「正しい情報を見分ける」
今の世の中にいろいろな情報がある。
毎日テレビや新聞、SNSで流されている情報って、どこまで正しいのかな
と、ふと思った。
だって、今まで正しいと思っていた新聞。
その内容に対して、とある内閣に忖度しているってSNSで騒がれているではないか。
でも、果たして、そのSNSの情報も正しいのだろうか?
コロナの感染者がどんどん増えているし、重症者も過去最高を記録した。
でも、重症者の全国基準と東京都の基準は違うらしい。
それってどうなの?
実際、現場で働いている人間からすると、
ニュースで発信している情報、
ワイドショーで必死に繰り返している話題(ネタ)、
それと自分の体で感じている現場を比べてみると、
やはり大きな乖離があるような気がしてやまない。
大昔はどうだったか
大昔は、情報の集め方として
人から話を聞くということと
自分の目で確かめることの2つしかなかった。
自分の足で歩き回って深く周囲を観察するか、人と会って話を聞かないと、貴重な情報は得られなかった。
文明が発達して、たしかに便利にはなったが
それが文明の発達によりちょっと前には、テレビやラジオ、新聞、本が加わった。
より多くの他人から情報を得られるようになったのだ。
つまり、多くの人が情報を発信するようになったし、同時に多くの人が同じような情報を受け取れる時代になったのである。
今はもう怖い世の中
そして今は、ネットやらSNSやら、もうとにかく情報が氾濫している。
誰かが間違ったことを発信してしまうと、同時に多くの人が誤った情報に振り回され、それが多数派になってしまうことで、いつの間にか嘘から真実へと創り変えられてしまう。
怖い世の中である。
何が正しい情報なのか
その昔、つまり自分の目で確かめたこと以外には、人から直接聞いた事柄だけが唯一の情報だった時代。
それでもその聞いた内容が、又聞きだったり噂をかじったものだったりすれば、それは嘘の情報とまではいかないけれど、決して正確な情報ではなかった。
それを本当なのか作り話なのか、聞いた自分で判断しなければいけなかった。
しかし、今はどうだろう?
人から聞いた話、テレビや新聞、さらにはSNSなどでものすごいたくさんの人たちが情報を発信している。
どれが真実で、どれが全くの嘘なのか。
あるいは真実と嘘が半々の場合もあるだろう。
それを判断するのがすごく難しくなっている。
もちろん、どの情報も鵜呑みにして、そういった判断をおろそかにして全部受け入れてしまえば、それは一瞬は楽なのかもしれない。
でも、その後その情報に振り回されている自分がいるわけだから、後々大変になる。
真実なのか嘘なのか、これを判断する指標となるのは、自分の経験や体験である。
自分の経験や体験を軸に、その情報が真実なのか違うのか、自分にとって有益なのか違うのかを判断するのだ。
だから、いっぱい経験、体験することが大事。
原点に戻ろう。
自分にとって明らかに事実なのは、自分がこの目で見たこと、
つまり経験、体験したことなのだ。
だから、考えるより行動することが大事なのだ。
目でじかに見る機会、そして肌で感じる機会をいっぱい作ろう。
それが真実だから。
このコロナ禍では
コロナ禍において、外出すること、そして人と直接会うことが難しくなっている。
そんな中で、より多くの経験、体験をしたり、貴重な出会いをしたりすることが、自分の成長にとって重要な課題となる。
言い換えれば、自粛しなければいけない今、私たちは成長できないのかもしれない。