たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

人生の100のリストを書き出すにあたり...

前回の記事で、「今年中に人生でやりたいこと100リスト」を作成するという目標を挙げた。

 

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この目標を達成することで、これまでにやりたかったけど、何らかの理由でやっていなかったことを、より字に起こして明らかにしようという魂胆である。

これまでにやりたいことがあっても、やっていなかったことがいくつもある。

たいていその何らかの理由というのは、「忙しくて時間がない」とか「手続きが面倒だ」とか、あるいは「まずは本で勉強してから」という逃げの文句でくくられるものだった。

 

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人生の100のリスト

さて「人生でやりたいこと100リスト」、これはうまく考えられたもので、10だけだと「そんだけかい?」という話になって達成できても薄っぺらい人生になってしまう。1000だと多すぎて結局大部分は完遂できずに終わってしまい、人生の終わりにモヤモヤした感じになってしまう。

100という数字が、ちょうどいいのだ。

このリストは、作家のロバート・ハリスさんが自分の著書「人生の100のリスト」で掲げたことでちょっとしたブームになった。

彼自身は、とある冒険家が死ぬまでに100の冒険をしたというようなことを雑誌で読んでヒントを得たらしい。彼の場合、リストには「アヘン窟で一夜を過ごす」とか「男(同性)と恋をする」とか「人妻といい関係になる」とか、まあその本自体が小説だとすれば理解できるけど、私たちには到底できそうもないことを掲げて、実行に移している。

それがすごいところで、自分のいる日本で、それらのうち1個でもやってみるならば、下手すると残り99個達成できずにある意味人生終わってしまうかもしれない。

 

今までもトライしてみたが

100リストについては、これまでにも書こうとしたことがある。

そして、その痕跡がまだ残っている。

キャンパスノートだったり、パソコンのエクセルファイルだったり、スマホのアプリ(それ専用のものがいくつかある)にだったりするが、全部途中で挫折している。

だいたい30-40くらいで、それも最後の方は「毎日1個ゆで卵を食べる」とか「玄関で靴をそろえる」とか、なんかわからんが習慣にしたいことリストみたいになってしまっている。

これが、本当に人生でやり遂げたいことなのか、という質問を思い切り当時の自分にぶつけてみたい。

たぶん、リストを無理やり埋めようとした結果なのだろう。容易に推測がつく。

とにかく、習慣とか目標とかいうものではなく、純粋にやりたいことをリストに書くべきなのだ。

もちろん、その下にはそれを達成するために、毎日どうしたらいいのかという目標がくるし、それを無意識化にコントロールするために習慣化しようという試みが自然にできてくる。

 

今までのリストを見返してみると 

今過去の100リストをみると、やはり全部、一番目は「世界1週旅行をする」「世界を一回りする」というようになっている。

よっぽど自分の場合は旅が好きなのか、この単純な頭でそれが真っ先に思いつきやすいのか、とにかくそればっかりで、その後に続くものも「ナイアガラの滝を見に行く」とか「ハワイでサーフィンをやる」だとか、「アフリカの大草原で野生の動物を見る」といったもので、やはりキーワードは旅なのだ。

このようにこれらの項目をみると、このリストを作ったときの思考がわかるような気がする。

要するに、当時の自分(リスト作成時)は、おそらく「自由」を欲しがっていたのだろう。

よっぽど嫌な職場に縛られている日々を送っていたに違いない、安易に想像がつく。

 

このように、なんとなく自分の思考を再確認できるのが、このリストの特徴でもある。ただ残念なことに、今見ているのは何年も前のリスト。

大事なのは、今どうだかということであれば、今の100リストを作り上げて分析することが必要なのだ。

リストを作成して今の思考を分析して、そこから必要あれば自分の生活を変えていくことが大事なのだろう。

 

リストを何に書き出すか 

これまで、たいてい途中で挫折している。そして、それも部屋のどこか、あるいはパソコンのフォルダのどこかに追いやられている。

できれば、先ほども述べた自分の思考や今の状態を確認するためにも、常に目に入るところに置いておくことがいいのだろう。

最近「ほぼ日手帳2021」を購入した。

実はこの手帳の巻末に「My 100」と題して自由にテーマを決めて100個書き出せるページがある。

正直過去にもこの手帳を使っていたが、恥ずかしながら今回はじめて気づいた。

ここに書き出してもいいが、残念ながら一つ一つの項目を書き出すスペースが狭い。

また書き損じると少し残念な気持ちになってしまう。

 

というわけで、やはりベストはキャンパスノートに書き出すことかなと思う。

自分の字で書くことが味があっていい。

書き直す場合も、前のものを消さずに二重線で消して書き加えることをお勧めする。

自分の思考の変化がわかるのだ。

ノート自体は自分の書斎の机の上の見えるところに置いておく。

ただ恥ずかしいので相方に見られないように、カモフラージュは必要だ。

まあ、「人妻といい関係になる」なんて、書きたくても書かないが...

 

より具体的に書き出す 

過去のリストでは、ただひたすらに100個挙げようとしていた。

先ほどの旅行関連に加えて「中国語を習う」とか「ジムに通う」とか。

でも、実際はそれらをやった上で最終的にどうしたいか、より具体的なことを書いた方がいいと思う。

「中国語を習う」ならば、「ニーハオ」を覚えただけでも、ある意味達成ということになってしまう。

でも、その当時はどうだったかわからないが、何のためにそれをリストに書いたかということを考えると、今ならば

「中国語を日常会話レベルまで話せるようになって、上海にタワーマンションを購入して住む」

とか

「中国語をマスターして、HSK検定(中国語検定)の6級(最上級)に合格する」

とか、さらには

「中国語で日常会話だけでなく医学専門用語もマスターして、中国の方の診察をする」

なんていうようになるのだろう。

まあ、このように具体的に書くことと、最終的にどうしたいかということを書いた方がいいのではと思う。

そして、大事なのはそのままではめちゃくちゃハードルが高いので、そのやりたいことを因数分解して、そこに到達するためには短期、中期的にどうすればいいのかということを書いていく。

つまり、中国語についてであれば

HSK検定1級を申し込む」

とか

「毎日単語10個覚える」

とかみたいになるのかな。

達成しやすい小さな目標だったり、習慣化だったりするわけだ。

 

おそらくそんな感じで書き出してみると、大きなやりたいことの項目は少なくても、小さな目標や習慣を合わせて100個には到達するだろう。

もちろん、やりたいことが100個あるのが理想だが、目標や習慣化したいことでも、そこはおまけである。

 

書き出すために「柱」を決める

ネットでいろいろと検索していくと、ポイントを絞って書き出すとわかりやすくまとめやすいというのがあった。

つまり、最初からバラバラに書き出すのではなく、自分の生活に関連づけて分野をまとめておくのだ。

自分の場合は、次の項目にまとめようと思っている。

「仕事」「健康」「経済(お金)」「精神」「教養」「家族」「趣味・遊び」「身の回り」「その他」の9つ。

いわゆる鬼滅的に言うと、これが9つの柱に当たる(意味不明!)。

その柱に関連するやりたいことをそれぞれ11個以上挙げていけば、100個になるだろう。

 

まあ、たらたらと自分の100リストのルールみたいなものを書いたが、実際書き出してみないと始まらない。

さあ、がんばろう。

目標その4「人生でやりたいこと100リストを2020年12月末まで作り上げる」

自分には小学生の子どもがいる。

全然親の言うことを聞かない、聞こうとしない。

 

それはいいとして、小学生の1日の過ごし方っていうのは、どんななのか。

簡単に言うと、

・朝起きる

・学校に行って勉強する

・学校から戻る

・宿題をやる

・後は遊ぶ

その間にご飯を食べたり、お風呂に入ったりというのがある。

当たり前だが、宿題の時は嫌々。

学校はどうか知らないが、話を聞くと楽しいと言う。

それ以外は、遊んでいる。

つまらないはずがない。

 

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時間配分で分けると、圧倒的に遊びが多い。

子どもは遊ぶことが仕事だっていう言葉を聞いたことがあるが、そんな楽しい仕事があるのか?

 

自分の場合はどうだったか?

自分も小学校中学年くらいまでは同じだった。

毎日頭の中は、どうやって遊ぶかでいっぱいだったような気がする。

それが、高学年から塾に行きはじめて、遊ぶ時間が削られていった。

さらに、中学校、高校と部活というものがあって、先輩にしごかれたりして、お世辞にもすごく楽しいというわけではなかった。

残念なことに成長とともに遊ぶ時間、楽しいだけの時間がどんどん減っていったのだ。

 

そして、今。

みなさん、だいたい想像つきますよね。

1日の大半は仕事、通勤、寝る!

コロナ禍において、飲むに行くというのはなくなった。

どこにも遊びはない。

これでは楽しくもないし、疲れてしまうわけだ。

毎日考えていることは、仕事のことばかり。

そりゃ、ネガティブになるわ。

 

このサイクルが平日5日間続くと、土日は完全にガソリン切れの状態で、家族サービスはある意味遊びとなるかと思いきや、半分いやいやだったりする。

 

海外の友達の場合

海外に住んでいる友達になんか聞くと、うらやましいかぎりだ。

仕事は8時から16時までで、間に2時間!昼休みがあるので、実質6時間ワーキング。

それから帰って、趣味のことをしたりしている。

趣味はボルダリング(岩登り)、釣り、釣り道具作り、サッカー、バンドもやっている、それに鉄道模型だそうだ。

俺と同じ49歳。

金曜日は半日で昼には帰って、家族と車に荷物を積んで土日は旅行みたいな。

そして、夏休みは2か月間フルにとるんだそうだ。

ヨーロッパの先進国ドイツ、ベルリンに住んでいる友達だ。製薬会社で弁護士として働いている。

収入も俺よりいい(らしい)。

 

仕事の効率の問題

日本って、先進国の中でも一人当たりの労働生産性?が、ずば抜けて悪いらしい。

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世界として比較して、25位くらいで最近どんどん落ちているらしい。

だからと言って、猛烈に働けということではない。

もう少し効率よく働くことが大事なんだろう。

効率よくとは仕事の段取りとか要領よくとかいう話もあるが、それ以上にオンオフの切り替えが重要なのだと思う。

 

遊ぶことが大事 

遊ぶこと=怠けているとしてしまっている時点で、アウトなんだろう。

そして、遊び方を知らないということが致命的なんだろう。

若者に趣味を聞いて、映画鑑賞とか言いながら、ここ1年間忙しくてあまり観ていないですって、それは趣味脱落じゃないのか?

中には趣味は特にありません、と答える人もいる。

じゃあ、普段何しているのって聞くと、寝ていますだって。

もっと遊んでほしい。

 

自分も遊ばなければ、と最近思っている。

そうしないと、つまらない人間になってしまいそう。

(今も、すでにつまらない人間になってしまっているかもしれないが)

やりたいことはいっぱいある。

忙しさなんて関係ない。

強制的に自分の時間を確保して、次から次へとやり始めるのだ。

 

以前人生でやりたいこと100個のリストを考えたことがあった。

30個で止まってしまった。

もっと世の中に面白いことがあるはず。まずはそれを見つけ出して、手をつけてみよう。

 

目標その4「人生でやりたいこと100リストを2020年12月末まで作り上げる」

あと6時間あれば...

最近思うのは、自分が今やろうとしているダイエットや睡眠時間の確保、スマホを見ない生活というのは、時間に余裕があることでだいぶ解決できるのではということ。

 

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過去の記事を挙げてみたが、いまのところ何とかこなしている状態。

 

では、仮に、1日24時間ではなく30時間だったとすると、通常よりも6時間多く自分用の時間を持てる可能性がある。

そうしたら、何に時間を当てるだろうか?

 

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6時間の自由時間の使い道

例えば、その6時間のうち2時間は筋トレの時間とすることができる。六本木かなんかのお洒落なパーソナルジムに通って、定期的に体のメンテナンスをすればこのだぶだぶの体を絞ることができるだろう。

 

もちろん、単純に睡眠時間に当てることもできる。現在、7時間睡眠確保に躍起になってやっているが、就寝時間が22時と正直20時ごろ帰宅する自分には、帰宅してからの自由時間がほとんどないに等しい。

そこに数時間あれば、1時間は睡眠に当てて8時間睡眠となるし、残りの時間は自由時間に使える。

 

時間的な余裕があれば、自分のしたいことにスマホを見ずにぶっ通しで集中できるだろう。

そもそも自分がスマホをチラチラ見てしまうのはネットサーフィン以外に、以前から時計を持たない生活をしていたからで、時間が気になるたびにスマホの時計を見ていたからだ。

 

こう考えるとあと6時間、自由に使える時間があると、もう少し健康に、生産的に生活できるに違いない。

 

あと6時間というのは贅沢な話だが

時間的に余裕をもって生活をしていると、食事時間はゆっくり食べることができる。

時間がないので、ファーストフードをほおばる必要はないのだ。

以前は車での移動中が食事の時間だった。

もっぱらマックのドライブスルーやドトールミラノサンドとコーヒーで済ますことが多かった。

ものすごく不健康であることは自明であるが、それでも時間を確保するのにそうするしかなかった。

最近は飲み物を以外は車の中で食事をしないように心がけている。

そうすることで、当たり前だが車の中の異臭がしなくなった(笑)

 

話はそれたが、時間があれば自分で健康にいい食材を買ってきて、自分で調理をして、自分でゆっくり噛んで味わいながら食べることができる。

2時間くらいあればできることだが、時間がないのでそれができない。

さらに時間があれば、料理学校でも通って美味しい物を作れるくらいの腕は作りたいもんだ。

 

体を動かすにも、時間がないと職場の中での移動という短距離を歩くことに限定されてしまう。

先ほど書いた筋トレはもちろんだし、時間があれば日光を浴びれる時間帯にゆっくり外を散歩し、いい空気を吸って季節を肌で感じ、新しいお店ができたら中をぶらっとのぞき込んだりすることもできる。

スマホで得る情報よりも、その方が自分の生活に密接に関係する情報だし、自分の体験だからより情報として価値がある。

テニスとかヨガとか、ピラティスとか興味をあることに手を出してみてもいいし、男なら格闘技なんかもやってみたい。

子どもとキャッチボールをするのもいい。

いずれにしても、ダイエットということを考えなくても、気づいたら体がしまっているという状況になっているに違いない。

 

あと6時間あったら、、、

ただし、実際の生活ではそれだけの時間を捻出するのはなかなか困難だろう。

たまに時間があったとしても、昼寝をしたりスマホを見たり、ゲームをしたりして無駄に過ごしてしまう。

「たまの休みなんだから」という口癖で、家族に言い訳をしてしまう。

やはり、毎日それだけ時間があることが大切だし、それがベスト。

 

でも現実、1日24時間しかない。

だから、その時間をほかの何かを削って作るしかないのだ。

 

何を削るか?

 

分かりきっていることなのだが。

スマホを忘れたことから、気づけたこと

今朝は子どもの習い事の日だったので、車で子どもを送っていき、

自分はお迎えまでの2時間をつぶそうと、近くの喫茶店に入って、

そして席に着いたときに、スマホを家に忘れてきたことに気づいた。

(もう最悪!)

朝のモーニングセットを頼んで、美味しいコーヒーをすすりながら、YouTubeでも見ようかと、カバンにイヤホンと充電器は入れてあったのだが、肝心のスマホがない。

当然Kindleアプリで買ったばかりの本を読むこともできないし、思いついたことを音声入力でメモることもできない。

 

何とか、ノートとボールペンだけがあったので、アナログに仕事をすることはできるけど、それでももう予定していた計画はぐちゃぐちゃ。

 

スマホを忘れると本当に不便。

 

昔はスマホのスもなかったのに

20年前まではスマホなんかなかったのに。

その当時はガラ携もなかった時代で、ポケベルが出だした頃。

人に連絡するときは、街なかで公衆電話を探していちいち電話。

その昔はピンクの電話で10円玉しか使えなかったが、その後はテレホンカードも使える緑の電話になった記憶がある。

だから財布には、必ずテレホンカードをいれていた。

 

ポケベルは、自分ではあまりメリットを感じなかったけど、世の女の子たちはものすごい勢いで公衆電話からポケベルにメッセージを送っていた。

駅の改札口にあった伝言板の役割が終わろうとしていた時代。

シティハンターでおなじみ...)

 

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友達と待ち合わせ

あの当時は、待ち合わせで友達が遅れてくると、どれくらい遅れてくるのか、なんで遅れているのか、全然わからなくて、どこにも行けずにひたすら待ち続けるというとてつもなく無駄な時間を過ごす羽目になった。

当然、待たせている方も、ものすごく申し訳ない顔してやってくる。

 

学生時代、一度デートで中目黒の駅で、4時間も彼女を待ったことがあった。

当時彼女は自宅だったので、公衆電話から相手の自宅に電話をかけるのもなかなかハードルが高く、とにかくひたすら待った。

(男として、待つことの美学なんてものも少しもっていた)

が、さすがに夕方になって日も落ち始めたので、意を決して電話をかけてみたら、自分が約束の日を1週間違っていたことを知らされた。

(あほや)

携帯があれば、もうちょっと効率よく立ち回れたはず。

今ではLINEとかで、気軽に連絡がとれるのに。

その後、公衆電話で1時間以上話しまくっていたのも、若かりし思い出。

 

ガラ携になってからは、公衆電話を探す必要もなくなったし、多少待ち合わせ時間に遅れても、連絡すれば相手も了解した風になっていた。

ただ、そういう時代になったからこそ、時間を守ることが大人のエチケットとして、今まで以上に大切になってきたと思う。

 

スマホでのコミュニケーション

スマホになってからは、声のコミュニケーションよりも文字での意思疎通が頻繁になってきた。

LINEやメールで連絡を取り合うのが普通になってきたのだ。

ただ自分の性格上、どうも文章の裏を読もうとしてしまうのか、相手はたぶん普通に文字を打っているだけなのに、こっちは顔の表情や声のイントネーションがない分、怒っているのかなとか気に障ったかなとか、考えてしまう。

それで、加えて文章を打ち込むと、今度は言い訳っぽさを思い切り醸し出したりして、結局ちぐはぐなトークになってしまうこともある。

(みなさんも、そういうことありませんか?)

 

ある意味そういうことを考えずにフリック入力を次から次へとやっている若者は、付き合いもドライなんだろう、と思う。

自分の世代は、仕事とかでも直接会って話すことが絶対的な礼儀だと教えられてきたので、今のように上司に対してもLINEで返信しようとする人たちが、不思議に見える。

今の人たちにとっては、効率的なのかもしれない。

絵文字やスタンプがあれば、それらが顔の表情や声のトーンの代わりをしてくれるらしい。

だから、オッサンも絵文字やスタンプを多用している。

 

話しをもとに戻して、喫茶店の私に

さて、スマホを忘れた私。

仕事も、何もできずに2時間。

ただその間、トーストとゆで卵の味を十分に楽しみ、朝のコーヒーをゆっくり味わうことができた。

スマホでニュースを見ながらだったら、その楽しみ方はできなかっただろう。

同じ2時間を過ごすにしても、どうでもいいようなネットの情報に振り回されるのと、食べ物とコーヒーの味わいを楽しみながら、本を読んだり、時々人間観察をしたりするのとでは、2時間の内容がだいぶ違った。

 

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いらない情報をいっぱい頭の中にいれると疲れるし、ストレスになる。

最近は、テレビのワイドショーネタはもちろん、ニュース番組さえみないようにしている。

(渡部の記者会見も、菅総理の記者会見も見ていない。どっちも観ていて、哀しくなりそう)

 

たしかにスマホがないと不便だが、なければないで有意義に時間を過ごせるのだということにひさびさに気づいた。

これも新たな目標にできるかな。

 

目標その3「一週間に一度スマホを全くいじらない時間帯をつくる」

という風に目標を立ててみた。

スッキリ目覚める朝が理想

目標を決めて、それを達成する
そして、それをさらには習慣化させていく
 
先日「睡眠時間をしっかり7、8時間確保する」
という目標を立てた。

スッキリ目覚める朝を迎えたい。

もう不愉快な朝、どんより曇り空みたいな朝を迎えるのは嫌だ。
という思いから、この年末はいかに素晴らしい睡眠時間を確保できるか、考える
ことにした。
 
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アマゾンCEOのジェフ・ベゾスは、こう話している。
「注意力が高まって、思考もはっきりする。8時間眠ると1日ずっと調子よく過ごせる」
 
自分もここ最近は家に仕事を持ち込まず、可能なかぎり22時には寝るようにしている。
朝5時起床の毎日なので、8時間には足りずに7時間睡眠になっているが、それでも
十分しっかり眠った日は朝から調子がいい。
 
睡眠をしっかりとることを習慣化することで、自分の頭がしっかり働いてくれれば自分の新しい道を切り開いてくれるヒントが得られるかもしれない。
 

8時間睡眠がベスト

本当は8時間睡眠がベストだそうだ。
英国の研究チームの報告では、8時間睡眠をとっている人が心臓の疾患にかかるリスクが最も少なく、一方で平均睡眠時間が6時間以下しかとれていない人たちは12%以上心疾患で早死にしやすいとしている。
 
だから、7時間睡眠ではまだ微妙に足りない。
 
でもなかなか8時間もたかが睡眠のために時間を取れないというのが現状。
いや、でも自分の命を最優先に考えるのであれば、強制的にでも8時間を確保するべきであろう。
たかが睡眠、ではない。
最優先課題なのだ。
 

寝ている暇があれば、仕事をしろ

上司や先輩に言われてきた言葉だ。
今の今まで、寝ることに罪悪感を感じていた。
「寝ている人=怠け者」みたいな考え方が、この自分には植え付けらえていた。
ガツガツと働いていることが、しっかり世の中のために生きている人という感じ。
 
でも冷静になって考えると、ぼーっとしながらダラダラ仕事をしている人とスッキリした頭で集中して仕事をやり切る人では、絶対後者の方が効率いいし、結果仕事の出来具合もいいことが多い。
早く仕事を仕上げた分だけ、別のことにも取り掛かれる。
それは、自分でも経験済みだ。
「睡眠不足=仕事にこなしている人」
という方程式はもう成り立たない。
 
まあ、そう考えたので、先日から22時になったら布団に入るようにした。
今まで4時間とか5時間睡眠だったので、長く眠れるだけで、翌日気分は多少いい。
 

睡眠時間を確保したその次は?

さて、睡眠時間は確保した。
でも、これでスッキリ睡眠負債は返せるのだろうか?
時間だけでなく、睡眠の質というのも大事らしい。
睡眠の質?
 
8時間睡眠時間を確保しても、リビングのソファで無理な体勢で横になって、埃っぽいクッションを頭に、薄っぺらい毛布をかけて、この時期夜中に寒くなって目が覚めたりする寝かたと、パジャマに着替えて自分のベッドで布団に入って、きちんとした姿勢で眠るのではやはり大違い。
 
良質の睡眠を追求することが大事なのだ。
 

良質な睡眠をとるためにどうすればいいのか?

では、良質な睡眠をとるために考えるべきことは何?
思い浮かぶ事を書き出してみた。
  1. 寝ることの習慣化:毎日8時間睡眠時間を確保することは当然だけど、それに加えて何時から何時まで眠っているかというのも重要だそうだ。
  2. 環境:寝ている間に鼻や口から入ってくる部屋の空気。当然キタナイ部屋で寝ていれば、埃が口の中に入ってきてしまうし、アレルギーの原因となるものを吸い込めば、くしゃみで目が覚める。寝室をきれいに保つことが大切だ。
  3. 温度や湿気:暑すぎても寒すぎてもよくない。ダラダラ寝汗でビショビショになっても、ガタガタ震えるような状態でもよくないのだ。部屋の空気が乾燥していれば風邪をひく原因にもなるだろう。
  4. 明るさ:朝は太陽の光で自然に目覚めるのが理想だが、夜中に駐車場に止める車のライトで起こされるのは言語道断。
  5. 音:かつては仕事柄、遠くの方で鳴っている救急車のサイレンでもパッと目が覚めるような癖が着いていた。また家で寝ているはずなのに、ポケベル(今はPHS)の音が鳴っている感じが常にあり、夜中に目が覚めることが頻回にあった。
  6. 枕と布団、マット:腰が悪いのでマットはやわらかすぎてもだめだし、この体重だと硬くても翌日体のあちこちが痛い。枕は高すぎると、いびきがひどくなるが、低すぎても首が悪いので翌朝手がしびれている。
  7. 寝間着:肥満な私は、かつてゴムのきついトレーナーを着てねていたら、お腹が苦しくて寝れなかった。でも、全裸で寝ることははばかれる。
  8. 直前の過ごし方:寝る前のスマホやテレビが悪いことは、今や当たり前。遅い夕食を食べて寝ることもよくない。風呂に入って温まってから寝ると、副交感神経優位になるので、良いらしい。
  9. 日中の過ごし方:できるだけ日光を浴びて体を動かすことが、睡眠にとっていいとのこと。またカフェインは午前中に限定することが必要だって、最近知った。
  10. 自分の体型:太っていると舌根が落ち込みやすいので、いびき呼吸、そしてひどくなると睡眠時無呼吸症候群になってしまう。朝から頭痛になっている原因はそこにあるのかな。
  11. 目覚まし:さすがに、仕事がある朝に目覚ましを掛けずに起きれる自信はない。かと言って、昔ながらのジリジリうるさい目覚ましは心臓に悪い。
これだけの要素が自分の睡眠の質に関わってくるのだ。
(ほかにもあるかもしれない。あったら、教えてください)
 
どのような睡眠を毎日とっているか、それが脳と心、体の健康に大きく影響してくる。
1日のうちの3分の1は、睡眠に当てなければいけない。
正直自分が十分というほど気持ちいい睡眠をとって、そしてスッキリ目覚めたことがないような気がする。
だから。それがどれだけ素敵なことかわからない。
 
まだ見ぬその向こうに到達するために、色々と勉強してやってみようと思う。
 

目標その2「睡眠時間をしっかり7時間、可能なら8時間とる」

この歳になってくると(アラフィフ)、確実に夜更かしできなくなっている。

シンデレラじゃないけれど、午前0時を過ぎると、どうしても睡魔に打ち勝てないのだ。

気合が足りないのかもしれないけど、いやそれでも無理!

どんなに急ぎの仕事があっても...

 

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コロナ前までは

コロナ前に、職場の飲み会とかで午前0時を過ぎるところまで付き合うと、結局いつの間にか寝てしまっていた。

そして、必ず支払いのときになって起こされるという、なんともむなしいことを繰り返していた。

(まあ、それ目当てでみんなも誘ってくるんだけどね)

 

結局最近は自分のことがよくわかってきたのか、1次会で帰るようにしている。

一応、2次会用に幹事にお金を渡しておくようにしている。

ケチと言われたくないので。

(そこが小市民)

なんだろう、体がそういう癖を身に着けてしまったのか、体力がなくなっているのか。

 

急ぎの仕事がとにかく大変 

仕事の場合が大変。

期日ギリギリになって、今晩頑張れば間に合うだろうという計算が立たなくなってきている。

絶対に寝てしまうのだ。

コーヒーを濃くして飲んでも効果があまりない。

腰が痛いから、ちょっと横になろうみたいな油断が、爆睡への道。

(そして、気づいたら地獄)

 

最近になってモンスターを口にするようになって、少し頑張れるようになってきたが、それでも午前1時(お洒落に言えば、25時)が限度。

 

睡眠借金を絶対にできない体に 

いずれにしても、朝は5時に起きている。

基本的に、睡眠借金ができなくなっているのだ。

 

当然寝るのが遅かったときは、目覚ましで5時には起きることはできるが、やはりその日1日中スッキリしない。

椅子に座ろうもんなら、そのまま別世界に連れ去られてしまう感じ。

さすがに、人前でコックリすることはないが、ちょっとしたスキマ時間は全部睡眠になってしまう。

 

それだけではない。

頭は働いていないし、足元もなんとなくおぼつかない。

階段を上っているときに、なんどつまずきそうになったか。

異様に肩が凝るし、指先も不器用になる。

 

危険な欲求

唯一元気なのが食欲。

寝不足な状態でコンビニに入ると、なぜか弁当を1個にパスタとか、意味不明な

組み合わせでご飯を買ってしまう。

ポテチとアイス、そしてダイエットコーラみたいなアホメニュー。

そして、しっかりと全部胃袋に入れられる。

しっかり睡眠をとれていないと太るという理由に、自分の食欲を抑えられないと

いうのがあるのだろう。

 

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寝不足で買ったパン、これが美味しい

 

寝不足による前頭葉機能の低下

自分の欲求を抑え込む場所が、脳の前頭葉というところなのだそうだ。

赤ん坊から大人になる過程で、一番最後に発達する場所で、ほかの動物よりも人間の

場合、前頭葉が著しく発達している。

つまり、人間が人間たるゆえんは前頭葉の発達にあるのだ。

 

前頭葉が障害されると、欲望のままに突っ走ってしまうし、怒りっぽくなるし、物忘れがひどくなって注意力散漫になる。

言語中枢もあるので、ボキャブラリーが幼稚になるし、運動神経の中枢もあるので動きが当然鈍くなる。

 

もちろん、寝不足になると前頭葉だけが障害されるわけではないが、人間の脳の中で一番体積が大きいのが前頭葉なので、その影響は大きいと言えるだろう。

 

俺はいったいどんだけ寝ればいいんだ?

では、何時間寝ればいいんだろう?

今までは、自分で勝手にショートスリーパーだと決めつけていた。

4時間程度眠れば十分と勝手に思い込んでいた。

 

しかし、今は絶対無理。

どれだけ眠れば、頭がスッキリして、体が機敏に動いて、そして心が晴れ晴れしているのか?

最近の経験から、6時間では短かった。

7時間でも微妙だけど、なんとか。

正直8時間しっかり眠ったときは、その日1日中調子がよかった。

ニュートンも8時間だという。

(別に一緒にするつもりはないが)

 

実際長生きしている人の平均睡眠時間は7,8時間だという。

だから、最低7時間、可能ならば8時間は布団にもぐっているべきなんだ。

 

では、何時に寝る? 

仕事の始まりが8時。

通勤に車で1時間半。

朝の準備、つまりシャワーや洗顔、朝ご飯やらで1時間半。

だから、逆算して起床は5時。

つまり、睡眠時間が8時間なので、寝る時間は21時。

 

でも、今は仕事が終わって帰ってくるのが20時くらいなので、

睡眠時間8時間をきちんと確保するのならば、

「ただいま」って叫んでから、そのまま着替えて布団に入ることになる。

 

結局、何もできない!

自分の時間がない!!

 

だから、今ここで出した結論は! 

そこで、結論に達した。

睡眠時間は7時間もしくは8時間として、それを確保するために「働き方改革(自分バージョン)」を実行しよう。

今の仕事、通勤については、もはやレボリューションを起こすしかないのだ。

自宅から往復3時間の通勤で無駄にしている職場はダメだろう。

以前の職場は、仕事時間が著しく長かった。

今は通勤時間が長い!

 

自宅を職場の近くにするか?

いやいや、マイホーム買ったばかりだし。

仕事始まりを遅くするか?

いやいや、上司が時間にうるさい人で、みんな一緒が大事なんて言っているし。

仕事を定時前に抜け出すか?

いや、すでにやっている(内緒)。でも、帰りの渋滞にはまってしまう。

 

理想は、自宅から近くて、仕事時間も定時前に上がれる。

そんな働き場所を、今一生懸命探している。

そして、もう少しで見つかる予感!?

本当に有用な情報とは何だろう?

「正しい情報を見分ける」

 

今の世の中にいろいろな情報がある。

毎日テレビや新聞、SNSで流されている情報って、どこまで正しいのかな

と、ふと思った。

 

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だって、今まで正しいと思っていた新聞。

その内容に対して、とある内閣に忖度しているってSNSで騒がれているではないか。

でも、果たして、そのSNSの情報も正しいのだろうか?

 

コロナの感染者がどんどん増えているし、重症者も過去最高を記録した。

でも、重症者の全国基準と東京都の基準は違うらしい。

それってどうなの?

実際、現場で働いている人間からすると、

ニュースで発信している情報、

ワイドショーで必死に繰り返している話題(ネタ)、

それと自分の体で感じている現場を比べてみると、

やはり大きな乖離があるような気がしてやまない。

 

大昔はどうだったか

大昔は、情報の集め方として

人から話を聞くということと

自分の目で確かめることの2つしかなかった。

自分の足で歩き回って深く周囲を観察するか、人と会って話を聞かないと、貴重な情報は得られなかった。

 

文明が発達して、たしかに便利にはなったが

それが文明の発達によりちょっと前には、テレビやラジオ、新聞、本が加わった。

より多くの他人から情報を得られるようになったのだ。

つまり、多くの人が情報を発信するようになったし、同時に多くの人が同じような情報を受け取れる時代になったのである。

 

今はもう怖い世の中

そして今は、ネットやらSNSやら、もうとにかく情報が氾濫している。

誰かが間違ったことを発信してしまうと、同時に多くの人が誤った情報に振り回され、それが多数派になってしまうことで、いつの間にか嘘から真実へと創り変えられてしまう。

怖い世の中である。

 

何が正しい情報なのか 

その昔、つまり自分の目で確かめたこと以外には、人から直接聞いた事柄だけが唯一の情報だった時代。

それでもその聞いた内容が、又聞きだったり噂をかじったものだったりすれば、それは嘘の情報とまではいかないけれど、決して正確な情報ではなかった。

それを本当なのか作り話なのか、聞いた自分で判断しなければいけなかった。

 

しかし、今はどうだろう?

人から聞いた話、テレビや新聞、さらにはSNSなどでものすごいたくさんの人たちが情報を発信している。

どれが真実で、どれが全くの嘘なのか。

あるいは真実と嘘が半々の場合もあるだろう。

それを判断するのがすごく難しくなっている。

もちろん、どの情報も鵜呑みにして、そういった判断をおろそかにして全部受け入れてしまえば、それは一瞬は楽なのかもしれない。

でも、その後その情報に振り回されている自分がいるわけだから、後々大変になる。

 

真実なのか嘘なのか、これを判断する指標となるのは、自分の経験や体験である。

自分の経験や体験を軸に、その情報が真実なのか違うのか、自分にとって有益なのか違うのかを判断するのだ。

 

だから、いっぱい経験、体験することが大事。

 

原点に戻ろう。

自分にとって明らかに事実なのは、自分がこの目で見たこと、

つまり経験、体験したことなのだ。

 

だから、考えるより行動することが大事なのだ。

目でじかに見る機会、そして肌で感じる機会をいっぱい作ろう。

それが真実だから。

 

このコロナ禍では

コロナ禍において、外出すること、そして人と直接会うことが難しくなっている。

 

そんな中で、より多くの経験、体験をしたり、貴重な出会いをしたりすることが、自分の成長にとって重要な課題となる。

 

言い換えれば、自粛しなければいけない今、私たちは成長できないのかもしれない。