こんにちは。
自分は、成功という言葉の反対を失敗だと思っていました。
だから、成功したいばかりに、いつも失敗しないようにと意識し続けていたのです。
失敗を恐れ、安全パイばかりを拾っていた結果、一定の成果をあげることはできましたが、しかしそこから進化した自分を見出すことはできませんでした。
成功の反対は、国語の勉強の上では失敗という単語でいいのでしょう。
しかし、現実の世界では成功の反対は「何もしないこと、挑戦しないこと」なのだそうです。
私たちは、失敗することで、そこに新しい気づきを得ることができます。つまり、失敗することで自分の知らなかったことを学ぶのです。
そして、その失敗を糧にさらに上をめざしていくことができます。上をめざすということは、つまり新しい自分を見つけることなのです。一つ殻をぶち破ることで、自分を次のステップに押し上げて、自分のめざしているゴールに一歩一歩近づいていくのです。
この一歩一歩が小さな成功であり、その積み重ねで目標としているゴールに到達することが大きな成功なのです。
世間では、日々の出来事におけるちょっとした失敗を大きく取り上げて、コテンパンにその失敗を叩くという風潮があります。さらにはその失敗の原因となったミスを犯した者を探す、いわゆる犯人捜しをしたがるという傾向があります。
失敗をしてはいけないのでしょうか?
ミスをしてはいけないのでしょうか?
失敗を怒り、ミスを責め続けるような学校では、どんどん生徒は自由な発想ができなくなり、創造性のある発言がしぼんでいきます。
失敗を怒り、ミスを責め続けるような会社では、社員は新しいプロジェクトにチャレンジしなくなり、生産性のない仕事しかしなくなってしまいます。
結果、学校は子どもたちにとって居心地の悪いところになってしまい、伸び盛りであるはずの子どもたちの能力に歯止めをかけるような場所になってしまいます。会社は、変化著しい社会をリードして、常に人々に貢献できるような存在でなくなってしまいます。
自分も同様です。上司として部下の失敗を責め続けていると、いつの間にか部下のやる気を大きく削いでしまいます。
そして、そのうちに自分にもそれは跳ね返ってきてしまいます。部下の失敗を認めないあまりに、自分もミスができなくなり、自らの成長をも止めてしまうことになるのです。
自分の成長、自らの進化を考えた場合、部下にしても、同僚にしても、家族にしても、周りの人にしても、ちょっとしたミスには目をつむり、彼らがそこから何を学ぶかを見守り、そしてそれを足場にさらに上に向かってチャレンジしていく。自分の能力を最大限高め続けていく姿勢を応援していくのです。
そして職場全体が、周囲も含めて大きくジャンプアップできるような環境を作っていきたい。
今、そんなみんなの居心地のよい場所を作っていこうと考えています。
以上たーさんでした(終わり)
今日もありがとうございました。