たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

もう一回見直そう、夜の行動

おはようございます、たーさんです。

 

仕事が忙しい1日になると、どうしても夜遅くになって

すごく迷うことになります。

つまり、もう寝たいので素直に寝るか、

もしくは頑張って起きてブログを書くか

ということです。

 

結局、昨日は眠たかったので寝てしまいました。

20年くらい前なら、それでも起きて仕事をしていたと思います。

(いつの話をしているんだか...)

 

高校時代とかはテスト前に平気で一夜漬けとかやっていましたよね。

徹夜しても全然眠くないみたいな。

さすがに2番連続オールナイトになってしまうと

いつの間にか勉強中にこっくりしていた、そんな感じでした。

 

それで思い出しましたが、当時オールナイトニッポンの1部、2部と

通しで聞いても、平気で朝には学校に行けていましたね。

中島みゆきとかビートたけしとか、とんねるずとか

あとは小峯隆生とか。

そのせいか、学校の勉強は多少ボーっとしていましたが、

なぜか勉強はできていました。

 

そんな昔話はどうでもよくて、40代に入ってからは

もう0時をすぎるとシンデレラ状態。

ちょっとでもまぶたを閉じれば、夢の中ですよ。

(おまえは、のび太かい!)

昨日も9時すぎに帰ってきて、もうみんなが寝る準備をしている中で

冷えたカレーを温めなおして食べて、

テレビをつけようとしたら、

「子どもたちがこれから寝るんだから、テレビをつけて刺激をしないで」

と怒られて...

仕方なくスマホを眺めながら、チューハイを1缶チビチビ、鮭とばをつまみながら

んで、10時ごろにブログを書いていないことを思い出して、

パソコンの電源をオンにしたところで、睡魔が...

 

あれあれ、そんな時間に満腹になるまで炭水化物を食べて、

さらには飲酒して、

それって、まさに寝ようとしてるんじゃないのと言わんばかりの夜行動。

それでは、寝てしまうのも無理ないと思います。

(あははは)

 

おまけに不健康だし、体重減らす気ゼロ。

というわけで、健康的な生活習慣を確立しないといけませんね。

そして、ブログを定期的にアップするにしても、健康的な毎日を送らないと

それは無理という話でした。

 

今日は朝早くから仕事。

というわけで、簡単に昨日の反省を書きましたとさ。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

 

誰かスマホ中毒から抜け出すいい方法知りませんか?

おはようございます、たーさんです。

 

朝こうやってブログを書いていても、

当然ながら平日の場合出勤時間を気にしなくてはいけません。

だいたいの時間に、今やっていることを切り上げて支度をはじめ、

そして時間になったら家を出るという感じでルーティンが出来上がっています。

 

こんな場合、やはり時計が非常に重要な役割をもつことは、

当たり前のようにイメージできると思います。

なのに、今こうやってキーボードを叩いている場所から

うちの壁にかかっている時計は見えないんです。

(おいおい、じゃあ遅刻しちまうじゃねぇかよ)

 

というわけで、スマホをそばに置いて、その時計をこまめに確認しています。

最初のうちはアラームをかけていましたが、いちいち設定するのが面倒になり

最近は見るだけです。

 

ん、なんで腕時計しないんだって?

ここ5,6年、なんか急に腕に何か巻かれているのが窮屈に感じるようになり、

はずしていることが多くなったんです。

そのうちに、仕事をしているときでも、会議しているときでも、

運転するときでも、食事をするときでもはずすようになり、

気づいたら3個も腕時計をなくしていました。

どこに置いたか忘れてしまうんです。

 

はずす理由はほかにもあり、バンドを巻いているところがやたら汗ばんでしまい、

特に夏になると汗ばんだあとに、そこがすごくかゆくなってしまうんです。

なんかバンドのところだけ、赤くなっており、搔いて刺激しているうちに

蕁麻疹になっていたりして、半袖に蕁麻疹という形で結構はずかしい。

 

それで、腕時計を身に着けなくなったんですけど、時間はどうしても知りたい。

だから、スマホをいつも持ち歩いており、時間が気になると画面をみるという

癖がついてしまいました。

 

ちょっと前より気になっていたのは、

スマホの時間を確認する際に

どうしてもYahoo!ニュースを見てしまったり、Twitterを見てしまったりと

そっちに気を取られてしまうことが多くなってきているかなと。

時間を確認プラス数分という形で、仕事中に無駄に時間をロスしてしまうんです。

下手すると、そこから

「今日の東京の感染者数は何人だろう?」

とか

「あの事件の続報は入っていないだろうか?」

とか

「なんか新しいメールって入っていないかな?」

とか。

気づいたら、30分とか平気で経っていて、仕事が終わんねぇ...

なんて言うことも、ここ1,2年多くなっていますね。

時々、スマホが教えてくれるんです。

あなたの画面を見ている時間は、先週と比べて何分多くなっていますって。

そう多くなっているんです、じわじわと。

まさに右肩上がり。

 

一時期ゲームにはまっていた時もあるんですが、

さすがにそれは無駄の骨頂と認識してもうやめました。

この飽きっぽい性格が幸いしたんですね。

そのときはさらに時間オーバーしていたと思うんですが、その後はいったん

時間が減ったんですけど、最近また増えてきてしまいました。

 

ちょうど1年くらい前に、こんな記事を書いていました。

 

www.taosanblog.com

その当時、1日平均で3時間くらい画面を見ていたんですが、

今は4時間くらいになっています。

スマホがなくてiモードの時代、パソコンを立ち上げるのも5分くらいかかる時代

そんなときはテレビをつけたり、ラジオを聞いたりしていました。

テレビを見ていると、

「いつまで見てんの!」

と親に怒られたり、

「チャンネル変えすぎ!」

と落ち着かなくチャンネルをガチャガチャやっていると怒鳴られていました。

時代はどんどん変わっています。

それでも、スキマ時間があって手持無沙汰になると、

受け身になってボーっと画面を見てしまうのは

テレビもパソコンもスマホも同じ。

自分の頭の中は知らず知らずに、メディアに支配されているんです。

 

さて、これからどうするか?

仮想空間とかなんちゃら出来上がってくると、さらにそこから抜け出せなく

なってしまいそうではありませんか。

いかに自分自身をコントロールして、画面の向こうと現実を区別するか、

そして画面の向こうの言いなりに自分がならないようにするか。

自分自身をしっかり認識して、内面を支配されないようにした上で、

逆にこの哀れな人間の習性をうまくビジネスで利用できるか。

そこにいろんな格差ができてくるような気がしませんか。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

 

雪がきっかけで相手とキャッチボール

おはようございます、たーさんです。

 

今朝も雪がしんしんと降っております。

都内は前回ほど降り積もることはないという予報になっていますけど。

 

雪が降ると、普段は騒がしい都内でも

音が雪に吸収されるのか、いつもより辺りが静かに感じます。

雪そのものは、寒いですし、路面も凍結するので

やはり仕事を考えるとあまり好きでなくなりましたが、

ただそういった普段と違った景色を見せてくれるところは好きですね。

 

さて、昨日は日曜日でしたが、

仕事の関係で多くの方をお会いする日でした。

ほぼ初対面の方々で、名前以外はその人のパーソナリティについて

全く知りません。

 

初対面の方とはじめてお話をする場合に、

かつては人見知り感が多少あったため、あいさつした後に

相手が何か話し始めるのを待つことが常でした。

緊張から笑顔を作ることができず、やたらと相手を凝視することで

変な威圧感を与えていたようです。

自分としては、

「何を話してくるのかな」

と、相手の出かたに身構えていたように思います。

 

もちろん、こっちが黙っているので、向こうがしびれを切らして

何か話しかけてくることが大半でしたが、

たまたま横に別の人がいたりすると、私よりもそっちの人と先に話し始めて

結局そこで盛り上がってしまうことがかなりありました。

 

自分のこの性格のせいで、ひょっとしたら大事なビジネスチャンスを逸してしまう

かもしれない。

これは絶対に自分にとってマイナスになる。

そう考えた私は、なんとか改善しようと本を読んだり、セミナーに参加したり

するようにしたんです。

 

本を読んで雑談の仕かたを覚えたり表情をつくることを学んだりしました。

セミナーに参加して、同じような悩みを持っている方が大勢いることを知り、

その会場で隣どうしで会話をしたりして打ち解けたりすることができました。

 

セミナーの一つに、YouTube講演家の鴨頭嘉人さんのセミナーがありました。

(ええ、大丈夫なの、それ?)

たしかになんとなく胡散臭い感じはありました。

値段がやや高めで、それでいてエンターテイメントのような感じで

きっちりと勉強できる場所なのか、という疑問いっぱいのドキドキの参加でした。

たしかに宗教じみた感じはあり、熱心なお弟子さんが大学の新入生勧誘のときの

ように強引な笑顔と叫び声で迎え入れてくれます。

(まずったな)

それが第一印象でした。

その場で帰ろうともしましたが、お金が高かったので

ひとまず着席しよう、そしてどんな人が来ているのか観察しよう。

(ええい、社会勉強だぁ)

 

来ている人はみなまともに見えました。

魂が抜けたような人たちではありませんでした。

まあ、いわゆる体験学習会的なセミナーでしたが、

不思議な感じの2時間だったように思います。

鴨頭さんの話の内容が面白いだけでなく、顔の表情だったり身振り手振りだったり

あるいは声の抑揚、時折混ぜてくる寸劇のようなたとえ話。

そして、受講生への話しかけやそのレスポンスの受け方、そしてたわいもない話を

盛大に盛り上げてトークするという技術。

別に最初はファンでもなかったんですが、最後にはなんかまた機会があれば話を

聞きたいと思うようになっていて、そして自分自身もそうなれるような気がして

いました。

「(S)そう(O)思えば、(S)そう」

頭文字をとって「SOS」と、何度か話していましたっけ。

自分でこうなりたいとイメージし続けることで、そういうようになれる

ということだそうです。

 

セミナーの途中で何度かとなりの方と話すワーキングがありました。

みんなベクトルは同じ方向を向いているので、話はじめもスムーズでした。

そうなんです。

共通の話題を見つければいいんです。

相手と自分のベクトルを共通にすればいいんです。

天気でも、最近のニュースでも、服装でも...

話しやすい話題、誰でも話ができる事、そこにベクトルを合わせていきます。

なんならそこに少しフィクションをいれて、面白く味つけしても構いません。

そして、そこから自分はこんな人ですよっていうアピールを少し入れていくんです。

そんなことをセミナーで学びました。

もともとできる人にとっては当たり前のことかもしれませんが、

何もできなかった自分にとっては正直、役に立ちました。

たしかに、宗教っぽかったけど...

 

「雪が大変ですね、結構積もっていましたか?」

「すべりやすくて、怖いですよね?」

相手とのキャッチボール開始です。

そしてさらにこう付け加えてみます。

「さっきもそこの路面ですべりそうになって、危なく転びそうになりましたよ」

(本当は全然そんなことはないんだけど)

「都内出身なので、少しの雪でももう一大事ですよ。出身はどちらですか?」

みたいな感じですかね。

 

昨日の集まりでも、こんな感じで会話を切り出しました。

いっぱいキャッチボールできましたし、その中でいくつかビジネスになりそうな

関係になった方もいらっしゃいました。

 

昨今メールやらチャットやらLINEやら、

実際の会話よりもそっちの方が多かったりします。

でもこうやって、相手の顔をみて表情や身振り手振りを確認して、

その反応をみながら、せいいっぱい自分の言葉と体をつかって相手に自分を

ぶつけていく。

そういう方が人間的なつながりができるし、

信頼関係を結ぶことに直接つながりやすいような気がしました。

そして、結果として自分を育てていくきっかけになっていくような気がします。

 

こういう時代であるからこそ、コミュニケーション能力を大事にすることが

必要なんですね。

 

ではまた、たーさんでした。

ものごとを信じることってむずかしい

こんばんは、たーさんです。

 

みなさんは、オリンピックを見ていますか?

いつもなら、日本選手の活躍を楽しみにテレビにくぎ付けなんですが、

今回の北京オリンピックはあまりテレビでも熱心に宣伝されていないせいか、

あるいは私たちが単に興味をもっていないせいか、

盛り上がりに欠けているような気がします。

 

ましてや、オリンピックのニュースも「疑惑の判定」だの「不可解な点数」だのと

あまりいい印象を受けていません。

スキージャンプも、フィギィアスケートも、ショートトラック

スノーボードも、スピードスケートも...

なんか残念ですね。

せっかくアジアでの開催なのに、なぜなんでしょう?

 

まず一つは政治が絡んでいるから、という話があります。

そう言えば去年行われた東京五輪も、菅総理大臣の支持率が

コロナとかのゴタゴタで下がり始めている最中だった気がします。

そんなときに、日本選手がメダルをとると、政治不信も吹っ飛んで

なんかいい世の中になったような気がしました。

(少なくとも私はそれで一瞬勘違いしてしまいました)

 

今回の中国もそういう意図があるのかもしれません。

(いやいや、読みすぎかな)

(そういう見方をしてしまう自分も、本当によくないと思います)

(本当にすみません、でもそういう見方をしてしまうので、オリンピックに

今回はあまり興味を持てないんです)

 

でも、もしかしたらこういった国際大会での不正や疑惑は、

以前から普通にあったのかもしれません。

これまではSNSがなかったので、

なかなかその不正や疑惑が表に出ることはありませんでした。

しかし、世の中がテレビや新聞よりも先に、SNSでいち早く情報が広まってしまう今、

正しい情報も正しくない情報も一緒に拡散されるようになりましたね。

不正をしていても潔白だと報じられたり、

正しいことをしていても不正をしていると疑惑の目を向けられたり。

 

そんな本当か嘘かわからない情報が、公共の電波にのってお茶の間に届けられたり、

自分のスマホのトップニュースに出たりするわけです。

非常に残念。

(まあ、自分もイライラしながらも、そのフェイクを真に受けて

一生懸命情報ソース探しをしてしまうんですけどね)

 

こうやって平和の祭典が、国同士のいがみ合いにつながってしまうなんて

すごく残念です。

大半の選手はこの大舞台を目標に、いろんな犠牲を払って練習してきたのに。

彼らの努力の結晶を、外野の人間がまったく自分たちのいいように踏みつぶしたり

偽物にしようとしている。

選手ひとりひとりはいい人たちなのに、周りでそれをうまく利用しようとしている

大人たちが動くたびに、その選手に疑惑の目が向けられてしまう。

なんて、かわいそうなことなんでしょう。

 

さて、日本の政治もなんかようわかりませんね。

いったいどんな議論をして、どのような政策で、この国をどちらに向かわせようと

しているのか。

最近は、トップが表立って説明することもなく、昔の疑惑を解明することもなく、

なんか国民は政治に対して不信しか抱いていないような気がします。

正しい情報が果たして報じられているのか、あるいはフェイクニュースばかりなのか。

それ自体もわかりません。

 

私がオリンピックに興味がわかないように、

国民は同じように、

政治に対して興味を失い、選挙に行かなくなってしまったのでしょうか。

 

せめて、家族の中では正直であり素直であるように、

そして正しい情報は、

常に自分が目で見たもの、自分の心の中にあるものであると

子どもたちに教えたいと思います。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

 

雪が降って凍結していたので、氷に嫌われた私

こんばんは、たーさんです。

 

自分の場合、土曜日もしっかり仕事があるんで、

今日金曜日が祝日で、日曜日が休みでも、中途半端な3日間でしかなく

おまけに今朝は折からの大雪で道路が凍結している可能性もあったので

予定の遠出はできず、

結局部屋でモンモンと過ごすしかありませんでした。

 

こうやって予定が狂うと、

気持ち的にモチベーションダダ下がりで、

もう1日中寝てしまえっていう投げ捨てた気分になってしまいます。

 

モチベーションが大きく下がって、何事も投げやりになってしまう

というのは、非常に残念なことですね。

こういうときこそ、スキマ時間にできる趣味とか小さな目標とかでもいいので

何か取り組むことができればと思います。

メンタルが強い人は、こんな場合でも切り替えることができるんでしょう。

 

一度見失った目標を、また再度見つめなおして、

歩みをすすめていくことができれば、

自分にとって予定外のことが起きても、しっかりした成績を残すことができるんです。

 

フィギィアスケート男子の羽生選手は、ショートプログラムで8位と

出遅れてしまい、完全にメダル争いから脱落したと思っていました。

別にファンではないんですけど、

ただ彼の考え方は素敵です。

自分には二つの目標がある

①オリンピックで勝つこと

②公式大会で、人類史上はじめて4回転半をとぶこと

この2つの目標をいっぺんにかなえるチャンスが、今回の北京五輪でありました。

ただ初日の出遅れで、①についてはもう難しい状況に追い込まれました。

 

すでにオリンピック2連覇している羽生選手においては、

オリンピックで勝つことは達成されており、それも2連覇しています。

もちろん、金メダルがとれればいいけど、今回に関しては早々にあきらめることに

なりました。

ふつうならば、メダル争いに絡むことができないので、すごく悔しかったり

自分のミスを反省しすぎるほど反省したりするもんですが、

彼の場合は、

「氷に嫌われちゃったね」

で、済んでしまいましたね。

(スケート靴が、たまたま掘られた氷の穴にはまってしまい、うまくジャンプが

とべなかった、ということ)

決して、彼が悪いわけではなく、別の解説者の言うには

「運が悪かった」

ということらしい。

 

そして、彼は②の目標を達成すべく、

フリーの演技にのぞみました。

冒頭で、4回転半に果敢に挑みましたが、残念ながら失敗、転倒。

ただそれでも、史上初めて公式大会でとんだ4回転半として認定されました。

人類の歴史上の第一歩の足跡をつけたのは、彼だったのです。

 

これこそ、失敗が怖くて、リスクをとらない自分が

見習わなければいけない態度なんですよ。

もちろん、無駄にリスクを負う必要はありませんが、

目の前に大きな壁が立ちはだかった場合には、それを乗り越えることを

放棄してはいけないんですね。

 

さて、雪が降って予定がキャンセルになった話から、

羽生選手の話にまで無理やり結びつけました。

明日からまた晴れるそうですね。

今日は早く寝て、明日の仕事をがんばりましょう。

 

いやいや、今日気づいたら14時間寝ていたので、

今から寝れるかな。

 

ではまた、たーさんでした。

 

 

自分は、果たして幸せなのかな

おはようございます、たーさんです。

 

「自分は幸せなのか」

ということを考えることがときどきあります。

幸せってすごくあいまいな言葉なんですが、果たして幸せの定義って何でしょう。

当然ながら、人によって異なるもんなんでしょうね。

 

子どものころは、お小遣いをもらったり、プレゼントをもらったりすると

うれしく感じていました。

テストでいい点をとったり、試験に合格したりしたときも。

 

でも、子どものころと比べて今の方が断然お金は多くもっています。

もちろん、自由に遣えるお金もたくさんあります。

でも、子どものときと比べて自分が今幸せかというと、正直自信がありません。

 

自分の周囲を見回してみると、すごく物があふれています。

(部屋の整理整頓ができないくらいですから...)

自分だけじゃなく、たいていの大人はひととおりの生活必需品を備えており、

身のまわりにあるものだけで何不自由なく暮らせています。

コロナで自宅待機を保健所に命じられても、食事さえ供給されていれば

2週間生き延びることができるでしょう。

 

さすがに、この歳になるとテストはそうそうありません。

あったとしても、資格試験に合格するくらいかな。

まあ、でも合格通知がきても、飛び上がるくらいうれしいなんていう感情は

久しくもったことがありません。

 

こんな感じで、自分が子どものころはうれしく感じていたこと、

それを幸せと言っていいと思うんですが、その当時幸せを感じていたようなことも

大人になってからはあまり感じなくなっているような気がします。

 

じゃあ、自分はどんなときに幸福感に満たされるのでしょうか?

昨日布団に入ってから、少し考えてみました。

 

お金を持っていても、使わないと幸せに感じない。

(通帳をみて、ニンマリする人もいるかもしれませんが)

自分に何か買っても、あまりうれしくない。

けれど、相方に何か贈り物をしたり、子どもに誕生日プレゼントを買ってあげたり

して、喜んでもらってくれるとうれしい気持ちが芽生えます。

あるいは後輩に飯をおごって感謝されたときも、なんかうれしいですね。

お金は減りますが、幸せを感じます。

 

同じく物を買っても、必ずしもうれしいとは感じませんね。

自分の場合も、物が多すぎていらないものも山積みになっています。

正直、逆にこれらのものを次から次へと捨てていきたい。

そんなストレスが溜まっているのです。

 

みなさんは、イースタリン・パラドックスって聞いたことありますか?

1974年に米国の経済学者 リチャード・イースタリンが唱えた説で、

「幸福の経済学」とも言われて2000年代はじめにややブームになりました。

所得が増えても、生活の満足度は相関して上がってこないという話。

むしろ、幸福感はほぼ一定なんですって。

自分の場合も、まさにそれ!

子どものころに比べたら、お金もあり、物もいっぱい手に入るのに、

なんか満たされないものがあります。

 

では、どうすれば「自分は幸せだな」ってなるのでしょうか?

宝くじに当たったとか、給料が上がったとかお金に関することは

一瞬幸福度を上げますが、実際にそれが永続的な幸福を構成するのは約10%!!!

だそうです。

 

自分の生まれた家庭、家族や環境などが

幸福度に影響する要素の約50%を占めるらしいです。

たしかに、親から褒められたときはうれしかったですし、

先にも書いたように家族に贈り物をして、喜ばれるとうれしい。

後輩に

「あざーす」

って、頭を下げられたときもうれしい。

つまり、自分のまわりの人たちに、自分がどのように接するかで

自分が幸せか決まってくるんです。

自分の好きな人に何かプレゼントをして、「ありがとう」って言われると

幸せを感じます。

子どもをほめて、子どもが喜んでくれるとうれしい。

 

ではのこりの40%はどうなのでしょう?

 

のこりの40%は、日々の目標を達成できたかどうか、だそうです。

日々少しずつ目標を達成していくと、やはり幸せなんです。

そして、その場合の幸福は長続きし、目標達成を積み重ねることに

少しずつ成長していくらしいです。

・目標体重まで減量できた

・会社のプロジェクトを成功に導くことができた

・新しい仕事を無事起業できた

・今日1日無事に過ごせた

こんな感じで、達成できたときにすごく喜びを感じますし、幸福度はアップします。

 

子どものときに試験で満点をとったときも、試験に合格したときも

それを目標としてがんばってきたからうれしかったんですね。

 

毎日なにかしら目標をもって生活し、1年を通して何かを達成できれば

自分は幸せなんだって実感できる。

だから、「やりたいこと100」リストを作り、

達成できたときの自分をイメージし、

そして実際にがんばって達成することが、

自分にとって幸せな人生を作ることになるというわけです。

 

やりたいこと100リストは、まだ19個しか挙がっていません。

(すみません、サボっています)

さて、今日も1日がんばりましょう。

 

ではまた、たーさんでした。

 

さすがにここまで神様を欺くと...

こんばんは、たーさんです。

 

週に1日は、すごく朝早くに出勤しなければいけない日があります。

そういう日に限って、ゴミ出しの日だったりする。

まあ、いわゆる「マーフィーの法則」です。

がんばって、朝5時に起きて、朝風呂にザブンと浸かり、急いで着替えて

ゴミ出しの準備をする時間を作り出そうとするんだけど、

そういう日に限ってシンクの三角コーナーの生ゴミが満杯で

さらには代えのネットが見つからない。

結局、なんとか生ゴミだけ捨てて、残りのゴミはうちの相方に任せることになる。

(本当にすまない)

 

そして、こういう急いでいる日にかぎって

運転中に赤信号にひっかかる確率が高く、こういう日にかぎって

首都高が渋滞する。

(地獄...!)

職場の駐車場で、いつもとめている場所に別の車がとまっていたり、

こういうときにかぎって入口のパスカードがうまく作動しないんですよ。

 

出だしからスムーズにいかないと、そのあとも連鎖的に貧乏くじを引きまくるわけで、

なんかイラっとして、明らかに機嫌悪い顔になる。

一度ムスッとした顔にスイッチが入ると、声も暗くなり、職場の周囲に悪影響の嵐。

その日1日、寝るまでいいことから見放される可能性が高い。

 

というわけで、最近は出だしがうまくいかなかったときは

希望していることと逆のことを考えるようにしています。

 

赤信号につかまりたくないときは、あえて

「カバンから物を出したいから、赤信号になってくれ」

と祈るんです。

 

首都高が混雑してほしくないときは、

「今日は急いでないので首都高でゆっくり車の観察でもしようかな」

と思うんです。

 

職場の駐車場についても、

「健康のために歩きたいから、

いつものところでなく玄関から遠いところに止めようかな」

なんて考えるんです。

 

そうすると、あら不思議。

あまのじゃくの神様は、その真逆のことを私にしてくれるんです。

 

赤信号に一度もひっかかることもなく、首都高はすいすいと飛ばせるし、

早く着いたので駐車場は玄関から一番近いところにとめられました。

つうことで、今朝は非常に気持ちよく仕事にとりかかれましたね。

(手は生ゴミ臭いけど)

 

おそらくこの神様をあざむく方法を知っていれば、

ひょっとしたら

スキージャンプで高梨選手は失格にならなかったかもしれません。

 

ひょっとしたら

羽生選手は、氷の穴にはまらなかったかもしれません。

 

ひょっとしたら

スノーボードで転倒した竹内選手は、走路妨害で失格にならなかったかもしれません。

 

うーむ、教えてあげられればよかった...

 

ただこうやって神様をだましてばかり自分には、

いつか大きな罰が下るかもしれません。

 

ん?

いやいや、そうやって覚悟していても、神様はその逆に...

(皆まで言うな!)

 

ではまた、たーさんでした。