たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

何で毎日重いカバンを持って通勤するんだろう?

こんにちは。

 

最近はもっぱら電車通勤です。

結構朝早く電車に乗るので、幸いにもラッシュアワーなるものは避けることができています。またその時間だと快適にも座ることもできるので、寝る時間としてもいいし、読書の時間としてもいいし、あるいは何か資料作成の時間としてもいいのです。

 

通勤時間は時間の無駄という考え方で言うと、本当は職場の近くに住んでできるだけこのような非生産的な時間は省くようにした方がいいのでしょうが、なかなか諸事情により簡単に引っ越すこともできないので、この時間を強引に生産的な時間に転換しております。

(正確に言うと、最初はいろいろとこの時間を有効に使おうと思っていました、、、)

 

電車で通勤するときの必需品として、当然カバンが挙げられます。たいていサラリーマンらしき人はカバンをもっております。

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その持っているカバンから大きく分けて2通りのタイプに分けられます。

 

カバンがパンパンに膨らんで、人に当たるとあらい迷惑になりそうな人

カバンが薄っぺらくて軽々持っている人

 

その違いは何なんでしょうか?

 

自分の場合を考えるとわかるような気がします。もちろん全員当てはまるというわけではないのですが。

自分の場合は、当然前者です。

つまり、毎日が「机の上まるごと」の引っ越し状態です。ただ通常の引っ越しとの大きな違いは、職場でも家でも机の上に中味を広げることなくカバンの中に入れっぱなしということです。

もうおわかりでしょう。

 

 

ならば、わざわざカバンの中に入れる必要もなく、机の上に置きっぱなしでもいいではないのでしょうか。

(おそらく全国のかなりの人たちがツッコミをいれていると思います)

 

かつて「車の中が汚い人は部屋も汚い」という記事を書いたときに、おそらくそういう人たちは例外に漏れずにカバンの中も汚いということを書いたような気がします。

 

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要するに、何事も整理できない人は部屋や車の中だけでなく、カバンの中も整理できていないのです。

どうしてなんでしょう?

自分のことを全く整理できていないからです。

  • 自分の頭の中をきちんと整理整頓できていない。
  • 自分のスケジュールを把握できていない。
  • 自分の作業力を把握できていない。
  • 自分の体力の限界を分かっていない。
  • 自分の心に余裕を持っていない。

自分の頭の中をきちんと整理整頓できていない 

一つ一つのプロジェクト、企画が頭の中に青写真として整理されてインプットされていないので、必要な資料と必要でない資料が分かっていないのです。あれもひょっとしたら必要かもしれないなんて思いながら、捨てることができないので、いつも書きかけの企画書を持ち歩いているのです。すでにその先まで作成が進んだ企画書があるのにもかかわらず!

すでに半年前に締め切りがきた通知をまだ大事そうにもっているのです。よく見たら、業者さんからもらった全く興味を持たなかったサンプル品のチラシを持っていたりします。

捨てられないんです!

怖いことに、これらを机の上に置きっぱなしにすると、机の上にタワーがいくつかできてしまいます。まだカバンにもてる範囲としているのが、逆にいいのかもしれません。

一つ一つを写真に撮って、現物は早々に捨ててしまうに限ります。もちろん、容量がいっぱいになる心配もありますが、大容量のハードディスクに移してしまえばいいのです。

とにかくいらない紙媒体はどんどん捨てましょう。

自分のスケジュールを把握できていない 

カバンの中に本が数冊入っていることがあります。通勤時間や職場でのスキマ時間に読もうと思ったものです。

正直読めたことがありません。

通勤時間では少し本を開くことがあってもせいぜい1冊です。スキマ時間に読めたことは一度もありません。そんな時間はまずないし、少しでも時間があれば他の仕事をしたり、休憩をとったりします。つまり、自分のスケジューリングができていないのです。しっかり自分の今日の時間の割り振りができていれば、どこでどれだけの時間がとれるのか、あるいは忙しくてそんな時間が作れるわけないということが分かります。

それが分かっていないのです。おそらく、今日やるべきこととしてto do listに朝書き出しても、そういう人はそのうちの項目の少ししかできていないのではないでしょうか

自分の作業力を把握できていない 

パソコンを持ち歩いたりその他のデバイスを持ち歩いたりして、どこかで仕事をしようと思っても、結局有効に時間を使って何かをすることはできずに一日を終えてしまいます。職場にも共有のパソコンがあるので、それを使っても十分に仕事はできるでしょう。でも、頭のどこかにもし少し時間ができて、どこかのカフェかなんかにいくことができたら、そこでブログでも書こうとしたなら、やはり自前のパソコンが必要になるだろうし、外付けのハードディスクもモバイルWifiも必要になるだろうし、、、

でも結果、そんなことをする前にやるべき仕事を終わらせることができていないので、無理無理!

そんな状態なのに、また上司に言われて新しい仕事を受けてしまったりするのです

自分の体力の限界を分かっていない 

ではせめて帰り道の電車の中で少し時間があるので、そこでなんとかブログを書いたりしてみたらどうでしょう。あるいは本を読んだりしてみたらどうでしょう。

たいてい気づいたら寝ています。朝早いし、職場ではなんとか眠気と戦いながら仕事をがんばっているしで、結局帰るときには電車に揺られながら、瞼の重みに任せている状態です。

自分の心に余裕を持っていない 

というわけで、大部分カバンの中に入っているものは必要のないものなんですよ。

一旦机の上に出して、すっきり軽いカバンで通勤してみてはどうでしょうか?

いやいや、もしかしたら、万一、ということがあるので、やはりカバンの中にはいろいろと入れておきたい。自分の仕事を時間内に仕上げることができないときは家でやるしかないでしょう。残業するのでもいいけど体力は残っていないし、少し帰りの電車で寝てから家でやれば、、、

結局家でもやれずに、また職場で続きをやることになるんです。締め切りに間に合わないなんて焦りながら。

肉体的にもそうですが、精神的にもアップアップの状態。

じゃあ、どうすれば、、、 

重いカバンを肩からかけるのも、当然体の左右のバランスを考えてもよくありません。姿勢が自然と悪くなり、それに伴い体の節々に余計な負担がかかってしまいます。

一度カバンの中味を全部だして、資料をきちんと吟味してすべて写真に撮り、全部捨ててしまいましょう。意外に結構な数の資料は、原本がメールで送られていたり、USBに記憶されていたりするものです。誰のかわからない電話番号や注文し済みの品のメモなんかはすぐに捨ててしまいましょう。本はすべて本棚にしまいましょう。

提出すべき書類は、簡単なものはすぐに署名なんぞして提出してしまいましょう。締め切りが先でも結局提出するのなら早いに越したことはないでしょう。何もぎりぎりになってから出すことはないのです。

パソコンは本当に必要なのでしょうか。何に使うんでしょうか。書類作成や検索、ブログを書いたりなんかだと思いますが、それならスマホで十分じゃないですか。

ワードもエクセルもスマホアプリがあります。共有のパソコンで資料を開くのであれば、専用のUSBさえ持っていけばいいのです。

どうでしょうか。だいぶカバンの中が軽くなっていくような気がしませんか。

 

次回は「カバンが大きい人はデスクトップ画面が大変なことに」もしくは「カバンが大きい人は体も大きい」について記事を書いてみたいと思います。

以上たーさんでした(終)

 

ダイエットも断捨離もうまくいかない理由とは~嫌いなことに終わりを作って先にやってしまおう~

こんにちは。

 

仕事にしても1日の中のルーチンワークにしても、大きく2つに分かれます。

「好きなこと」と「嫌いなこと」

(当たり前でしょ!)

そう、当たり前なんです。

好きなことはどんどんやっていきたいし、嫌いなことはなるべくやらないで済ませたいというのが、人の当たり前の心理なのです。

ただ嫌いだからという理由でやらないでいると、単なる「わがまま坊や」と言われかねません。社会の中で生きていくには、嫌いなこともやらなければいけないのです。

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好きなこと、嫌いなことって具体的に何があるでしょうか

よく自分のプロフィールに好きなことって記載する欄がありますよね。だいたい自分の欄には、食べること、音楽を聴くことなんて書いてあります。いわゆる趣味と同じ扱いです。でも嫌いなことって書くことはまずありませんし、そういうことを書く欄を見たことがありません。

では嫌いなことってなんでしょう。自分の場合は、

片づけ、断捨離、ダイエット、運動、、、

仕事は基本的には好きな部類に入りますが、疲れているときにはもういいやっ思ってしまいます。

こうみると、嫌いなことって「やらされている感」「やらなければいけない感」が強いですね。

 

でも片づけの中でも、皿洗いとか洗濯とかはどうでしょう。好きではないですが、そんなに嫌いでもないんです。だから、やるにあたりそれほど苦に感じません。

たぶんそれは終わりがあるからなんじゃないでしょうか。

目の前の皿を洗ってしまえばおしまい、山になっている洗濯物を洗濯機の中に突っ込んでしまえばおしまい、そして干してしまえばおしまい。

終わりがイメージできていれば、やり始めるのもつらいとはあまり思いません。そして、さらにはその終わりのイメージはいいものなんでしょう。

シンクの中がピカピカであったり、床に洗濯物が一切なくスペースができたりなんていうイメージです。

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終わりのないことはどうでしょう

その一方で終わりのないことは、本当に嫌いです。手をつけようと思っても終わりが見えてきません。この汚い部屋をきれいにしようと思っても、一体いつになったら終わるんだろう。ダイエットしようと思って、食事制限したり運動をしたりすることが必要だとわかっていてもどれだけ頑張ればいいのだろう。そしていったん部屋が少しきれいになったり、体重が少し減ったりしても、その後もその努力を続けなければいけないということを考えるとウンザリしてしまいます。終わりがなく、そして終わったときのイメージがない、むしろその後も続くというあまりよくない感じがあります。時間的に悪いことが永遠に続くというような、、、そんな感じがあるものは当然やりたくないでしょう。

 

ものごとをやる順番は

自分の場合はそうなると、1日の中でも1週間の中でも物事をやる順番は

①嫌いなけれども終わりのあること

②好きなこと

 

そして、最後に来るべき「終わりのない嫌いなこと(継続性を要すること)」はやらないこともあります。そのうちにやろうという考えで、早いうちに手をつけることはありません。

これが今までの失敗の原因の1つだったのです。

嫌いなことで締め切りのあるもの

もちろん嫌いなことで締め切りのあることは、いざ本当にやらなければいけないときになって、やっと重い腰をあげてやり始めます。おそらくやらずに済まそうと思っても、やらなかったときのイメージが悪すぎるからです。

この文書を今日中に作成しないと上司に怒られるとか、今日提出しないと1年間やってきたことも含めてダメになってしまうとかその類です。当然ぎりぎりになって焦りながらやるので、内容的にはお粗末です。毎回思います。

もう少し早くから手をつければよかったなって。

嫌いなことで近々締め切りのないもの

そしてもう一つの締め切りのないことは、本当に必要だなって感じるようになるのはだいぶ後になってからになります。だから、今やらなくていいや、明日でいいやと思ってしまうのです。

・今日も食べ過ぎたけど、明日からダイエットしよう!

・ちょっと部屋が汚れたけど、今片づけるのは面倒だからそのうち時間を見つけて整理しよう!

・ゴミ箱がいっぱいになってるけど、うちの相方が捨ててくれるでしょう!

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これはうちのある日の洗面所のゴミ箱です。

(ごはん中の方すみません。もちろん、この後私が捨てました)

当然相方がきれい好きで、このようなことが許せないタイプの人間だったらいいのです。でもうちは、相方も嫌なことは後回しにするタイプなんです。

(私からのアドバイスです。パートナーと一緒に生活することを考えるときは、このことを十分理解してから一緒になりましょう!!)

 

そしてこういうことに対して本当に必要だなって気づいたときには、

・重度の糖尿病になっていたり

・部屋から出るのにクレーン車が必要なくらいに体重が増えていたり

あるいは

・ゴミの山から虫が発生したり

・近所にゴミ屋敷と言われたり

しているんでしょう。そこでやっと締め切りがあることに気づきます。

でも、そのときにはもう遅いんです、当たり前ですが。

*もちろん、そこで気づけばいいのでしょうけど、ほんとに大変な人は今度は見て見ぬふりをするらしいです。あるいはその状態を無理やり好きにもっていってしまうらしいんです。

 

ではそのような事態にならないためにはどうすればいいのでしょうか

悪いイメージを持つことは必要ですが、そんなこと毎日考えていられません。

・ごはんを食べるたびに壊疽した足の指のことを考えるなんてできますか?

・コンビニで食べ物を選んでいるときに、自分の目が失明したらどんなになるかなんて想像できますか?

・部屋で過ごしているときに、ゴミ袋から大量のゴキブリが発生したときのことを考えられますか?

・寝ているときに、何匹ものコバエが口の中に入ってきていることをイメージできますか?

そんなことを考える毎日なんて、おかしいでしょう。気が狂いそうです。

そんな毎日はいやです。

ではいったいどうすれば、、、?

嫌なことに必ず終わりをつくればいいのです。

そして

その後に楽しいことがあるようにすればいいのです。

 

断捨離であれば、今日は本棚の1ブロックだけを整理整頓しよう。それ以上はやらないし、それだけをなんとか頑張るという感じです。

*そのためにブロック分けされている本棚を買いました

そして、そこにできたスペースに好きな本を置いたりしてみたり、素敵な置物を置いたりしてショーウィンドーみたいにディスプレイしてみたりしようとなんて思い描いてみます。

おお、がんばれそうです。

その積み重ねで、部屋がきれいになればいいじゃないですか。実際にやってみると、少しずつ部屋がきれいになるので、終わりのイメージもつきやすくなります。そうすると自然に先にそれをやってしまおうという気にもなるもんです。

 

ダイエットはどうでしょう。実際これはまだ効果がいまいちです。終わりの設定の仕方が悪いのでしょう。そしてその都度の楽しいイメージがまだできていません。

おそらく終わりの設定の仕方が、1週間で1kg減らすみたいな感じで結果が出るのが先になってしまうからだと思います。たとえ、結果が出るのを最短で翌日に体重300g減っていることをめざすにしても、その経過が具体的でなければやはり難しいですし、結構がんばったつもりでもあまり体重が減らなかった場合の期待裏切り感というのはつらいものです。

やはり経過で目に見えて効果がでていることがわかればいいのでしょう。

その日の食事の経過で、ごはんをいつもの半分に減らすとかみたいな感じです。ただいつものというのはあいまいですね。

だからレコーディングダイエットとか糖質のように数値で表せるものが効果あるのでしょう。今日はこれとこれを食べたから、合計の糖質の数値が60g未満だから、たぶん明日の体重はこれくらいだろうって予測がつきますね。

またおそらく体が目に見えてやせて、筋肉がついてくればそこから先は拍車がかかると思います。

問題はそうなるまでどうするかです。

1つの大きな課題ですね。

もしいやいやで仕事をやっている場合も同じ

さて、そう考えるといやいやでやっている仕事についても同じことが言えるのではないでしょうか。仕事の嫌いな部分もきちんと終わりを作っておけば、その後だらだらと効率の悪い仕事をしなくてもいいし、終わりを作っておけば今日はここまで先にやってしまおうという気になります。早めに手をつけて行けば、締め切りぎりぎりになってからの残業なんて必要ないんです。

時間管理マトリクスにおけるやるべき第2領域に当てはめてしまうんです。

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日ごろから時間を作って、少しずつ手をつけておくことが重要です。当たり前のことが当たり前にできない、だからいろいろと工夫していくしかないのでしょう。

 

さて、今日も1か月後のプレゼンの発表スライドを30分ほどがんばって作ろうっと。

以上たーさんでした(終)

 

書類、資料の断捨離の仕方~自己流ですが、何か~

こんにちは。

 

ゴールデンウィークにあえて人混みの中に飛び込む必要はない!

そういう考えは自分だけではないはずです。そうかと言って、布団にくるまっているのも、テレビをボーっと見ているのもせっかくの休みなのにもったいない。

そこで普段なかなか時間をかけてできないことを、この休みの間にやってしまおうと思い立ち、ちょっとした断捨離を実行しております。

前回自分の書斎に高い本棚を買って、そこに資料やらなにやら詰め込んだことを書いたと思います。

 

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これで部屋は、この家に引っ越して以来のスッキリ状態になりましたが、ここで終わってしまってはもったいないでしょう。

これからまた新たな書類や本などが増えてくるわけです。新しい情報をインプットするためには紙媒体はかかせません。なにしろネットの情報が信用できるかどうか怪しいですから、、、。もちろん紙媒体がすべて正しいというわけではないですし、ネットの情報全部が疑わしいわけではないです。

そして仕入れた情報をしっかり整理してまとめる、そしてアウトプットする、ということをしないと宝の持ち腐れになってしまいます。

さて、その新たな書類や本を手に入れたら、きちん適確なところにしまうことが大切です。これまでは、とにかくかばんの中に入れっぱなし、かばんがいっぱいになったらとにかく机の上に積みっぱなしという感じでした。

結果、書類の山の下の方にどんどん埋もれてしまい、気づいたら古い情報、旬の過ぎたニュースとなっていたなんてことがしょっちゅうありました。

SCANSNAPはいまいちでした 

一時期はSCANSNAPを購入して、文書を全部SCANしてパソコン上で管理しようなんてしたこともありました。しかし、結果は同じ!

デスクトップ上にいろんなフォルダが乱立し、どこに何があるのかわからなくなり、結局容量だけ食っておしまいという感じになってしまいました。パソコンの中ならば無限にスペースがあるわけではなく、フォルダの中にしまったとしてもその情報を瞬時に活用できなければ全く意味がないのです。思うに、リアルで整理整頓できない人は仮想上でも整理整頓できないので、そこは何か工夫をしないと永遠にゴミと不要な情報の山に埋もれてしまいます。

長続きしない、飽きっぽい私なりの整理の仕方 

この歳になって自分の性格をある程度把握してくると、長続きしない、飽きっぽい性格であることを理解してきました。そこで短時間で済むことあるいは新しいことならば手をつけることができるんではないかということで、今回自分なりに断捨離をやってみているのです。

本棚が区画で仕切られているので、そこの一区画だけ整理しようということで時間を見つけてやるようにしました。

 

それで今回は休みの時間があるときに、書類の詰め込まれた一区画を整理しようと思います。この一区画がきれいになれば、それ以外の書類区画は片付けできそうです。

*あくまでも自分流です。正解かどうかはわかりませんし、うまくいかなかった場合は今後手直しが必要になります。

 

書類は立てること 

まず書類は立てて保存してあります。横にして保存すると、下の方においてあるものを探すのも取り出すのも大変になってしまいます。

棚から全部は出さずに、少しずつ出していきます。

書類別の整理の仕方(自分流)

書類の種類を次のように分けていきます。

①自分でまとめてあるもの(仕事関連)

技術的なこと、マニュアルなど。たいていはPC(もしくはUSB)に原本のファイルがあることが多いのですが、果たしてあるのかは不明なのでまずはとっておきます。ただしあくまでも最新のものに限りますので、古いものは捨てていきます。また原本がディスク上に見つかった場合でも、最新のものは紙媒体でとっておきます。確実に残るのは紙媒体なので。

最初は分野ごとにクリアホルダーにいれておきますが、ある程度たまってきたらクリアフォルダにいれていきます。フォルダの背表紙にはきちんとわかるようにタイトルをつけておき、引き続き資料があればそこに差すようにしていきます。

②自分のメモ

実はかつて赤羽雄一先生の「ゼロ秒思考」の影響を受けて、毎朝A4用紙にアイデアや当日のスケジュールなどを書き出していました。結構な枚数になってしまい、特にファイリングもしなかったのであちこちの書類の山に紛れ込んでいます。重要なメモもあれば、どうでもいい内容のメモもあります。一つ一つとっておくと膨大な資料の山になってしまいますし、かと言って一つ一つ読み返す時間ももったいないのが現実です。これはEVERNOTEで写真として記憶して、通勤の時間で確認するようにしています。自分のダイエットの記録などどうでもいい内容であればすぐに消去し、必要なことが書かれていればそのキーワードをノートのタイトルとしてつけてEVERNOTE内のフォルダで分類していきます。こうすれば、書類の整理時間としては短時間で済みますし、通勤時間を有効に使えると考えます。

 

③論文や取り寄せた参考資料

整理整頓できる人ならば、このように確実に役立つ資料はファイルにいれてまとめてあるはずですよね。それができていないのが、私のような人間なのです。では、ファイルにまとめていきましょう。ただし、比較的最新の論文などは古い論文を参考にして書いてありますし、資料も過去のデータを用いてリニューアルしてあるはずです。急速に技術が進歩している今、正直10年前の論文や資料は名著と言われるものでないかぎり通用しません。ですので、名著以外はここ2,3年のもの(百歩譲って4,5年)でないかぎり捨てていいと思います。これも考え方によりますが、まずはファイリングして、その後再度読み返したり記録したりして捨てるという方法でもいいと思います。

これらも①と関連づけられるのであれば、そのタイトルのもとにクリアフォルダに一緒にいれておきます。

④お金関係(明細書、領収書など)

最近でこそ、カード明細はWEB上として紙媒体はなくしましたが、給料明細などは依然として紙媒体となっております。こういったものはいつまで保存しておけばいいものなのでしょうか。経験上、過去1年分あれば十分なような気がします。正直それ以上前のものを見返したりしたことはありません。さまざまな年会費なども「いつにいくら支払ったか」わかれば十分なので、手帳にリストをつけて念のためにEVERNOTEに写真で保管しております。もちろん時期がくればすぐに削除できます。

⑤各種取り扱い説明書

普段からよく使いこなしているものは早々に捨ててしまいます。つまり説明書をみながら、自分の場合は最初にいろいろと試してみるのです。「この機能は有効だぞ」とか「この機能は必要ない」とか、いじっているうちにどの機能をよく使うかルーチンで決まってきます。その段階で(大体1か月くらいでしょうか)説明書は必要ないとして捨てるようにしています。もし、なんらかの形で違う機能について調べたい場合は、WEB検索を行います。

その一方で、あまり普段は使わないけど、いざというときに使えないと困るものの場合は説明書を残しておきます。そういった物は数少ないのですが、例えばうちの場合はテプラ(あの名前シールを作成するやつです)だとか仕事で使う工具関係のものとかがそれにあたります。これらは取り扱い説明書ファイルにいれるようにしました。

 

以前購入して未使用だったファイルがあったので使ってみました。かなり便利です。

 

というわけで、本日は一区画終了(1時間程度)。十分達成感は得られた上に、残りの十分な時間をほかのこと(自分を成長させること)にまわすことができました。

今まで探していた資料も見つかり、いいゴールデンウィークになりつつあります。

 

さあ、明日も断捨離がんばるぞ。

以上たーさんでした(終)

 

 

 

自分なりの断捨離をやってみたら、部屋がスッキリしました!

こんにちは。

 

この歳になってくると、これから生きていくであろう時間よりも過去の方が長いのではないかと考えるようになり、過去の産物が大切になってきます。「自分が生きてきた証」のような感じでとらえるようになり、ちょっとした思い出の品も手にとってみると、⦅あの時はあのような生活をしてああいうこともあったな。⦆⦅あのときこんな行動をとっていれば今はもっと違う生活だったかもしれない⦆みたいなことを振り返ったり、想像したりするのです。そういう品は、昔を思い起こすキーになることが多く、当然軽々しく捨てることなんてできません。

(すがりついていたいのです)

ふと気づいたら、部屋の中を見回しただけでものすごい量の遺産が所狭しと置かれています。

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以前断捨離を思い立ち、少しでも部屋をスッキリさせようと努力しましたけど、なかなかしんどいというのが実情です。

必要ないと思って、手にとった瞬間にその品を買った(もしくはもらった)バックグラウンドが走馬燈のように駆け巡ってきます。結局、そこで断捨離の手は完全に止まり、「捨てられない。とっておこう。」スパイラルに突入するのです。

 

みなさん、ご存じのように断捨離は「捨てるもの」「必要なもの」「グレーゾーン」の3つに分けることがメインの作業になります。私の場合、実際をそれをやっても「捨てるもの」はあまりなく、「グレーゾーン」が山のように出てきてしまいます。私が断捨離にトライしようと思っても、なかなか部屋がきれいにならないのはそれが多すぎるからなのでしょう。

 

そこで最近は捨てることはあきらめております。部屋をきれいにするには物が減る方が片付けやすいのですが、それができない場合はせめて遺産をしまっておけるスペースを確保してあげればいいと思いました。あってはいけないところに物が散らかっているという状態を避ければいいのです。机の上に資料の山があったり、床に脱いだ服が置いてあったりすることがいけません。

つまり、それらを収納する場所を見つけてあげて、きれいであるべき場所はきれいにしてあげることが必要と考えました。

(当たり前のことに気づきませんでした)

 

収納場所にそれぞれカテゴリーを設けて、遺産を振り分けていきます。いわゆるよく使う表現として「物に住所を与えてあげる」のです。きちんと区画分けして、そこに家を建てて物を住まわせる、そんなイメージです。家を与えられなかった物たちは段ボールに入れるなり、確実に捨てられる物はゴミ箱行きとなります。

段ボールは大きさを決めておきます。部屋に置いても邪魔にならない大きさです。その段ボールに入りきらなかったものは捨てます。自分の部屋に置きたくなければクローゼットにしまいましょう。

半年後くらいに再び段ボールを日干しついでに開け、そこで入れていた物を手にとって何の感情もわかなかった物は捨てていきます。半年間一度も思い出すことのなかった物は次の半年間も思い出すことはないでしょう。

 

さて、このままでは段ボールの数がどんどん増えてしまうではありませんか。

都内では人が集中する場所にタワーマンションが次々に建っています。敷地が少ないのであれば、3次元的に上方に向かって住む場所を増やしてあげればいいのです。

ということで、最近背の低いBOX型の棚をやめて2m近くある棚を壁に設置しました。MUJIのスタッキングシェルフ5段×3列とそのワイドのもので5段×2列を高価でありましたが購入したのです。結果、今まで机の上を埋め尽くしていた資料も、リビングに山積みになっていた本もすべてその中に納まってしまいました。1列は区画ごとにかごを用意して、下着や靴下などの小物類をしまうこともでき、場所をとっていた衣装ケースも捨てることができました。段ボールは1個部屋の隅においてあるのみです。

 

もちろん、何が何でも棚に詰め込めばいいというわけではありません。区画ごとに、そして段もしくは列ごとにテーマを決めていっています。当たり前のことかもしれませんが、「文房具」「仕事関連の本」「自分の将来の参考になる本」「運動関連のグッズ」といった具合です。「雑誌」の区画は古くなったものは必要な記事を切り抜くなどしてファイルし捨てています。本も読んでいないもの、今後も読まないであろうものは中古に出しています。こうして新陳代謝を行っていくと、少しずつ変化も生じて飽きない外観となります。

 

人生残された時間、物を探して時間をロスしたり物を避けながら歩いたりするよりも、時間を大事に扱いながらストレスのない毎日を送りたいものです。

以上たーさんでした(終)

 

 

断捨離は少しやってみたけど、その効果はどうなの?~服を断捨離してみました~

こんにちは。

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昨年から自分の中で「断捨離」宣言してみましたが、なかなか時間が作れずに全く進んでいません。

断捨離って、口では簡単に言えるけど、なかなかうまく実行できないものですね。みなさんは、いかがでしょうか。

本屋に行くと、「断捨離」だけでなく「片づけ」「整理整頓」とかそれらしきタイトルがズラリと並んで、私もいくつか買って読んでみました。読むと、一見簡単のように思えてしまうのですが、実際断捨離を決行してみると、迷って捨てられない「グレーゾーン」の物ばかりで、ほとんど捨てられず。逆に箱に入っていたものを拡げすぎて、部屋が散らかってしまいました。

というわけで、その散らかった部屋を少しきれいにしましたが、結局自分のダイエット同様に一進一退の状態。

一体、「断捨離って効果あるの?」というように、自分ができないことを棚に上げて断捨離そのものを疑うようになってきました。十分物に囲まれていても生活できるし、逆に物があると安心感が芽生えるんですよね。

実は断捨離に成功した箇所が自分の部屋にあった!

そうなんです。最初のころ、つまり気分が乗っていたときに断捨離を行った場所があります。それはクローゼットなんです。

自分の着ている服をかけている場所、果たしてそこは断捨離をして数か月、効果はあったのでしょうか。

実は、服については断捨離の効果があったんです!

今、この記事を書いていてあらためて驚きました。

 

昨年夏ごろにクローゼットが満杯になり、ハンガーをかけていた支柱が曲がってきたので、これはまずいと思い、以後来ていた服やその後出番となった秋冬物のコートを床や椅子においたりしていました。秋ごろまでにみるみる服の山が部屋の隅にできあがり、そのうちに本、給料明細などの大事なものがその間に挟まってしまい、いよいよ危険地帯になりつつあったところで、断捨離をすることにしました。

 

このブログの内容的にも「断捨離ブログ」を兼ねていたので、それも断捨離を行うきっかけになりました。

 

ただクローゼットから服を全部出して拡げるという俗にいう「断捨離祭り」はしませんでした。飽きっぽい私の場合、途中でやめてしまう危険性が十分にあるからです。

秋に夏物、ユニクロ物の処分

まず秋だったので、夏物を優先的に処分しました。半袖のシャツで少し高価なブランド物はクリーニングに出し、数年前からあった「ユニクロ」物は処分。

ユニクロに持っていくとリサイクルになるということを知っていましたが、リサイクルにこだわっていると、なかなか処分できないので捨てました。襟部分がヨレヨレになったTシャツや、襟や袖部分が擦れているシャツもゴミ袋に直行です。

過去の栄光にすがるな

次に着れるかどうかです。いつかダイエットに成功したときのために、かつての「栄光の時代」の服をとっておりましたが、それから早10年。10年前の服なんていまさら着れないでしょう。シャツは胸やお腹が邪魔してボタンをしめるところまでいかないし、ジーンズは膝のちょっと上までしか上がりません。万一やせたときには流行はすでに変わっているし、きっと新しい服を着たいと思うので、そのときにまた服を買えばいいのです。下手すると、一生そのような「栄光の時代」は戻ってこないかもしれませんが、、、

これらを処分することでクローゼットと大きな衣装ケースの半分は空きました。すでに大きなゴミ袋3個が玄関に置かれています。

衣装ケースの隙間には半袖のシャツやTシャツなどの夏物がたたんで入れられました。

スーツは上下揃っていないと意味がない

続いて、スーツ類。普段職場では制服なので、スーツを着ていくことは全くありません。ただ時々会合やセミナーがあるときはスーツが必要になってきます。

実はスーツも何着かありますが、まともに上下そろっているのは1,2着だったりしました。ズボンの方は太りだしてから履けなくなったり、お辞儀した瞬間に尻に亀裂が入ったり穴があいたりしているので(漫画みたい)、着れるのは上だけなのです。ところが全部似たような黒やネイビーだったりするので、いざ急な用事があって着なければいけないときに「神経衰弱」状態となることがたびたびありました。

「神経衰弱」状態とはトランプのアレです。一度セミナーに行くときにスーツを着て玄関に立ったとき、「あら、面白い格好で行くのね」と妻に声をかけられたことがありました。上は黒の薄いストライプ、下はネイビーで、暗いところでは分かりにくいのですが、明るい中に立つと明らかにおかしい!あわてて着替えたことがありました。

スーツも値段に関わらず上下揃っているのだけを残して、すべて処分しました。スーツ分がなくなるだけでも、クローゼットはだいぶ空きました。そうすると、床に放り投げてあった洗濯したばかりの長袖のシャツがきちんとしわをのばされて、ハンガーにかけられたのです。そしてズボンも同様に。

そして床にスペースができました!!

 

まだまだ捨てられるそうな物はあったのですが、部屋の服の山がなくなったところでいったん終了。全部いっぺんにやろうとするなんて、無理をしてはいけません。気分が乗ったときにまたやればいいのです。

 

 

さて、数か月経った今、何が変わったのでしょう。

当たり前の習慣が身についた

まず今までは床に放り投げたり、椅子にかけていたりした服がきれいに全部クローゼットの中に納まっています。帰宅したら、脱いですぐにハンガーにかけるという当たり前の習慣が身に付きました。

服をかけるスペースがあるから、服をかけられるという、当然の状態が今まではなかったのです。

曲がった支柱は仕方がありませんが、今の重量ならば常識の範囲なのでこれ以上に曲がることはないでしょう。

シャツはハンガーにかけるとしわくちゃにならない

すべての服をハンガーでかけてもまだスペースがあるので、シャツも無理に押し込んでしわくちゃになることはありません。毎回シワシワのシャツを着ることはなくなり、朝も気持ちよく出かけられます。

コーディネートができるようになる

自分の服が一目で見渡せるようになると、服のローテーションについても考えるようになります。今までは服の山の中から毎朝選んで着ていましたが、そうすると2,3日に一度同じ柄になったりすることもしばしばありました。時に山をひっくり返して、一番下にあったシャツを着たりするという工夫もしましたが、当然シワシワでした。

それがハンガーにかかって自分のシャツをきちんと見渡せるようになると、選ぶことができるようになるのです。ズボンもセーターも同様です。変な色の組み合わせで、服を着ることがなくなりました。いわゆるコーディネートってやつですか。

服の無駄な出費がなくなった

そして、一番大切なところでは新しい服を買うことがなくなりました。ちょっと前までは服がない(山の中にある)という理由で、ユニクロに行ってシャツを買ったりしていましたが、実は十分に着る物があることがわかりました。あれだけ処分してもまだ十分に着る服があるので、買う必要がありません。買ったのはいいけど、包装から出していない服が山の下の方にあったりしました。

服に使うお金が最近大幅に減りました。節約というか、いかに今まで無駄なお金を使っていたかということです。

というわけで、断捨離の効果は十分にあったと思います。

まとめ

服の断捨離を実行してみたところ

  • 収納スペースを確保できたので、片付けやすくなった
  • 床や椅子の服の山がなくなり、スペースができた
  • 毎回服をかける習慣ができた
  • シャツのしわがとれた
  • 自分の服の選択肢が増えて、コーディネートできるようになった
  • 無駄な出費が減って、節約できるようになった

 

この記事を書きながら、断捨離効果に我ながら驚いています。今までなぜ当たり前のことができなかったか。それは「負のスパイラル」に陥っていたからなのでしょう。

これを契機にまた自分の体を含めた断捨離を再開したいと思います。以上たーさんでした(終)

 

 

整理の仕方:年賀状もらったけど整理が大変!どう整理しようか?

こんにちは。

今年こそは年賀状の整理をしようと意気込んでいるたーさんです。

ですので、今回は年賀状の整理の仕方について、ちと書いてみたいと思います。

 

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年賀状はとっておいてあまり意味がなかった

上の1文がまず最初の結論です。

自分の書斎に埋もれている年賀状をさがしてみました。

バラバラでおいてあったもの、輪ゴムでまとめてあったもの、そしてファイルに保存してあったもの、全部出してみると平成17年の分からありました!

(ざっと10年分!!)

(結構な量だし、ほんとスペースの無駄ですな)

たしかにスペースの無駄!実際その中で見返したことのあるものはまずありませんでした。

もちろん前年分もしくは前々年分は年賀状を出した出さないで住所を書くときに参考していましたが、

3年前より過去のものはまず見返しませんでした

ということは3年以上前の年賀状は断捨離の対象になりますよね。

年賀状を処分するとき

自分の場合、年によって年賀状を事前に準備するときと年明けに準備する(?)ときがありました。事前に準備するといっても、大晦日に急いで書いていることが多かったのですが!

(大体まわりの友達に聞いても、そんな感じです)

(そもそもこの風習をなんとかできないものかな)

なんて思いながら書いていた気がします。

それでも年明けに年賀状が届くとうれしかったりするもんですよね。

年内に出した場合はたいてい1月7日あたりの松の内までに届いていましたが、年明けに相手の年賀状が来てから出したものについては、下手すると成人式ごろに相手方に届いて返信がこないときもありました。

(そうりゃあ、そうでしょう。年賀状を買いに行ったりするのも面倒だし)

ということで、その場合次の年の年賀状を書く際に1年前の来た年賀状のみをチェックしていると漏れてしまうことがあるのです。つまり、自分のだらしなさからその人との縁が切れてしまうかもしれないのです。さすがに2年来ていない人は縁が切れていると思います。

もちろん、喪中はがきが来た人についても注意です。これも次の年の年賀状リストから漏れてしまう可能性があります。

ということで、いきなり捨てるのではなく、過去2年分(慎重な人は過去3年分、喪中はがきが2年連続で来た人も1人だけいました)の住所録をまず作成して、それから処分することにしました。

もちろん、3年以上前の年賀状は処分させていただきます。

さて処分の際には、さすがに個人情報の問題があるので、そのまま捨てるわけにはいきません。

自分が今までとっておいたのは、個人情報の問題があるからと、もう一つは子どもの顔写真とかがプリントされているとやっぱり気が引けます。

(いつかはこの子どもがすごい有名人になって、そのときにこの写真をもっていると価値がでるのではないか)

なんて、変なことを考えたりしたこともあって、今このざまです。

でもそんなことをしていたら、将来年賀状のためにものすごいスペースを占拠されてしまうことになり、それからの処分を考えると今、心を鬼にしてやるしかないのです。

子どもだって成長していくので、そんな過去の遺物をとっておいても仕方がないし、どうしてもその子どもの昔の写真が欲しければ、その友人に写真をおねだりする方法もあります。

(そんなことあるんかい?)

というわけで、今年は処分の際にはシュレッダーを使うことにしました。

不思議なことにきれいに切り刻まれると、何の罪悪感もないものです。かえって住所を消すためのスタンプを押したり、はさみで中途半端に切る方が、なんとなく捨てにくくなります。

これでまず結構な量を処分できました。

過去の2年分の年賀状をどうするか

大量処分のあとに年賀状を保存するファイルが残りましたが、これはもちろん捨てます。見返すこともないし、ファイルだと結構背丈が高いので本棚になかなかフィットしなくて今までは寝かせていました。

(本数冊分の無駄なスペースでした)

というわけで、今年は違った形で保存しますが、その前にもう来年の準備です。正確には今年の暮れに向けて「THE前倒し」!

 

なんてことはない、来年に向けて住所録の整理です。過去2年分(喪中も含めて)、手間がかかりますが、住所をチェックしていきます。

ただし

職場でしょっちゅう顔を合わせている人

明らかなに転勤する予定のある人(毎年転勤する人は数人います)

単なるDM的なもの

は除いていきます。

そしてチェックするのは当然その人の最後に来た年賀状(喪中のはがき)だけでいいのです。そしてこれをやれば来年からはチェックの手間が省けるので、だいぶ楽になります。

我が家では「筆ぐるめ」を使っています。ソフト自体は毎年買い替えているわけではなく、数年に一度更新している程度です。住所録はずっと使えます。

「筆ぐるめ」だけでないかもしれませんが、ほかのソフトでも住所録をデータとして保存して、それを新しいバージョンもしくはほかのソフトに取り込むこともできます。今年はそのデータをUSBに取り込みました。こうすることでPCを買い替えて、そこに新しい筆ぐるめが存在しても、そこに最新の住所録を取り込めますよね。

(おお、っつうか普通でしょ、それ)

(いや、うちの親に昨日教えたばっかだった!?)

住所が変わっている人はその場で変更。住所不明で戻ってきた人は住所部分は空欄にします。さらに筆ぐるめの場合は年賀状のやりとりをしたかどうか(正確には宛名印刷をしたかどうか)をチェックする欄があるので、そこにチェックをします。

そして住所チェックが終わったら、今年の分と昨年届いた喪中はがき以外は全部おさらばです。

(うわー、スッキリです)

そして大事なのが、今年のはがきです。

まず1月15日(2017年の話)がお年玉の抽選日です。きちんと当選しているかどうかを確認しましょう。1等はセレクトギフトまたは現金10万円です。

(当たるわけないわな)

なんて思っても、もしかしたらというのがあります。

年賀状の整理の仕方を検索すると、PCに取り込んだりファイルしたりと丁寧をめざしたらキリがありません。簡単な方法として、ガムテープでとじて冊子のようにしたり輪ゴムでとめる方法があります。

うちでは、Ziplocに入れています。万一必要になったときに出し入れが自由ですし、次の年も使えます。

年賀状を分類するにあたり

検索していると、年賀状を以下の3つに分類しましょうというのが書かれています。

・こちらから年賀状を出した人

・年賀状をいただいてから返信をした人

・こちらが先に年賀状を出して返信がきた人

先も書いたように、自分のまわりの人も職場の若い世代の人も元旦に届くよう暮れの25日までに投函する人は減ってきているように思います。その一方できちんと元旦に届くように出していただいている先輩方もいらっしゃいます。

分類すると楽なのかもしれませんが、どっちが先かということではなく結局年賀状が来たか来ないかということになりますので、そこは自分はあまりこだわりません。ざっくりまとめてZiplocに詰め込みました。

 

あと大事なのは、メールであいさつが来た人を忘れてはいけません。海外の友だちはクリスマスカードかメールで来ます。クリスマスカードはさすがに年内に送ってしまいます。メールは当然年明けになりますので、そのメールは保存しておいて、送ってくれた人のリストをZiplocに一緒にいれておきます。

今後のZiplocの扱い

あと今後、

引っ越しましたハガキ(住所が変わる)

結婚しましたハガキ(姓が変わる、場合がある)

喪中ハガキ

は、来たら全部Ziplocに昨年のものと分けていれておきます。

 

11月に年賀はがきがまた発売されたら、前述した年賀状のやりとりした人のチェック数を数えて、それに前年の喪中はがきの分の枚数分だけ購入します。

表の絵柄、名前、住所、あいさつと簡単なコメントだけ早々に印刷してしまいます。

ちなみに来年の干支は「戌(いぬ)」ですので、今年のうちに家族と犬の写真をとっておけばいいでしょう。あとはそれをPowerPointで作成するだけです。

そして投函できる12月15日までに新たに引っ越し、結婚した人の住所録書きかえを行い、喪中の人はやりとりした人のチェックからはずして、宛名を印刷してしまいます。

最後に自筆でそれぞれコメントをいれて25日までに投函すればいいのです。

(おお、気分はもう年末!)

 

というわけで、これで年賀状の整理ができたわけです。そして住所録もそれなりに作成されました。

まあ、年賀状って

「一応まだつきあいはありますよ」

という意味合いが強いので、このつきあいがなくなれば正直縁の切れ目なんでしょうね。短い人生の中で出会ったことは何かの縁なので、これで音信不通になるのも何かさみしいような気がします。1年に1度面倒な作業を惜しまずに、今後も続けていくことになりそうです。

 

と、正月終わったばかりなのに、しみじみしてしまったたーさんでした(終)

冷蔵庫の中の期限切れの調味料を処分してみました!

こんにちは。

今日は12月29日、今年もあと3日です。

そして可燃ごみを出せる日は、今年は明日が最後です。

(私のその役目も明日が最後、そして今日と明日の朝が一年で一番忙しい!)

と、心の嘆きをみなさんにお伝えしたいたーさんです。

 

断捨離下手な我が家では、「年末大掃除」とか「お客さんが来る」とか、このような理由づけがないと思い切って物を捨てることはしません。

日本人のもったいない精神がきちんと体に染みついている

というか、

いつか何かに役に立つんじゃないかという庶民的な感情にひき吊り回されている

というか

要は我が家は片付けができない人の集まりなんです。

 

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調味料の整理

特にこの時期になって、やっと手をつける場所はキッチン、それも冷蔵庫の中です。

あえて言えば、なかなか大変なのが調味料たち!

調味料に期限があるなんて、全く考えたことがなかったので、

かつて一人暮らししていたときには期限が切れてから数年経ったカレーパウダーとか平気で使っていました。

(よく体を壊さなかったな)

(ん?それが太る体質にしたのか? なわけねえか)

 

意外に調味料の類の期限切れが早いので、最近料理をたまに作るときでも

なるべくレシピ本通りではなく、塩、コショウ、しょうゆで代理としております。

例えば、みりんの代わりに砂糖を入れたりとか、豆板醤を入れるべき味つけも七味を多めにいれたり、、、

(これって、本当に代わりになっているのかい?)

 

なっていませんね。全然代理になっていませんよ。

だから、きちんとした料理を食べたいときはつい買ってしまうのです。その1回きりの料理のために。

そして、それが積み重なって整理されていない冷蔵庫になってしまうのです。

甜面醤、豆板醤、食べるラー油オイスターソースの中華系調味料、カレー粉、パプリカ、ガラムマサラやクミンなどのインド系調味料、イタリアンパセリ、ハーブミックス、ローズマリーなどのハーブ系調味料、そして健康に気をつかって買ってしまった黒酢など

これらが、ところ狭しと冷蔵庫の扉のポケットに入っています。立てておくことができないものは、その上に横になって寝ている状態です。

(扉をちょっとでも乱暴に開けようもんなら、落ちてきて足に当たって痛い!)

(そもそもイタリアンパセリとかって冷蔵する必要あるんですか?)

 

調味料の整理の何が面倒か

〇ハーブ系調味料は蓋をはずしてビニルゴミ袋に捨てればいいんです。ビンの方もそんなに汚れていないので、軽く水ですすいでおしまいです。

簡単です。

 

△甜面醤や豆板醤はビン詰めになって、そのビンの内側にこびりついています。

こういう場合は、中身をゴミ袋に捨てて一度水ですすいだ後に、指できちんと中を洗います。

ささくれだった指の場合は豆板醤がしみます。

ビンと蓋の両方を洗い、おしまいです。

やや手間です。

 

▢ただ一番大変なのは、オイスターソースなどのドロドロした液体系です。ビンにキャップがついています。なかなか外すのが大変です。

(深爪した爪と指の間に食い込んできます。)

(痛いんだよ)

瓶詰の醤油やドレッシングでも時にあります。

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にっく気こいつです。

中身はいったんキッチンペーパーとか新聞紙に吸わせて捨て、なんとかビンを水洗いしようとしますが、キャップがあるとなかなか洗いにくいのです。

親切にキャップを外せるようになっているのもありますが、大体途中で切れてしまい、挫折してそのままゴミに出してしまいます。

(ほんとはきちんと分別しないといけないのですが、、、)

*昔、ごみの仕分けで有名な渡辺満里奈さんが、そのキャップをはずすためのツールがあるということで、なんかの雑誌で紹介していたような気がします。

そのツールがあれば、すごく便利な気がします。探してみます。

 

 調味料が冷蔵庫の中を占拠しないようにするために

・料理をしない

というのが一つの解決法かもしれないが、健康のことを考えるとやはり自分で体のことを考えて料理を作るべきだと思います。

・あえてその調味料を使わないで、料理を作る

というのも一つの解決法ではありますが、料理を作るのであればやはりレパートリーを増やしたいと思うのが普通でしょう。

・料理をするときに、その調味料の代わりを使う、むしろその調味料を作る

これは最近やってみましたが、期待に答えきれていないことが多すぎます。

・普通に毎日料理をいっぱい作って、調味料を使いこなす

理想です。でも時間的に無理そうです。うちの相方がそんなことできるとは思えません。

結論はなかなかでませんね。

断捨離的な見地からすると、

無駄にするのであれば最初から買うな

ですね。

麻婆豆腐とか青椒肉絲とか、そのようなものは調味料を最低限にするか、もしくはレトルトで済ませてしまうのです。

(日本は便利な国ですwww)

”男の料理”っつうものにこだわっている必要はないのです。

結論はまた後日にします。

 

とここまで書いたところで、実は大変なことが起きていたのでした。

この後、ゴミを捨てに行こうと思っていたのですが、妻より

「資源ごみは先週で終わったわよ。だから出さないでよ。」

だって。

何から何まで今年は空回りすることが多かったたーさんでした(終)