こんにちは。
年が明けて、毎日なんか新しいことないかなとキョロキョロしております。
(挙動不審者かい!?)
・毎日新しいことを見つける、体験する
・1日の終わりに気持ちよく布団に入る
この2つのことをがんばって、毎日を過ごしております。
新しいことを見つけるためには、やはりそれなりの時間がないとだめですよね。
今日が終わろうとしているギリギリまで帰らないような生活だと、当然外は真っ暗だし、お店は閉まっているし、帰ってからなにか始めようとしても眠いし、それだけの十分な時間がありません。
さて、新しいことを見つけようとすると、自然とアンテナが敏感になるのでしょうか。
普段だったらボーっとして気づかなかったりスルーしていたりするようなことも、不思議と目に入るものですね。
電車の広告が目に飛び込んできました。
「深見東州って誰?」
別に今日はそのことを書こうとしているわけではありませんが、昨日の帰りの電車の中で見て以来、気になって仕方がないのです。
話をもとに戻します。
「新しいことを見つける、体験する」ということは、普通は
・ちょっと寄り道して新しいお店を見つける
・ぶらっと入ったお店で面白い商品を見つける
・ネットで見つけた楽しそうなイベントが参加する
・同僚とはじめてのスポーツをやってみる
とかそんなんだと思います。
つまり、自分が見たり聞いたりした新しい情報が主体ということになるのでしょうか。
これはこれで面白いことだと思います。
実際、47年間生きてきて、いまだかつて経験したことのないものって結構あります。
そもそもそんなに積極的に外にうって出ようなんていう性質(たち)でなかったので、
おそらく世間一般の人たちが経験しているであろうことも、多分自分の場合は未経験なんでしょうね。
例えば、
・一人で焼き肉屋さんに入ったことがある
→ ないです
・山手線を1周したことがある
→ ないです
・フルマラソンを完走したことがある
→ ないです
・アイドルの握手会に行ったことがある
→ ないです。でも行きたいです。
などなど、、、
(いやいや、周りの人たちもやったことねえだろ、そんなの!)
正直最後のフルマラソン以外は、自分のために役立つ経験かどうか微妙ですし、胸張って宣言できるもんでもありません。
でも、それはそれでやってみたいことであります。
こういう外的要素の中に新しいことを見つける、体験するということも当然ありますが、それとは別に自分の内的要素において新しいことを発見するというのもあります。
それも大事だと思います。
要するに、新しい自分を発見するということです。
例えば、
・一生懸命勉強して新しい知識を身につける
・運動をして、自分の限界を越えていく
・はじめてのイベントに参加して自分の新たな一面を発見する
などなど、、、
というわけで、今年の目標としては、より具体的に
・新しい知識を身につける(統計学、中国語など)
・10km走れるようになる(フルマラソンは無理!!)
そして、
・アイドルの握手会に行く
(それなんかい!?)
をがんばります。
(なんなんだ!俺は!)
よーしっ、今日もがんばります。
以上たーさんでした(終)