たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

高齢者の運転についての解決策は?

こんばんは。

 

 この2日間、高齢者の車の運転について自分なりの解釈で書いてきました。

 認知症の問題をはじめ、自分の仕事をしている分野に密接に関係している事柄なので、かなり自分の経験も含めて書いてきたつもりです。

 まず、都市部と地方の田舎では生活環境にかなりの格差があり、それが車の必要性の程度につながっているということを書きました。これから超高齢化社会を迎えるにあたり、高齢者の元気を維持するためには車が欠かせない一方で、加齢に伴う体の変化により事故が起きやすくなっているのも事実であるため、行政が何らかの手を打たないといけない時期にあるのです。

 

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 2年前の道路交通法改正で、高齢者の免許更新における検査が厳しくなっていることも書きました。

 

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 厳しくなったことで、認知症の可能性があるドライバーについては事故を未然に防ぐことがある程度可能になったと思います。ただし、高齢者の運転事故原因として必ずしも認知症だけが原因でなく、そういった原因による事故の数が少ないとは言え、それらによる事故のリスクについてはまだ完全に防げている段階にないことを言わざるを得ません。

 高齢者ドライバーの中で、安全に運転できる人と危険性のある人については免許更新の際にふるいにかけることで、ある程度の成果を出すことができると思います。もちろん、前回書いたようにこれからますます高齢者は増えることになるので、検査の手順の簡易化、検査をする人および講習の場所を増やなければいけない問題は今後急いで解決しなければいけません。

 

 さて、高齢者が運転するという前提で解決策を考えてきましたが、そうでない方法で解決策はないものでしょうか?

 高齢者が運転する必要があるのは、買い物などの目的があるからです。まれにドライブを楽しむ人もいるかもしれませんが、基本的には必要にあるから乗るのです。

 まず高齢者が運転しなくていいようにするには、目的地が家の近くにあればいいのです。もちろん、田舎を都市化することはまず不可能なわけで、単純にスーパーや郵便局、銀行、集いの場を集落の中心に集約させればいいのです。

 最近ではコンビニで、郵便、銀行もATMで扱えるようになり、わざわざ郵便局や銀行を探さなくてもよくなりました。宅配サービスもしてくれるし、イートインで知り合いとお茶をすることもできるようになっています。

 ただ大手チェーンはやはり利益重視ですから、人があまりいないところに店舗ができることはあまり期待できません。政府がだめでも自治体の方で誘致するようにすればいいのでしょうか?あるいは、チェーン店がなくても、役場とかにそのようなスペースがあればいいのでしょう。たとえば、道の駅のようなものが集落の中心にあればいいのかなと思います。

 さらには、コンビニエンスと言うのだから商品を売るだけでなく、便利性の追求として人の力を売るというのもいいのではないでしょうか?予約性にして、1時間でも2時間でも、予約した人の家に行って草むしりをしたりとか屋根瓦を直したりとかするのです。あるいはコンビニで手に入らないような物品を買い出しにいったり、送り迎えをしたりとかできたらいいじゃないですか?

 もちろん、それなりに働き手は必要になりますので、それは役場で働いている人なりが出張に行って手伝うような感じでやれないでしょうか?

 

 高齢者がネットを駆使することはなかなか難しいのかもしれませんが、これから高齢になる私たちは今すでにネット環境に慣れ親しんでいるので、高齢者の仲間入りをしても、いざというときはアマゾンや楽天から食料品を買うようにすればいいのでしょう。最近は急な場合でも、早くに届けてくれるようなサービスも始まっています。数年後には高齢者宅の玄関にアマゾンの箱が山積みになっている光景も見られるようになるのでしょうか。

 

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 最近は移動販売車が村の中を周回していることも多くなってきました。毎日新鮮な食料品を積んで家々の前に止めてお店を開くのです。若者が自分の故郷に戻って、故郷のためにということで半分ボランティアではじめたというニュースを見たことがあります。食料品だけでなくお惣菜なども自分たちで朝早く起きて作って、高齢者宅をまわって販売しているとのことでした。ほとんど儲けはないそうですが、自分の故郷を大切にしたいという思いが彼らを動かしているとのことでした。移動販売車ならば、高齢者も必要なものは家の前の車まで歩いてくればほしい物が手に入るわけで軽い運動になりますし、そこで隣人と顔を合わせることができます。時に住人が出てこない家については様子を伺いに行ったりして安全を確認できるという利点もあります。

 これも個人でやろうとすると、仕入れとかのお金の問題がありますし、休めないなどの労力の問題があります。クレープの移動販売みたいに会社がバックアップしてくれると、働き手も安心して移動販売を続けることができるのではないでしょうか?

 

 周回バスやタクシーの利用はどうでしょう。バスだとどうしても停留所は決まった場所に限定されてしまいますが、可能な限り集落の中を回るようにすれば町の中で人々が集まったりすることもたやすくなるはずです。ただやはり決まった時間の運行となりますので、急な用事の場合には難しいかと思います。

 より時間的な融通が利くのは、タクシーになるでしょう。ただ田舎のタクシーというのは個人タクシーになってしまうのでしょうか、数はあまり多くはありません。

 そんなときに役に立つのが、ウーバーなどのシェアライドシステムだと思います。若者が出かけるときに、高齢者宅に寄ってピックアップしていくのです。ウーバーのような大手のシステムを使わなくても、自治体独自のシステムを生み出していけばいいのです。朝会社に行くときに、となりのおばあちゃんを集会場まで送っていくとか、子どもを幼稚園に送るときに向かいのおじいちゃんをデイサービスまで送っていくとか。そういう小規模な活用からはじまって、もう少し広範囲でのサービス拡大といったところでしょうか。協力していただいた家族には、自治体から何かしら報酬を出すなどすればいいのです。

 

 思いつきのまま書き出してみましたが、実際に車がないとものすごく不便な田舎というのが、どれだけ存在しているのかわかりません。しかし、ないわけではないですし、実際そういうところで暮らしている高齢者の方々がまだ多くおられるので、何かしら知恵を絞ってその方々の生活の質を保証してあげることが必要だと思います。

 このように都市の中で生活していると気づかないような問題はまだまだあると思います。

 

では今日はここまで。 

以上たーさんでした(終わり)

 

お疲れのところお読みいただき、ありがとうございました。

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高齢者の運転について今日も考えてみた

こんにちは。

 

さて、昨日に続いて高齢者の車の運転について考えてみました。

 

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昨日の記事はこれです。好き勝手書いています。

 

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高齢者の運転は危険だから、やめさせろ

という意見と

体の自由があまり効かない高齢者ほど、車がないと行動できない

という意見があり、真っ向から対立しています。

この問題は、

公共交通機関が発達して、あちこちがバリアフリーになって高齢者にとっては断然住みやすい都市部の環境

と、それと逆に、

交通網が全く発達おらず、家々が散在して食料品を買いに行くのにもしばらく移動しなければいけないような地方の田舎の環境

との違いによるところが大きいと考えます。

 

ここ最近、都市部に高齢者が流入しているという話を聞きます。

東京都の場合は、65歳以上の高齢者の人口が毎年増え続けております。これは単にもともとそこに住み着いていた方々が年をとったというだけでなく、75歳以上の年齢が大幅に増えていることから、地方からの転入も増加しているととらえてもいいのでしょう。

シンプルに考えると、このままではすでに若者が都市部に流れていなくなってしまったところで、高齢の方々もいなくなってしまう地方は、どんどん元気がなくなっていくことになります。都市部と地方との格差がますます広がってしまうわけです。

 

まあ、今のは極端な議論でしたが、ただこの高齢者の運転問題はこれからいよいよ高齢化社会を迎える日本においては、非常に重要な問題になってきます。

おそらくこの両者の対立する意見があるかぎりは、一定年齢以上の免許をすべて取り上げるような法は作られないだろうと思います。

 

先日もニュースでやっていましたが、道路交通法改正により高齢者が免許を更新する際の検査や講習が厳しくなったとのことで、いろいろと問題が生じているようです。

以下は3月3日のNHK WEBニュースの抜粋です。 

75歳以上のドライバーが全国で最も多い愛知県で、運転免許を更新する際の検査や講習が厳格になったことで、教習所の対応が追いつかず、ことし、およそ3万人の高齢者が手続きを終えられないまま免許が失効するおそれがあることが、警察の試算でわかりました。専門家はほかの地域でも起こりうる問題で、制度の見直しを検討すべきだと指摘しています。

高齢のドライバーの事故が相次いだことを受けて、おととし3月、法律が改正され、75歳以上のドライバーが運転免許を更新する際、検査で認知機能の低下が指摘されると、自動車教習所で運転の様子をドライブレコーダーに記録し、個別の指導を受ける講習が義務づけられました。

また、これまでは同じ日だった検査と講習を別の日に受けることになったため、教習所の手間が増えて対応が追いつかず、75歳以上のドライバーが全国で最も多い愛知県では、講習の予約が取りづらくなり、免許の更新に平均で5か月以上かかる事態となっています。

一方、県内では70歳以上の講習の対象者が、ことし19万4000人近くに増える見込みで、愛知県警の試算では、およそ3万人が期限までに手続きを終えられないまま、免許が失効するおそれがあるということです。県警は相談があった人には、更新期限を延長する対応を独自にとっています。

 このニュースの中に具体例も書かれていました。

 

愛知県瀬戸市に住む津田さゑ子さん(81)は、去年12月が免許の更新期限でした。その1か月前の去年11月、認知機能の検査結果が出たあと、近くの自動車教習所で運転の講習を申し込もうとしましたが、すでに予約でいっぱいでした。

ことし2月に名古屋市内の教習所で予約が取れましたが、すでに免許は失効していました。

津田さんは車で保育園や小学校を回り、子どもたちに紙芝居を披露するボランティアをしていましたが、今は思うように行けなくなりました。

津田さんは「車は小回りがきくので、運転できないと不便です。車に乗れなくなるとボランティアもできないし、世間が狭くなる感じがします」と話しています。

 

これから高齢者はますます増えていきますが、すでに今の時点で問題が生じているので、今後同様の問題は増えていくでしょう。

 

 現在、高齢者の免許更新で行っている検査は主に認知症に対する検査です。もちろん、その検査でひっかかるようであれば、免許更新はできないとするのはわかります。

しかし、私も認知症の検査内容については人から聞いただけで、具体的にその場の検査の様子を伺ったわけではないのですが、果たしてその認知症の検査だけですべての危険因子を取り除くことはできるのでしょうか?

 

 

何度も同じ場所をグルグル巡ったり、道がわからずに高速道路や一方通行の道を逆走したりすることの原因として、認知症はその一つにあがると思います。

 

しかし、ハンドルを切り損ねたり、アクセルとブレーキを踏み間違えたりすることは、必ずしも認知症が原因とは限らないと思います。

例えば、首が悪く手のしびれやこわばりがあった場合は、ハンドル操作が粗雑になってしまうことがあり、事故の原因になったことがあります。また脳腫瘍により視野の右半分が気づかないうちに見えなくなっていて、1年以上車の右側を頻回にこすりながらも運転し続けている方がいました。

2年前の法改正で、高齢者の免許の更新は厳しくなりましたが、それでもリスクが完全に回避されたわけではありません。

認知症だけでなく、本人も気づかないような原因が潜んでいるわけです。いずれにしても、本人だけでなく家族ともども運転する本人の健康状態に気を配ることが大切なわけです。

 

もちろん、頭も体も健康状態において全く問題のない方々も多くおり、そういう人たちは非常に慎重に安全に運転しています。

免許更新の検査を厳しくしたことで、ある程度の事故リスクは減っていくと思いますが、完全に0とすることはまだ難しいと思います。その一方で、事故が起きる度に、高齢者は運転するなという声が上がってしまうことは、しっかり安全運転をしている高齢者にとってはつらいことだと思います。

今後、事故を0にすることおよび高齢者の移動手段を確保することの両方の問題を解決できるように、私たちで考えていくことが大事なのです。

 

以上たーさんでした(終わり)

 

今日もお読みいただきありがとうございました。

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高齢者の運転について考えてみた

こんにちは。

 

最近、花粉のせいで朝から目がかゆくてたまらんです!

これ、なんとかならんもんですかね?

花粉症の目には下のポチっと効くらしいです。

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さて、今日は高齢者の車の運転の話です。

 自分もいずれは高齢者の仲間入りするわけで、当然そのときには他人事では済まされなくなります。

 そこで、そうなる前になんとか考えなくてはいけない問題。

 

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 ある場所からある場所への移動手段として、徒歩、自転車、自家用車、そしてバスや電車などの公共交通機関があります。当然ながら距離が離れれば離れるほど、利用できる交通手段の選択肢は少なくなってきます。

 自宅から数百mの距離を健康的に歩いて行ってもいいし、時間がないので自転車でひとっ走りしてもいい。さらには足が悪い人ならば、あるいは疲れている人ならばバスや電車、タクシーを使ってもいいでしょう。自分も一時期めんどくさがり屋が前面に出てしまっていたときは、すぐ近くのコンビニや吉野家に行くのに、自家用車を使っていました。買ったものを運ぶのに自家用車は非常に便利ですし、牛丼大盛を食べたあとに苦しいお腹で歩くのは非常にしんどいのです。

 

 その便利な車ですが、特に体の自由がきかないお年寄りの方々にとってはなくてはならない乗り物。

 あまり出歩けない方々の場合、近所のスーパーに1週間に1度の買い出しに行くと、どうしても荷物はたくさんで重くなってしまいます。そんなときに歩きで行ったとしたら全部自分ひとりで背負えるわけではなく、二人で行ったとしてもやはり限度がありますね。ですから車で買い出しに行けば、帰りはどんなに楽か。

 特に地方に住んでいると自宅からスーパーまでが遠い。そんな生活では、車がないとどれだけ不自由か。

 新鮮な野菜、海産物やお肉を気軽に買うことができない生活は、どれだけ不健康な生活になるか。もちろんインターネットが使えればいいけど、そうでなければ郵便、銀行などでの請求の支払い、お金の引き出しなどもなかなか難しい。

 近所の人たちとの集まりに参加するために、町の集会所に顔を出すのにも、車がないとそこに行くのが大変なのです。

 

 つまり、車がないと、行動範囲が自宅周辺に限定されてしまうわけです。そうなるとますます動かなくなるし、日常における刺激、人とのふれあいも減ることになります。 つきましては、頭の活性化も落ちることになります。

 ある論文で、認知症発症率は都市部よりも地方の方が高いということが書かれていました。この理由としては、都市部では移動手段はもっぱら公共交通機関で、乗り換えなどでは歩くが求められるからとされています。歩くことにより認知症になりにくいことはかなり有名な話ですが、まさに都市部では歩かなければいけないような設計になっているわけで、その結果認知症になりにくくなります。一方、地方では前述したように移動手段はもっぱら自家用車。おじいさんが軽トラに乗って、毎日畑に行っているイメージです。要は1日の移動距離の大部分を車で移動してしまうので、1日の平均歩行距離は自ずと少なくなるわけです。それに加えて、体が不自由になったとかで車の運転をしなくなった、もしくは運転ができなくなった高齢の方々も、自宅周辺がもっぱらの行動範囲になるので、歩く距離は極端に少なくなります。

 別の論文では、普段の生活で車を利用している高齢者と利用しない高齢者では、利用しない高齢者の方が数倍認知症になりやすいというデータを示されていました。つまり、車を利用することで、先にも挙げたように行動範囲が広がり、ほかの人と出会って話したり、新しい刺激と触れ合うことで、認知症発生率が減るということなのです。

 

 でも、残念ながらここ数年高齢者の車の運転にストップをかけるような事故が多く報道されています。小学生の列につっこんでしまいけがをさせたり、高速を逆走して衝突事故を起こしたり、1か月に何件かはそういう悲しいニュースが報道されます。

 そして、そのたびに高齢者の車の運転をやめさせるように、免許を返納するようにという声が上がります。もちろん、被害者およびその家族の立場を考えると、それは当たり前のことだろう、となるでしょう。このように高齢者というだけで、交通事故の加害者になるリスクがあるわけで、それをやめさせることで未然に事故を防ごうとするのは当然なのかもしれません。

 しかし、それを当然とすることにより実際法整備がされたりしたら、貴重な移動手段を奪われた高齢者はこれからどのように生活すればいいのでしょう。もちろん、交通網が発達している都心に近いところであればなんとかなるでしょうが、田舎の1日数本しかバスが来ないような集落では、ほとんど引きこもり状態になってしまいかねません。食料品の買い出しも行けないし、雨が降ったり冬の寒い日には家でじっとしているしかないのです。下手すると、孤独死の原因になるかもしれません。誰かが心配して山奥の家々を一軒一軒訪ねまわっていかないかぎり、その悲しい結末に気づかない可能性もあります。

 

 

 難しいのは、都市部や郊外の交通の便がよいところに住んでいる人の立場に限って、

「お年寄りは車なんて乗らなくてもいいだろう。」

「公共交通機関を利用すればすむじゃないか。」

「こんな狭い人が密集する地域で事故を起こされたりしたら、ものすごい危険だよ。」

というように考えます。

一方、地方の田舎に住んでいる人の立場で考えると、

「車がないと餓死をしてしまうよ。」

「病気になったら、どうやって病院まで行くんだ?」

と当たり前の意見があるとしても思います。このように、彼らにとっては車はなくてはならない乗り物なのです。

 

 事故が起きるたびに、加害者の年齢を活字の中に探してしまいます。そして、高齢であることを見つけると、

「やっぱな」

と思ってしまいます。

しかし、これはある意味偏った物の見方です。世の中には、安全に運転している高齢者もいるわけですし、逆に暴走したりあおったり、酒飲んで運転する若者もいるわけです。

 

高齢者の運転がいいか悪いか、という問題については深く議論する必要がありますし、何かいい案をみんなで知恵を絞って考える必要があるでしょう。

 

以上たーさんでした(終わり)

中国語を話せるようになったら、、、今年の目標はこれだ!

こんにちは。

 

来月はHSK中国語検定試験があります。

もちろん、受けるのは最低ランク1級です。

しかし、ホームページを見るとHSK1級と言えども、内容は

日常中国語の応用力を判定

と書いてあります。

This is a pen.レベルでは全然ないのです。問題集も買ってあります。

さっぱりわかりません。

まだまだ勉強が足りないのでしょうけど、すでにあと1か月ちょっとしかないので、すでに焦りを感じております。

ただ一通り過去数年の問題を見ていると、何問かは同じような問題が出ています。

つまり、過去問を繰り返しやることは必須なのです。

 

そしてここにきて、また想定外のことが。

昨日郵便受けにこんなハガキが届いていました。

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きょ、教材が足りない?!

3月末から4月度上旬頃のお届け?!

そんな人気あるのか、中国語は?

まあ、たしかにいまや世界をリードしているのはアメリカか中国だもんな。

しかたねえか。

なんて、のんきなことを言っている場合じゃありません。

HSK1級の試験日って、いつでしたっけ?

4月14日ですぞ!

こりゃ、間に合わんな。

 

いやいや、あきらめないぞ。

将来的に中国語をビジネスに役立てたいと考えているので、今回中国語を勉強しようと考えたのですが、

実はもう一つ理由があって、

それは今年中に週末に香港弾丸旅行をしようと計画しているからです。

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金曜の夜に出発して4時間で香港に。

香港で中華を堪能して、ブルース・リーの恰好をして、そして香港ディズニーに行って待ち時間なしでアトラクションを楽しんで、百万ドルの夜景を拝んで、日曜の夜に羽田に戻るというものです。

もちろん、今のところその計画は自分ひとりの胸の内にしまってあります。

ですので、一人で旅立つことになるので、頼りは自分の語学力だけです。

 

うわぁ、危ない店でボラレて、有り金を全部とられたらどうしよう。

かわいい女の子をナンパして、後ろから香港マフィアが出てきたらどうしよう。

紹興酒のカメを開けたら、いきなりレッドスネーク、カモンだったらどうしよう。

すでに今からドキドキしています。

 

 

でも、問題は山積み。

 

まずは言葉ができない!

  だから、今から勉強するのです!もう勉強しなさい!

 

そして行く時間がない!

  時間なんて作るのです!今を楽しまなくて、どうするんですか?

 

知識がない!

  そんな現地に飛んで、行き当たりばったりで大丈夫だろう!

 

そして、果たして家族はなんと言うだろうか?

  言わなきゃ、ばれないよ!えっ!

 

いやいや、またまたお得意の妄想ですか?

いや、本気です。

そういう刺激がほしいのは確か。退屈な日常から脱皮したい!

 

だから、そのつもりで中国語を勉強しますね。

 

 

以上たーさんでした(終わり)

 

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ありがとうございました!

 

 

 

 

 

自分の仕事=もらった給料なのか?

こんにちは。

というか、こんばんは。

 

今日もこんな時間になってしまいました。

あと30分ちょっとで今日という1日の幕が閉じようとしています。

とこんなしゃれた言い回しをしていますが、別に特段面白い1日であったわけではありません。

相変わらず、職場のために体にムチ打って働いている社畜でございます。

まあ、正確には病院で働いているので院畜になるのでしょう。

 

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果たして、今日1日働いた分のお給料をいただけているのでしょうか?

そんなことを今まで考えたこともありません。

しかし、きちんと自分のことを考えている人は、自分の働きが十分にお給料として支払われているのか、おそらく考えていると思います。

だって、自分の一生という限られた時間を、その仕事に当てているわけですから。

 

アメリカなんかでは、それで明らかに自分の働きに見合っていない値段であれば、自分を正当に評価してくれる職場にすぐに転職することになるのでしょう。

 

最近の日本もやっとちらほら仕事をやめて、新しいところに移動する人たちが出始めてきたようです。

しかし、依然として自分から退社することを言い出せないような職場環境だったり、辞めようと退職願を出すと上司がパワー全開でそれを許さないような状態であったりすることもまだまだ多くあるようです。

 

日本の場合は、奉仕の精神というものが都合よく存在し、苦しんでいる人がいるんだから無償で助けてあげるべきでしょう、という考え方があるのです。

苦しんでいる人?

もちろん、患者だったり、お年寄りだったり、小さな子供だったりしたら、助けないでいるわけにはいきません。

しかし、時に一見苦しんでいるのが、時間を気にせずにのんびり仕事をしている(果たして本気で仕事をしているかどうか怪しいもんですが)同僚だったり、口だけ「苦しい」と吠えて体は全然そんな状況でない患者だったりするわけで。

そんな方々に対して、自分の残り少ない人生の一部を分け与えてあげるのが非常に腹正しい場合があります。

もちろん、日本の職場ではそういう場合でも嫌な顔一つせずに、助け合いの精神という名のもとに手伝ったり、親切を示したりすることが必要なのですが。

 

西洋からみたら、それは日本的な美徳の一つなのでしょう。

しかし、これが当たり前の世の中になってしまうと、一部の人間は本当に体を壊してしまいかねません。

(自分はそこまでがんばっているかどうかは怪しいですが。しかし、それでも割と奉仕の精神を前面に出している方だと思います。)

 

 

ただそろそろ働いている方も、自分の権利を振りかざしてもいい頃だと思います。

いくら契約にそう書いてあるとしても、明らかに強者は弱者に対してもう少しやさしく接してもいいのではないでしょうか?

体を壊すような内容の仕事に関しては、無条件でやめることができるような法律を作ってほしい。

もちろん、体の耐久性というのは個人差があるので、なかなか全員に当てはまるような条件を作るのは難しいですが、しかし数値でこれ以上働くと体を壊すことを知らせるような測定器があればいいかなと思う。

体に溜まったストレスの数値化、筋肉に溜まった疲労物質(乳酸)を測定して数値化、脳や目を使いすぎてそれぞれがしっかり動いていないことを知らせるモニターなどがあれば、これ以上がんばると数値を超えてしまうのでやめるようにと、誰がみても公平に休みをとらせてもらえるような仕組みがあるといいのになあ。

 

正直、少子化を迎えた今の日本において、コンビニの24時間営業は人手のある一部の店舗でのみ行うべきだと考えます。

みなさんは、どう思いますか?

 

以上たーさんでした(終わり)

 

お疲れ様でした。

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東京マラソン2019!来年は沿道ではなく、主役をめざしたい!

こんにちは。

 

雨の中、東京マラソンの応援にいき、思い切り鼻かぜをひいてしまったたーさんです。

沿道に立っているだけで、走っている人の熱気をガンガンに感じて夢中になって応援してしまい、気づいたら傘から大きな体が半分も出てビショビショになっていました。

走っている人たちも濡れているのに、自分だけ鼻水が止まらず。

ひょっとしたら、花粉症なのかもしれません。

 

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いやいや、それにしても走っている人たちがあまり苦しそうな顔をせずに、エンターテイメントの一員として、すごく楽しそうに走っているので、なんかいいなあと思ってしまいました。

来年3月の東京マラソンは、自分もダメもとで応募してみようかな。

倍率がすごいんですよね。

2019年は抽選倍率12.1倍だったらしいですね。

今年もおそらく8月1日からエントリ―開始で、9月に結果発表となるのでしょうけど、

いずれにしても、まだフルマラソン走ったことないのに...応募するんですか?

 

 

今まで走った中で最長がハーフマラソンでした。

千葉でお正月にやっているサンスポマリンマラソンというのがあり、完走できたら翌日のサンスポに順位とともに名前が載るんです。

お正月がすぎて、ややお肉がついてしまった体を、大会に参加することを目標に、再び走ってしぼっていくということを毎年繰りかえしていました。

今から10年近く前の話です。

あの当時は、少し走れば体重は減って、いい感じで体をしぼることができたのです。

しかし、今は、お正月に増える体重量も多ければ、なかなか走っても体重を思ったように減らすこともできなくなりました。

ですので、ハーフなんて、今のこの体で走る切るためには自前のAEDを持って走る必要大ありです。それだけ、自分からしても人から見ても自殺行為なんです。

でも、トレーニングすれば変わるかな?

 

 東京マラソンはご存知フルマラソンですよ。ハーフの倍です!

どうでしょうか?

無理に決まっています、と言ってしまえば、それまでです。

 

最近、ウルトラマラソンを走ってみたいという願望が強くなってきている自分。

相変わらずのデブでも、走れる距離は少しずつ延びてきていることから、意外にも走り切れるかもしれない。

安易な発想でしょうか?

いや、やってみましょうよ。

自分が42.195kmのフィニッシュラインを越える瞬間をイメージしましょう。

万歳して、周囲の応援にこたえる自分を思い描きましょう。

 

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走っている自分の姿をよい感じにイメージするのです。

そろそろ暖かくなる季節です。

桜咲く遊歩道を朝走ってみようかしら。

 

以上たーさんでした(終わり)

 

 

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今日もお疲れ様でした。

そしてお読みいただきありがとうございます。

押していただければ幸いです。

 

走る40代、全力疾走する人生

こんにちは。

 

たーさんです。

最近思うんです。

どんな人生が楽しいのかって。

みなさんも、楽しい人生を送りたいって考えたことがあるでしょう。

 

映画みたいな人生を送りたい。例えば、ロバート・ラングドンみたいな。

(ありきたりだけどね)

波乱万丈だったねって、人に言われるような一生。

俺は、こんなことをしてきたんだよ、すごいだろって、

孫に伝えられるような体験。

毎日なんか新しいことが起きて、はじめてのことを体験して、

そして結果こんなことに結びついてしまったような経験。

 

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街中を全力疾走で走って、

新しい店を見つけたり、

人と出会ったり、人とぶつかったり、

時には車にひかれそうになったり、犬に追いかけられたり、

速度を緩めたり、歩みにかえたり、そして立ち止まったり。

気づいたら、ここはどこなんだろうみたいな。

その間、一つ一つの出来事に感動したり、怒ったり、笑ったりしながら。

この先どうすべきかなんて計算はしていない、計画なんて立てたくない。

次はこっちに行きたいから、こっちに行くと、思うがままに感じるままに動く。

 

でも、これって若いときにしかできないんだよね。

走り疲れて、息切れして、胸が痛くなって、その場に倒れ込んだらジ・エンド。

年を積み重ねるたびに、走れる距離が短くなる。

自分の体力を考えちゃうと、最初からゆっくりした歩みになってしまう。

それでいいのか。

ゆっくり歩けば苦しくないし、楽だ。

人は避けてくれるし、犬もキョトンと俺の方を見つめているだけ。

客引きには声をかけられて、そこで脇道にそれたら楽しいだろうけど...

そんな少しの楽しみに大きなロスを払いたくはないよ。

孫にそんな体験を話しても仕方がないし(笑)

 

結局、歩いて到達した距離は走った距離に比べたら短い。

まだ街中だな。

まだ見慣れた景色だな。

もう少し向こうには何があるのかなって、少し先を覗こうと思った時には

自分の右手に杖を持っていることに気づき、がっくりする。

俺もう少し速く走れたんじゃねえかな。

なんで、あのときがんばって走らなかったんだろう。

なんで、あのときそっちの方向に行かなかったんだろう。

怖かったからか?

もし、間違った方角だったとしても、自分の思った通りの方向でなかったとしても

まだ時間があったんだから、走って戻ればいいだけじゃねえか。

今は走れないから...後悔するしかねえ。

 

 

まだまだ40代。

走ろうと思えば、昔ほどではないけど走れる。

多少足もとは危なっかしいけど、姿はカッコ悪いけど走れる。

少しは経験積んで、多少この辺の地理に詳しくなったから、道に迷わなくて済むかもしれない。

でも、まだまだ先には行ったことのない世界が広がっているはずだ。

ブラブラするのは、まだ早いぞ。

 

何かに思い切り全力投球する、集中してとりかかってみる、

そんな日があってもいいだろう。

そこから少しずつ世界が広がっていく。

簡単に開くドアの向こうは埃っぽい小部屋だったけど、

頑丈な南京錠をなんとか開けて、重い扉を体重をかけて押し開けた扉の向こうには

きっと素晴らしい世界が広がっていることだろう。

まずは、次々にドアを、扉をぶち破っていく勢いでやっていくべきだろう。

体力のある今のうちだからできること!

そうだよね。

 

まだまだやれるおじさん。

まだまだやらなければいけない40代。

若いときにもっとやっておけばよかったと後悔しないためにも、

今を全力で生きよう。

 

 

以上たーさんでした(終わり)

 

今日は少し気分が変でした。 

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ちなみにこのブログ書いている間、耳のイヤホンから流れていた曲はこれです。


Guns Of Saxophone / TRI4TH