自分の時間は限られている。
いつまでも好きに時間を使うことができると思っていたら大間違いだ。
命の時間は有限であり、それがどれくらいかは正確には分からない。
このコロナ禍においてはなおさらだ。
それと同じくらい当たり前のことだが、自分の体は一つしかない。
分身の術なんて技が子どもの頃忍者ごっこして流行っていたが、あれも結局本物の自分以外は幻影でしかない。
自分の時間が限られていて、自分の体は一つしかない
こんな当たり前のことを自分は分かっているはずなのに、なぜに物事を全部自分でやってしまおうとするのか?
時間管理の自己啓発書やビジネス書には書いてある。
とにかく、人に任せられるものはすべて人に任すように、と。
自分がやっても他人がやっても、結果同じ結果になる仕事については、他人にやってもらうということが鉄則なのだ。
他人にやってもらうことができれば、その分自由に使える自分の時間が増えるので、それを自分にしかできない別のことに利用すればいい。
その方が全然生産性が高く、効率がいい。
自分でやりたがる理由
自分でどうしてもやりたがる理由を考えてみた。
・自分で状況を確認しながらやる必要性があると考えている
他人を信用していない、自分が一番確実だと思っている。
もちろん、自分の専門的知識やスキルを十分に活かせる仕事であれば、自分でやるべきである。
しかし、どうでもいい書類の整理だとか、部署の引っ越しの準備だとか、職場の隅っこにおいてある冷蔵庫の中の確認だとか、何故自分である必要があるのだろう。
・人に頼むのが億劫である
こんな雑用をほかの人にお願いしていいのか?
後輩に頼んだら、あの上司はいつも仕事を押し付ける嫌な上司だと思われないか?
もし、お願いするとしたら、どのように頼めばいいのか?
こんなことを考えてしまう。
要は、そのようなことを考えてしまうのが面倒だと思っており、ならば自分でやってしまおうというカラクリなんだろう。
いやいや、実際後輩に頼むと二つ返事で引き受けてくれて、結局取り越し苦労だということがわかるのだが。
要するに考えすぎなのだが、一方でその仕事を人に頼むということ、つまりコミュニケーションをとるということを放棄しているのだ。
・お金がかかる
例えば引っ越しなんていうのは引っ越し業者に任せてしまえばいいのだ。
自分が何も仕事の合間に数十個ある段ボールを持ちながら、階段を昇り降りして建物内を移動する必要はないだろう。
職場の秘書さんが、お金はかかるが業者を雇うことはできますよと親切に言ってくれているのだから。
お金と時間、どっちが大事という話だ。
当たり前だが、
時間>>>お金
時は金なり、という言葉が如実にそれを示している。
歩いて1時間、タクシーで10分のところに行くのであれば、時間を有効に使うのにタクシー代を払うべきだ。
どうも時間よりもお金の方を大事と考えがち。
それは、お金は目に見えているが、時間は形としてないからなのか。
もう一つある。
・責任の問題
他人に任せてミスをしたらどうするのか。
自分が責任をとれるのか。
だったら、自分でやった方がいい。
もちろん、責任重大な仕事は自分でやるべきだ。
ただ、引っ越しとか冷蔵庫の整理だとか、そんな責任問題になるだろうか?
他人に任せるべき理由
自分ですべてをやろうとするのは、ナンセンス。
自宅では、家族に「お茶持ってこーい」なんて言っているのに。
逆に、それくらい自分でやれよという感じ。
・自分の時間を作ろう
人生は限られている。
特にこのコロナ禍、いつ罹患して急変するかわからないのだから。
・精通する人間に任せた方が早く片づけられるかもしれない
自分が一番ではないのだ。
とんでもない過信だ。
・仕事の内容によっては、後輩の教育の場になるかもしれない
後輩の育成にとってそれは非常に大事なことなのだ。
自分がいなくなったときのことを考えよう。
これからどうすべきか
今後はまず仕事が降ってきたら、まずほかの人ができそうな仕事であれば断ること。
自分が責任もってやらなければいけない仕事であっても、自分でなくてもいいような仕事内容であれば(責任問題が小さければ)、ほかの人に任せることをまず考えることが大事。
何かあれば、責任は俺がとるから、という肝のすわった人間であるべきだ。
その上で、その分の自由な時間を自分にしかできないことに割り当てようと思う。
目標その6「他人ができる仕事は、なるべく他人にお願いする」