たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

自分なりの断捨離をやってみたら、部屋がスッキリしました!

こんにちは。

 

この歳になってくると、これから生きていくであろう時間よりも過去の方が長いのではないかと考えるようになり、過去の産物が大切になってきます。「自分が生きてきた証」のような感じでとらえるようになり、ちょっとした思い出の品も手にとってみると、⦅あの時はあのような生活をしてああいうこともあったな。⦆⦅あのときこんな行動をとっていれば今はもっと違う生活だったかもしれない⦆みたいなことを振り返ったり、想像したりするのです。そういう品は、昔を思い起こすキーになることが多く、当然軽々しく捨てることなんてできません。

(すがりついていたいのです)

ふと気づいたら、部屋の中を見回しただけでものすごい量の遺産が所狭しと置かれています。

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以前断捨離を思い立ち、少しでも部屋をスッキリさせようと努力しましたけど、なかなかしんどいというのが実情です。

必要ないと思って、手にとった瞬間にその品を買った(もしくはもらった)バックグラウンドが走馬燈のように駆け巡ってきます。結局、そこで断捨離の手は完全に止まり、「捨てられない。とっておこう。」スパイラルに突入するのです。

 

みなさん、ご存じのように断捨離は「捨てるもの」「必要なもの」「グレーゾーン」の3つに分けることがメインの作業になります。私の場合、実際をそれをやっても「捨てるもの」はあまりなく、「グレーゾーン」が山のように出てきてしまいます。私が断捨離にトライしようと思っても、なかなか部屋がきれいにならないのはそれが多すぎるからなのでしょう。

 

そこで最近は捨てることはあきらめております。部屋をきれいにするには物が減る方が片付けやすいのですが、それができない場合はせめて遺産をしまっておけるスペースを確保してあげればいいと思いました。あってはいけないところに物が散らかっているという状態を避ければいいのです。机の上に資料の山があったり、床に脱いだ服が置いてあったりすることがいけません。

つまり、それらを収納する場所を見つけてあげて、きれいであるべき場所はきれいにしてあげることが必要と考えました。

(当たり前のことに気づきませんでした)

 

収納場所にそれぞれカテゴリーを設けて、遺産を振り分けていきます。いわゆるよく使う表現として「物に住所を与えてあげる」のです。きちんと区画分けして、そこに家を建てて物を住まわせる、そんなイメージです。家を与えられなかった物たちは段ボールに入れるなり、確実に捨てられる物はゴミ箱行きとなります。

段ボールは大きさを決めておきます。部屋に置いても邪魔にならない大きさです。その段ボールに入りきらなかったものは捨てます。自分の部屋に置きたくなければクローゼットにしまいましょう。

半年後くらいに再び段ボールを日干しついでに開け、そこで入れていた物を手にとって何の感情もわかなかった物は捨てていきます。半年間一度も思い出すことのなかった物は次の半年間も思い出すことはないでしょう。

 

さて、このままでは段ボールの数がどんどん増えてしまうではありませんか。

都内では人が集中する場所にタワーマンションが次々に建っています。敷地が少ないのであれば、3次元的に上方に向かって住む場所を増やしてあげればいいのです。

ということで、最近背の低いBOX型の棚をやめて2m近くある棚を壁に設置しました。MUJIのスタッキングシェルフ5段×3列とそのワイドのもので5段×2列を高価でありましたが購入したのです。結果、今まで机の上を埋め尽くしていた資料も、リビングに山積みになっていた本もすべてその中に納まってしまいました。1列は区画ごとにかごを用意して、下着や靴下などの小物類をしまうこともでき、場所をとっていた衣装ケースも捨てることができました。段ボールは1個部屋の隅においてあるのみです。

 

もちろん、何が何でも棚に詰め込めばいいというわけではありません。区画ごとに、そして段もしくは列ごとにテーマを決めていっています。当たり前のことかもしれませんが、「文房具」「仕事関連の本」「自分の将来の参考になる本」「運動関連のグッズ」といった具合です。「雑誌」の区画は古くなったものは必要な記事を切り抜くなどしてファイルし捨てています。本も読んでいないもの、今後も読まないであろうものは中古に出しています。こうして新陳代謝を行っていくと、少しずつ変化も生じて飽きない外観となります。

 

人生残された時間、物を探して時間をロスしたり物を避けながら歩いたりするよりも、時間を大事に扱いながらストレスのない毎日を送りたいものです。

以上たーさんでした(終)