こんにちは。
「1日ってなんで24時間しかないんだろう?」
「1日って短いな」
と、考えたことが今まで何回かありませんか?
自分の場合は子どもの頃です。
多分小学校くらいだったと思うのですが、遊びたい盛りのとき。
夕方5時になると、「夕焼け小焼け」のチャイムが町に鳴り響いて、子どもは帰らないといけないという一種の決まりみたいなものがありました。
近くの空き地や公園で野球をしたり、缶蹴り、高鬼をしたりしてすごく楽しくても、
そのチャイムが響いてくると、「仕方がない、帰るか」と誰もがなっていました。
チャイムをきっかけに、夜が来るんだという意識がなんとなくあったのです。
「1日がもう少し長ければなあ」
と感じたのがそんな時。
家に帰って夕食を食べてから部屋で遊ぶ時間も楽しい時間でした。
親は夕食の後片付けなどで忙しいので、当然子どもたちだけの時間です。
(宿題は、学校から帰ってすぐに遊ぶ前に済ましています!)
自分で好きなようにプラレールや絵を描いたりして遊んでいたのを覚えています。
そんな遊びの時間を寝る時間に切り替えていったのがお風呂の時間でした。
うちの場合は寝る前にお風呂に入る習慣があり、風呂から出て湯冷めしないうちにパジャマを着て布団に入るというのが普段の儀式でしたの。ですので、
「お風呂よ」
という母親の声掛けがある意味1日の終わりの合図でした。
その声掛けがいつ聞こえてくるか、そわそわしながら遊んでいたように思います。
「1日がもう少し長ければなあ」
お風呂の声を聞いて、弟とともに遊びを切り上げるときもそんなことを考えていたことを覚えています。
ただし、土曜日だけは入浴後にパジャマに着替えてもすぐに寝なくていい日でした。
翌日は日曜日なので、「8時だよ!全員集合」を観てから寝るというのが習慣になっていました。
いつもは寝る時間が大体夜8時だったのが、土曜日だけは1時間延びて9時でした。
子どもが寝た後は、大人の時間。
子どもがいることに気を遣うことなく、酒を飲んで大人どうしの会話をする時間だったのでしょう。
自分も弟も子どもながらに就寝時間から先は「未知の時間領域」というイメージがあって、なんだか眠れない日があっても、起きて部屋からは出てはいけないような気がしていました。
ですので、万一喉が渇いた場合は、あえて「今目が覚めてしまいました、今までしっかり寝ていましたよ。起きてしまったのは不可抗力です」みたいな感じで、目をこするフリをして起きたばかりの顔を作り、「牛乳~」って言いながら親のいるリビングに顔を出していました。
親としては分かっていたのかもしれません。今では下手な芝居をしていたなと思います。
そんな親もそれから1,2時間すると床についていました。たまたま本当に夜11時ごろに目が覚めてしまったときには、家中が真っ暗だったことを覚えています。
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子どもの頃は「1日が長ければ」という漠然とした願望がありましたが、正直24時間という正確な時間概念はなかったと思います。チャイムや親の声掛けなどが自分にとっては時間の区切り(時計の役割)だったのでしょう。
チャイムは当然ですけど、親の声掛けもある程度時間に正確だったように思います。布団に入る時間は大体夜8時ごろでした。つまり、時計ほど正確でなくとも、親が時間を考えて毎日を過ごしていたおかげでその言動が時計代わりになり、なんとなく自分の生活習慣も整っていたように思います。
今の子どもたち(うちの子も例外に漏れず)は、遅くまで起きている子が多いようです。テレビやスマホなども原因ですし、コンビニや飲み屋が遅くまで開いていることで親の寝るのが遅いというのも理由だそうです。幼児の半数以上は夜10時以降も起きているというデータがあります。当然この時期から夜更かしをしていれば、小学校、中学校に上がるにしたがって、もっと起きている時間は後ろにずれこんでいくのでしょう。
子どもの頃から早く寝る習慣をつけることが当然大事なのですが、そのためには親が毎日時間通りにルーチンワークをこなして、決まった時間に「終わり」という区切りをつけるようにすることが大事なのでしょう。親も夜更かしせずに早く寝ることが大事なのです。
町で夕方5時のチャイムもあまり最近は聞かれなくなってきました。仕事で残業したりして遅くなったりすると、当然そう言った声掛けはできません。親も皿洗いなどせずに夕食の時間からテレビに夢中になったりすると、自然と子どもも夜更かしするようになってしまいます。
親がきちんとした生活習慣を身につけることがまずは大事だということを最近ひしひしと感じます。
以上たーさんでした(終)