるようにされています。

また立場が上になってきているので、

自分で仕事の量を決められるのもいいところです。

(この性格って普通なのかどうかわかりませんが、いかがでしょうか?)

(最近だと発達障害とかいう言葉を聞きますが、

まあそうだとしてもこれまで何とかなっているから、

今更精神神経科の先生に相談することもないかなと思っています)

 

このように自分なりの働き方を構築してきましたが、

もう1つの落とし穴のことは考えないといけません。

それは、仕事を全部自分でこなそうとするところです。

一度仕事の流れにのってしまうと、自分のペースでどんどん進めていってしまいます。

逆に全く乗り気でない場合は、エンジンもかからないし。

そこで、おそらく計画を立てるというハードルを下げたところから取り掛かり、

なんとか行動に移そうということなんでしょうけど、

結局計画表が完成したところで力尽きてしまうor飽きてしまうというのが実情。

 

言わば、車を運転するのに、エンジンをかけるところまでいかずに、

まずはマニュアル本を読むことからはじめてしまい、

そして読了したところで力尽きる。

マニュアル本なんて読まずに、

まずはキーを差し込んで回せばいいのに、それがなんとなくできない。

そして、そこに別の用事が舞い込むと、

運転席に座ったままそっちに頭がいってしまって、もう出かける素振りすらみせない。

じゃあ、運転を誰かに替わってもらって、

自分は助手席で作業を続ければいいやんということにふつうはなるんでしょうけど、

それも性格上許されないということなんです。

 

自分で進めていかないといやなんです。

計画表を作成するくらいですから。

そして、その計画表の中に、自分以外の登場人物は出てきません。

 

あたりまえですけど、自分の力には限界があります。

分身の術は使えません。

ましてや、一つのことにしか自分を従事させられないので、

二つ以上の仕事を課題として与えられてしまうと、

片方はまずだいぶ後回しになってしまいます。

さらに致命的なのは、作業中に何かわからないことがあると、

自分で解決を試みてしまい、ハマりまくるということ。

人に質問するのが苦手、つまり自己完結型でありたいという性格なんです。

 

最近は少しずつマシになってきましたけど、

かつてはデートでレストランを予約するのに電話ができず、

いつも場当たり的に食事場所を決めていたことがありました。

時には全然決まらずに2時間ぐらいウロウロして愛想をつかされたこともありました。

最近でこそネットで予約することができるので、少し気が楽ですが。

自己完結型というよりは、コミュ障なのかもね)

 

というわけで、仕事が遅い理由として自分のところに仕事が溜まってしまう。

それを解決するためには、

自分がやる必要のない仕事はほかの人にお願いするということが大事なんです。

(よくビジネス書には、「人に仕事をまわせ」と書いてあります)

でも、おそらく相手のことを考えてしまうのか、

人にお願いすることがそもそもできなかったので、

結局自分で溜め込んでしまっていました。

頭でわかっていてもできなかった。

最近は肩書にというものがついてきて、それを利用して部下にお願いすることが

やっとできるようになってきました。

つまり、年齢とともにやっと悩みが解決しつつあるということです。

 

これからは自分への負担、悩みを少しずつ減らしていかないと。

・自分の限界を知り、やる仕事を選り分けること

・自分でなくていい仕事は、ほかの人にやってもらう

 

こうやって書いていると、私ってつくづく面倒な人間なのかも。

でも、それが自分なので。

 

ではまた、たーさんでした。

これでなんとなく仕事をこなして達成感を得る

おはようございます、たーさんです。

 

自分の仕事が遅い理由として、

何をするにしても計画を立ててからでないと行動できない

という点に注目していろいろと考えて、

とにかく「こんな感じでいいのかな」的な感覚で、

「まずは手をつけていこう」行動パターンを身につけるようにする

という風に最近切り替えています。

 

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それから嫌なことでも優先順位の高いことについては、

とりあえず5分だけやり始めてみてみる

5分経過してそういう気分であればそのまま継続し、

いまいち乗り切れないようであればやめて、別のことをやり始める

という飽きっぽい性格には一番適しているかなという方法でやっていくことを

自分自身に提案しました。

 

さて最近思うのは、自分がこの歳になってすごく忘れっぽくなったことです。

すごく大事なことは覚えているので、(たぶん)認知症ではないと思いますが、

ただふと思いついたことはすぐに忘れてしまいます。

 

思いついても10分経過すると忘れてしまうんです。

冷蔵庫の前まで来て、「あれ、何を取りに来たんだっけ?」というやつです。

それが月に1度程度であればいいんですけど、ほぼ毎日あります。

「あっ、これはいいアイデアだ」

と思っていても、ほかのことが目についてしまうと次の瞬間には忘れています。

「さっき、何かいい考えが浮かんだんだけど、なんだっけ?」

すごい悔しい思いをしますが、それもそのときだけ。

その日の終わりにはすべて忘れてしまっています。

 

そこでメモをとるようにしました。

スマホのメモのアプリを用いて、思いついたことをその場で書くようにしています。

歩いているときにふと思い出したり思いついたりすることがあると、

立ち止まってメモをとるようにしていました。

車の運転中も、何かいい案が浮かんだらすぐにメモをするようにしていました。

もちろん、赤信号で車が停まったときに打ち込むようにしていますが、

そういうときに限って、青信号で交通の流れがスムーズなんですよね。

ですので、最近はボイスメモを活用するようにしています。

 

問題は、そのメモを見るのを忘れてしまうということです。

メモの内容は当初仕事として終わらすことができたら消すようにしていたんですが、

今は大量のメモがそのまま残ってしまっています。

メモは書くだけ書いて、見返すことを忘れてしまう。

久々に過去のメモをのぞくと、

「ああぁ、そうだった。やり忘れていた」

なんてことがザラにあります。

何のためのメモなんでしょうか?

ある意味日記とか備忘録みたいになっているんです。

「〇月〇日、こんなことを思っていた」

なんていう感じです。

 

ではどうしようか、と試行錯誤して、

直近は忘れないうちにやれることはやってしまうようにする行動パターンにしました。

その場で目についたことは、

いずれ自分がやらなければいけないんだからということで、やってしまうんです。

(とにかく仕事は全部自分がどうせやるんだからという前提になるのですが)

新しい仕事を生み出すというよりは、

すでに仕事として存在しているものを次々にこなしていくという感じですかね。

別の意味では、何かするときに「ついでにやってしまう」ということでもあります。

 

トイレに行く途中で洗面所を通って、洗濯物が少し溜まっていたら洗濯機を回し始め、

トイレでトイレットペーパーが足りなくなっていたら、

ホワイトボードの買い物リストに書き足しておいて、

あとで外出するときにまとめて買うようにしておく。

部屋に戻って、床に本が置かれていたら、それを本棚に戻す。

反射的に行動することになり、ある意味スキマ時間を埋めていることにもなります。

無駄にあれこれ考えることはしていないわけです。

 

部屋の片づけにしても、洗濯をするにしても、

何も会社のプロジェクトでないんだから、

特に人が集まって何かするわけでもないので、

念入りに計画を立てる必要はないんです。

それよりも、思いついても忘れる前に行動に移しておくことで、

必ずそれはやることになるし、やれば達成感が得られる。

何かのついでに物事をおこなうことで、動線上スムーズに事が運ぶのでいいかなと。

 

これまでは、忘れないように計画を立ててきました。

それで行動に移せずに、放置のパターン。

あるいは普通の人はメモに書いておいて、後でまとめてやるんでしょうけど、

結局それができませんでした。

だったら、目についたところでやるしかないんです。

「いつやるの?」

「今でしょ」

まさにそれです。

 

とりあえず朝風呂が沸いたので、痛い腰を温めにいってきます。

ではまた、たーさんでした。

まずは仕事をやり始めるために、どうするか考えてみた

おはようございます、たーさんです。

 

仕事が遅い自分に、つくづく残念に思うことが多々あります。

もっと仕事を早く片づけておけば、今こんなにあせらなくて済むのに。

もっとやるべきことをやっておけば、

今よりもずっと出世できていたかもしれないのに。

もっとやりたいことに手をつけておけば、もっと楽しい人生を送れていただろうに。

そんなことを思ってしまう今日この頃。

50歳という歳になって、やっと後悔する日々。

そう考えると、この後悔もしくは反省という業も

もっと早くにやっていればよかったのかもしれません。

 

さて、自分はなんで物事にとりかかるのが遅いのだろうか。

この数日間考えていたことをちょっと挙げてみたいと思います。

 

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以前に「思いたったらすぐに行動を起こす」ということを記事にしましたが、

これも反省から生まれたことでした。

 

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私の場合、とりかかるのにすごく時間がかかります。

仕事はもちろん、やるべきこともやりたいこともすべて。

楽しいことでさえ、そうなんです。

 

ふつうの人は、何かやりたいなと思ったら、真っ先に飛びつくのでしょうけど

自分の場合は、計画をなんとなく立ててはみるんですが、

その計画表が完成したらそこで終わってしまうことが多いんです。

計画を立てて、そこでやっている自分を妄想して、

それで「できた」と、妄想の中で勘違いしておしまい。

リアルの自分は何の成長もしていません。

語学の勉強も、楽器を弾くことも...

ほしいものがあって買い物に行っても、その場で手にとっておしまいです。

家に帰って、「なんで買わなかったんだろう?」って。

 

やりたいことでこんな感じなので、

もちろんやらなければいけないこと、仕事ではもっと大変な状況なんですね。

 

一度作らなければいけない資料を半年近く待たせたことがありました。

幸い(幸いといっていいかどうかわかりませんが)、

別の人間が資料を代わりに作成してくれたみたいで、

大変なことにはなりませんでした。

ただこの時点で、

私は頼んでもなかなかやらない、

出来上がるにしてもだいぶ遅れる

という不名誉なレッテルを貼られてしまっていたようです。

 

「仕事の準備を完璧にしようとするのがいけない。」

というのが、まず挙げられます。

 

通常物事の進行の上、計画してから実行というのがあります。

自分の場合は、先にも述べたように計画の段階で力をつきてしまいます。

何かをやろうとして、パソコンでワードを開き、計画書という題名でまず打ち込みを

開始します。

そして、あやふやなところを検索したりして、きちんと計画表を作り上げるんです。

恥ずかしい話、部屋を片づけるときも、

床のこの辺にあるものはどこに置いて、

代わりにそこに置いてあったものはここにしまい、

最後に拭き掃除をして

みたいなことをパズルをはめるかの如く、考えて書き出していきます。

そのような作った計画書が、

いくつか自分のドキュメントの中に記録されているんです。

(はずかしい)

そして、そのうち最後まで実行されたものは皆無。

ですので、今も私の汚部屋は健在です。

(自慢気に言うな)

 

この計画表作成時間が無駄なのはわかっています。

ただおそらくすぐに片づけという憂鬱な時間に突入するのは、嫌なんでしょう。

計画書を最後まで読みとおすと、見事に部屋は片づいているので、

そこで自分にとっては部屋の片づけは終わりになっているんです。

憂鬱にもならずに。

 

とにかく無駄ならば、しないこと!

「まずとりかかること。」

そこから思い立ったら、「すぐに行動に移す」という決意になったわけです。

 

よくよく考えると、片づけなんて、間違ったことをするわけないんです。

片づけなんて、つまり重要な知識が必要なわけないんです。

ひたすら、床に落ちているものを空きスペースにまずはしまう。

そして、次に本棚を整理してみたいな感じでやっていけばいいんです。

 

ほかの仕事も同様です。

まずはなんとなくでいいので、やり始めること。

これでいいのかな、とりあえずやってみよう。

つまり、しゃれた言葉で言うと自分なりの仮説を頭の中で作って、

まずは行動してみる。

そして、途中で少し立ち止まって、来た道を振り返って反省し、

目標と少しずれていたらやや方向を修正していくのがいいのです。

 

とにかく知識よりも経験の方が大事です。

片づけでも、ここにこの本を置いてみたらどうだろう。

この方が仕事で使いやすいからいいのではないか。

なんて、実際にやってみて、うまくいかなかったら後で修正すればいいわけです。

 

次にやり始めるのになんとなく大きな壁があって躊躇することがあります。

これは先日某YouTuberが言っていましたが

「まずは5分だけやってみる。」

5分という時間であれば、自分がボーっとしている時間と一緒。

それで調子にのることができれば、そのまま継続すればいいし、

あまり乗り気になれなければいったんやめてみる。

ただし、やめてみても5分だけ進歩があるわけなんです。

そして、その5分の分だけ達成感を得ることができます。

いかがでしょうか?

 

早速今日から実践していこうと思います。

そして、図にのってこの記事を書いていたら、仕事に遅刻しそうです。

 

ではまた、たーさんでした。

自分はなぜ仕事が遅いんだろう

おはようございます、たーさんです。

 

今日も2日ぶりの更新です。

 

最近つくづく思うのは、

「私って仕事が遅いな」ということ。

とにかく自分のまわりにやりかけの仕事が山積みになっているわけで...

そして、それが1日のうちに2,3個でも片づくことができればいいんですけど、

日によっては何一つ進まない状態のときもあります。

ほんと、出るのは深いため息のみ。

 

以前、それは自分の体力がないからだと考えていました。

体力があれば、睡眠時間を削ってその分仕事をこなすことができるからだと。

実際に、がんばって日をまたぐまで眠い目をこすりながらやろうとしましたが、

結局眠いだけで仕事に集中できませんでした。

さらに悪いのは、翌日は日中から眠くて眠くて。

この歳になると、一度夜更かしをすると、数日間ダメージをくらうわけです。

以降、絶対に午前0時をまたがないように、床にはいることにしています。

 

これは俺の性格なのだから仕方がない。

いっぺんにいろんなことを同時進行でできないんだよ

って最近は思うようにして、一つ一つちょっとずつ手をつけるようにしています。

 

自分の性格を分析すると、

・嫌なことを後回しにする

・とりかかるのに時間がかかる

・いったんやり始めれば、物によっては最後までいってしまうがまれ

・数時間なら続くが、数日かかるものは飽きっぽいので無理。要するに3日坊主。

竜頭蛇尾感あり

・計画を立てるのは楽しいが、実行するのは苦手

・楽しいことは覚えているが、つまらないことはメモしていないと覚えていられない

・自分で仕事をすべてやろうと溜め込んでしまう、人にふることができない

・メンタル的にいっぱいいっぱいになると寝てしまう

と、めちゃくちゃダメだしされて会社面接で落とされそうな状態なんです。

 

先日も2か月くらい前に仕事の資料作成を頼まれて、

めちゃくちゃ丁寧に下書きを作ったのはいいんですけど

結局資料そのものを作成し始めたのが、提出日前日。

幸い何も問題はありませんでしたが、

自分的にはもう少し手直しした方がよかったかなとやや不満足な出来でした。

あたりまえだけど、もう時間がなかったのでそのままで提出するしかなかったんです。

こんなことが日常茶飯事です。

 

おそらくこれまでも予定していたこと、自分でやりたいと思ったことを

大部分こなすことができていたら、

自分はもっと快適な生活を送って、

仕事の上でももう少し出世してお金ももう少しもらっていただろう、

なんて考えますが、もう遅い。

でも、この歳になって、たぶん人生の半分以上を消化した今、

棺桶に入るタイムリミットが迫っているこの状況で、

やはりこのダメな部分を直さないと、最後悔やんで燃やされることになりそう。

 

さあ、どうしたものか。

みなさんは、どうしていますか。

何かいい案はないものか。

 

ではまた、たーさんでした。

今さっき湯舟につかりながら考えていたこと

おはようございます、たーさんです。

 

いやぁ、日中は少し春らしく暖かくなってきたとは言え、朝はまだまだ冷え込みが

きついですね。

さすがに暖房の早朝タイマーを使用することはなくなりました。

ただ部屋が乾燥しているかせいか、はたまた寝ている間は口呼吸のせいか

朝起きた時には口の中がカラカラで、のどが少しイガイガしています。

起きたら、すぐにうがいをして、そのあと水を飲んでリフレッシュしないと。

 

と、こんなことを考えながら、毎日生活できるのって、

今更ながら本当に幸せだと思う。

寒ければ暖房をつけて部屋を暖め、こたつにもぐっている子どもたちに

外で遊ぶように促す。

お湯を沸かして温かいコーヒーを飲み、出来立てホカホカの食事を食べる。

テレビをつけてお笑い番組を観ながら家族で笑い、夏に計画しているキャンプの

話に花を咲かせる。

子どもたちと外に出ても、気をつけるのは車。

野良猫を追いかけようが、鳩が餌を食べているのをびっくりさせようが、

コンビニのおもちゃを買ってほしいとせがんでも、微笑むのみ。

「何でもないようなことが、幸せだったと思う」

こんな歌が昔ありましたね。

 

遠く離れた国で今まさに戦争が起きています。

正直アフガニスタンでの紛争も、湾岸戦争も、そして今回の戦争も同様に

自分たちには直接影響のない話だろうと思っていました。

しかし、明らかに今回の戦争の場合、過去の2つと異なるのは

SNSなどの発達で現状を身近に感じることができてしまうことです。

 

人々が住んでいたマンションにミサイルが着弾。

破壊されて燃える自宅の前で頭を抱える住民たち。

「自分たちはいったい何をしたと言うんだ?」

言葉が分からなくても、画面を通して強く訴えてきていることはわかる。

 

子どもたちは何も知らない。

総動員令で国に残る父親が、現状をわからずに避難する子どもたちと

離れ離れになる際に涙ながらに抱きしめる姿は、あまりにもつらい。

郊外の小児がん病院が被弾して、子どもが亡くなったなんて話もある。

 

Twitterで現地の様子がわかるようになっている。

日本人で現地に住んでいる方、滞在していて巻き込まれてしまった方が

様子を詳しく伝えているツイートもある。

一方で「Ukraine」とローマ字で打ち込めば海外の情報もなんとなくわかる。

もちろん、この中にはフェイクもあるかもしれない。

それも戦争の手段の一つなのだ。

 

大事なことは、一つ一つの情報を鵜呑みにせずに、何が本当に正しい報道なのか

テレビや新聞、SNSで自分たちで確かめることなんです。

この戦争がどういういきさつで起こったのか、指導者たちは何を目的としているのか。

この戦争で得するのは、いったい誰なのか、どこの国なのか。

その結果、次に起こりうることは何なのか。

私たちがここから学ぶべきことはどんなことで、教訓にして準備すべきことは何か。

そして、これは戦争ではなく侵略であり、私たちはどのように声をあげるべきなのか。

一つ一つ自分の頭で考え、仲間(家族)と共有し、子どもたちにこれが悲しいこと

であるということをきちんと話すべきなんでしょう。

 

SNSで拡散する

デモに参加する

寄付をする

いろんな方法があるし、どれもどの程度現地の人に力になるかわかりません。

SNSで投稿することで面倒なコメントにさらされるかもしれないし、デモに参加して

変な人というレッテルを貼られるかもしれない。

寄付をしても、現地で悪用されてしまう可能性もあります。

でも、どうだろうか?

リビングのテレビの前でただ座っているだけで、

今戦火にさらされている無実の人たちを助けることができるでしょうか?

 

ロシアに住んでいる人も大部分は平穏な暮らしを望んでいます。

悪いのは、ごく一部の指導者たちです。

ウクライナの指導者も、このような状況になった原因を作りました。

ロシアの指導者を怒らせたきっかけがあったはずです。

政治的な駆け引きはよくわかりません。

でも、確実に言えるのは、

双方の国民はこのような結果を望んでいなかったということです。

 

コロナに疲れ、この悲惨なニュースに触れて...

早く静かな日常が世界的に訪れることを願っています。

 

ではまた、たーさんでした。