たーさんブログ

自分の人生を再構築したがっているおっさんのつぶやき

ルーチンワーク、習慣行動をうまくこなしていくために

ビジネス用語なのかどうか知らないけれど、ルーチンワークという言葉がある。

これは、日々同じ作業を行う仕事のことを言う。

業務の手順やルールがすでにパターン化されて、マニュアル化されることで、効率よく進めることができる。

 

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このルーチンワークのメリットは、

 

・業務の効率化が図れる

・時間配分の正確性が高く、スケジュール管理しやすい

・一定のクオリティーが確保できる

 

ルーチンワークと習慣

さて、私たちの日常生活においても、それに似たような言葉がある。

「習慣」だ。

 

ルーチンワークと習慣は、前者はビジネスで用いられる言葉で、後者は日常生活で使われる表現とされて、別々に使い分けるものだとする見方もある。

 

ただ、朝6時からブログを書き始めるというのを、ルーチンワークと呼ぼうが、習慣としようが、別にどちらでも悪いことではないだろう。

 

とある会社でのルーチンワーク

例えば、ルーチンワークならば、

朝9時から始めて、いつも通りの作業で10時には終わって、次のタスクに取り掛かることができるとする。

ルーチンワークのいいところは、先に述べたように、時間配分の正確性が高いので1時間で一定のクオリティの結果を出すことができて、非常にスケジュールの管理がしやすい点にある。

だから、その次のタスクとして10時5分に会議室で面会なんていう予定を立てても、ほぼオンタイムに行動に移せるわけなのである。

 

しかし、そのルーティンワークが、時にうまくいかないこともある。

 

ルーチンの対義語として、イレギュラー(変則)やアドホック(臨時)、スポット(一回きり)などと言った言葉がある。

それらが、ルーチンワークを妨げるように、どこかで起こることがある。

 

ルーチンワークを邪魔するイレギュラーイベント

例えば、

朝8時50分に話の長い部長に呼び出されて、まとまりのない話を20分もされてしまった場合。

その結果、自分のルーチンワークは10分遅れで開始することになる。

 

例えば、

9時30分、最もルーチンワークに集中しているそのときに、同僚からの電話でどうでもいい話をされて集中が途切れてしまった場合。

そこから、再び「全集中」の状態に戻すためには当然時間がかかる。

その結果、予定していたルーチンワークの7割程度しか終わらなかった。

 

このように、予定外、想定外のことがふりかかると、仕事の効率はめちゃくちゃ落ちてしまうのは容易に想像がつくだろう。

 

自分たちの日常生活において

さて、私たちの日常生活に目を向けるとどうだろうか。

習慣においても、同じだろう。

 

例えば、自分の場合は朝5時に起きて、6時すぎに出勤するまで行動が習慣化されている。

朝5時に起きて、シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながらその日のスケジュールを確認するみたいな。

 

ところが、その習慣の一連の行動パターンが崩れる可能性がある。

 

例えば、

朝5時に起きる予定であったが、目覚ましがその日は鳴らずに20分遅れで目が覚めた。

結局シャワーを浴びずに出勤しなければいけない。

これが前日焼肉なんか食っていたりしたら最悪だ。

なんとなく、甘酸っぱい焼肉のたれ的なにおいをさせながら、出勤しなければいけないわけだ。

 

あるいは、

予定通りに起きてシャワーも浴びることもできて、コーヒー淹れながら、

たまたま習慣としていないテレビをつけてしまい、

そして、その日たまたまNiziUが「目覚ましテレビ」に出てしまっていたら、

おじさんとしては自分のスケジュール管理の時間に、縄跳びダンスを見ていることになるかもしれない。

(具体的すぎるだろっ!)

(つうか、出勤時間が「スッキリ」にかぶっていたら、休んでいたかもしれない)

その結果、今日1日のスケジュール、そしてto do listを作成せずに、仕事に向かうことになり、場合によっては職場で路頭に迷うことになる。

 

イレギュラーなことが起きないようにする

というわけで、仕事でも日常生活でも、いかにイレギュラーなことが起きないようにするかが、非常に大事になってくるのだろう。

これを克服しないと、下手するとその日にやりたいことが、たいていのことは手つかずに終わってしまう。

 

まず、よく言われていることは、やっている最中に自分の仕事を邪魔するだろうものはあらかじめ排除すること。

仕事ならば、

・個室でやる

スマホ、電話は排除する

・人から声をかけられないようなオーラを出す

 

日常生活でも同様だろう。

なんと言ってもスマホが問題。

すぐにどうでも良いYahooニュースにとびついて、読み始めてしまうと、そこからどんどんサーフィンしまくることになる。

 

自分の場合、テレビなんかもそうである。

どこかのお偉いさんが、自分のことを「ガースー」と呼んだことがテレビニュースで流れているのを目にしたがために、その日1日中Youtubeを見まくってしまい、翌日のプレゼン資料の作成が深夜にずれ込んでしまったことが最近あった。

(チクショウ、この歳で夜更かしすると数日体に疲労が残るんだから)

 

とにかく、自分のルーチンワーク、習慣行動を行う場合には、それを妨げるであろう事柄はすべて排除すべきなのである。

スマホや携帯電話はそばに置かずにかばんの中にいれておく

・テレビやラジオはつけない

・音楽も聴かない

・雑誌や漫画を排除する

・生理現象は仕方がないとして、喉が渇くことはあるので飲み物をそばに置いておく

 

こういった準備が必要なのである。

 

予定どおりに始められない

さて、ルーチンワークの途中の邪魔は、このようにはじくことができるのだが、その直前に発生したイレギュラー事象については、なかなか避けがたい。

予定どおりにはじまらなかったことで、すべての時間配分がくるってしまうことになる。

 

自分に原因がある場合、例えば寝坊したとか、渋滞に巻き込まれたとか、そういうことである。

必要な資料が見つからなくて、そのために数分時間をロスしたとか、そういうこともである。

この場合は、とにかくそれ以前の時間配分や事前準備のあり方を見直す必要があるだろう。

 

5時起床予定ならば、睡眠時間7時間は最低とっておきたいので、前日22時には布団にもぐりこむようにする。

渋滞も考慮して、時間10分前に仕事場に到着するように出発時間を調整する。

つまり、時間にルーズな人はダメなりに工夫が必須。

肝心の書類が見つからないことで、探すのに時間をロスするのであれば、普段から整理整頓して書類を取り出しやすいようにしておく。

こういったことを気を付ける必要があるのだ。

そして、行動の終わりが後ろにズレても、多少時間に余裕をもってスケジュールを組み立てるのも、一つの手法だ。

予定どおりにいって時間が余ったら、それはそれでそのスキマ時間に何か小さなタスクをおこなえばいい。

 

というわけで、ルーチンワーク、習慣行動を予定通りこなすためには、時間的に余裕をもってスケジュールを組み立てたうえに時間厳守。

そして整理整頓をすることで無駄な行動を省くことをめざすのが大事。

さらに仕事の邪魔をするような媒体や人は、自分のまわりから可能なかぎり排除することが大事だ。

このことを肝に銘じて、2021年も頑張っていきましょう!

習慣を変えることが自分の生き方を変える

自分の毎日の過ごし方を振り返ってみようと思う。

 

朝5時に起床して、すぐに暖房をつける(今は冬!)

トイレに行って、体重計に載ってアプリに登録。

シャワーを浴びて歯磨きをし、体を拭いたら、服を着て、コーヒーを入れる。

血糖を測定し、薬を飲み、さらにビタミンのサプリメントを口に放り込み、コーヒーで

流し込む。

今日1日のスケジュールを確認し、自分の目標を再確認する。

荷造りをして、6時になったら自宅を出て職場に向かう。

 

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さて、この1時間の間、スケジュールを確認して、自分の目標をみるというところ以外は、ほとんど頭を使って考えずに過ごしている。

 

何故、それが可能かというと、それはその行動一つ一つが習慣化されたものだからだ。

習慣化されることにより、無意識のうちに事が進む。

 習慣化したことにより、毎回同じような結果が得られ、そして、自分の思い通りの時間に次の行動を起こすことができるのだ。

 

習慣化のメリット

習慣化することの良いところは、

同じことを繰り返すことで同じ結果を得ることができるということだ。

つまり、自分が期待している結果を、考えることなく無意識に得ることができる。

 

アインシュタインは、

「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」

と言っている。

つまり、同じことを繰り返せば同じ結果を得ることになるのは当たり前なのである。

 しかし、この名言の解釈の仕方を少し変えてみるとどうだろう。

違う結果を望むのであれば違うこと、つまり新しいことを始めなければいけない。

 

新しい習慣を身に着けることで、自分の生き方が変わるということだ。

 

古代ギリシャの哲学者アリストレテスは言っている・

「人は習慣によって作られる、優れた結果は一時的な行動ではなく、習慣から生まれる。」

自分の理想的な人生の道を歩みたいのであれば、その目標に向かって新しい習慣を確立しなければいけないのだ。

 悪い習慣を捨てて、新しい健全な習慣を身に着けることが大切。

 

悪しき習慣から良い習慣へ

ただ新しい習慣をゼロから考え出して、身に着けるのはなかなか難しい。

まずは自分の悪い習慣を把握することが大事。

そして、その悪い習慣を良い方向に改めるというやり方がいいと思う。

 

今の自分においての悪い習慣とは何か?

毎日の行動を思い返しながら、書き出しているといろいろと悪いことをしているな、というのが分かる。

それを可能なかぎり、良い習慣に変えていくことが必要なのだが、たくさんの悪しき習慣をすべて良い習慣に切り替えていくことは大変な労力になる。

(当たり前ですね)

 

習慣化目標を月3つに絞ろう

正直書き出したものをみるだけで、お腹いっぱいになってしまう。

ではどうすればいいか。

そのたくさんある項目のうち3つに絞って、まずは変えていくことをめざせばいい。

1か月続けることで習慣化できたところで、次の3つというようにしていくのだ。

 

習慣をまとめる

たいていの悪しき習慣はいくつか連動していることも多い。

悪い習慣が

「ジャンクフードを食べる」「清涼飲料水を飲む」「野菜を食べない」「果物を食べない」「緑茶を飲まない」

であれば、良い習慣は

「お腹が空いたら、野菜サラダや果物を食べる」「喉が渇いたら、緑茶を飲む」

というようにまとめられるわけだ。

5つの悪しき習慣が2つの良い習慣に切り替わる。

これにより、「体重を減らす」という目標につながることになる。

 

習慣の因数分解

さらに、習慣の中にはハードルの低いものと高いものがある。

低いものは早々にクリアできるが、高いものはなかなかきついし、まず後回しにしがちである。

絞った3つがすべてハードル高いものであった場合は、下手すると一つもクリアできないかもしれない。

というわけで、ハードルの高いものは因数分解して下げていく必要がある。

例えば、

「運動不足」

という悪しき習慣を

「運動をする」

という良い習慣に変える場合、それだとあまりにも漠然としていて、やる気が起きない。

それに対して、それを時間的に空間的に因数分解すると、例えば

「週末は、家の近くの神社まで散歩する」

とか

「2日に1度、万歩計で12000歩歩く」

とかになる。

これが「毎日」とか「走る」とかになると、いきなりハードルが高くなってしまう。

まずは低めから始めて、習慣化する第一歩を踏み出し、そして1か月経って習慣化に成功したら、少しずつハードルを上げていけばいいというわけだ。

 

そういうわけで、自分の悪い習慣をまずは挙げていこうと思う。

次回に続く。

行動に移せないのなら調べまくるしかない

何かを目標に挙げたときに、それにすぐに取り掛かることが大切であることは言うまでもない。

 

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限られた人生の中で時間は貴重だ。

だから、スピード重視で、すぐに第一歩を踏み出して、目標に向かって歩み始めるのがいいに決まっている。

 

ただ現実的になかなかそのきっかけとなる一歩目が出て行かない。

一歩目が出る前に、言い訳が口をついて出てしまう。

「今忙しいから」

「まだすぐでなくてもいいだろう」

「ほかにもっと大事なことがあるから」

「もう少し考えてから」

「...」

(俺の悪いところだ)

(みなさんは、どうですか?)

 

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では、どうしたらいいのか?

と、その前になぜそういうことになってしまうのか、考えてみた。

 

人間としての仕事の放棄 

人間が物事に取り掛かるときに働かせるところは、体か脳みそ。

だから、理由としては単純に、この2つの臓器が両方ともが動いてくれないから、ということになる。

つまりのところ、

 

①どのように体でもって動き始めて、行動していいかわからないから、体を動かすのを不効率に感じて、まずは頭の中で考えてみようとする。このときの状態を「面倒だから」と一言で言う。

 

②でも頭の中で考えようとしても、漠然とはわかるが具体的なところどうしていいかが分からず、結局脳みそを働かせるのも面倒くさがって、後回しにしてしまう。より単純な作業を先にやってしまうわけだ。

 

要するに、面倒を嫌って楽な方に流れていってしまう。

(極端な話、人間という仕事の放棄だな)

 

自分が、どこかに行こうとする場合 

もともと運動音痴で、インドア派な私の場合、どこかに出かけようとなると、どうしても最短距離を行こうとしたがる。

また無理に険しい道を歩いていくほど、どMではない。

いかに坂道の少ない道を通るか、いかに早く、ただし走らずに目的地にたどり着けるか。

そんなことばかりをまず考える。

 

しかし、考えようとするうちに、家にいるべき理由を見つけ出して、結局そこでゴロゴロしてしまう。

「今日は行かなくてもいいや」って。

どの道を行くか考えていくことが大事なのに、頭を使うことも投げ出してしまうので、結局目的地にたどり着かない。

 

楽に頭を使うことが大事 

せめて、少しは頭を使おうよ。

んで、どうすればいいのか。

かつては、目的地に向かうのに地図帳を開いたり時刻表を引っ張り出したり、ガイドブックを読んだり、はたまた行った人から話を聞くしかなかった。

 

しかし、今ははるかに便利になった。

ネットで検索すればいいのだ。

どうやって行くのか、調べたいことを打ち込んで、検索ボタンをポチっと押すだけ。

実は時代の進歩により、それほど頭を使わなくても簡単に道を教えてくれるのだ。

どうせ家でネットサーフィンをしているのだから、それくらいは面倒ではないはずだ。

なんとか、そこまで自分の頭を使うようにもっていきたい。

 

調べることで、正確に緻密になる 

当たり前だが、調べると成功率が上がる。

そして、より確実に、そして緻密に物事が進む。

より具体的にいろいろと知識がついてくれば、目的地に向かう自分、そしてたどり着く目的地のイメージが湧くだろう。

そうすると、それをきっかけに重い腰を挙げて。そこに向かおうとするはずだ。

もちろん、一緒に行ってくれる人がいると、なおさらいい。

引っ張ってくれるからだ。

 

どのくらい調べるのか 

さて、物事を調べるにあたり、どの程度調べればいいのだろう。

単純にどこかに行くだけなら、ナビタイムで十分。

 

ただ目標に向かって何かを始めるのであれば、徹底的に調べるべき。

体を動かすのが面倒と感じている間は、とにかくまだその機が熟していないので、調べまくるのがいい。

そのうちに、動き出そうというキッカケが出てきて、重かった腰が少し軽くなって動き出せるようになるはずだ。

 

調べることのいい点は、もう一つ。ほかの人と同じだけの知識しかなければ、そこまでしか成長しない。

調べた分だけ、自分は成長し、より最短距離で物事を進めることができるのだ。

とにかく徹底的に調べることが大事。

 

「もう少し調べてから」 

最初の方で挙げた、何かをしない言い訳の一つ、「もう少し考えてから」を「もう少し調べてから」にするのだ。

 

今まで、どうしたらいいのかわからないと思っていたことは、実は検索すれば必ずやヒントは得られるものだ。

 

例えば、ブログの始め方にしても、確定申告の仕方にしても、自宅への光回線のひき方いしても、ちょこっと検索すればすぐにわかりやすい解説が出てくる。

なのに、体だけでなく頭も動いてくれないから、結局やらないか、ギリギリになってやることになる。

 

とにかく、調べ倒すことからはじめよう。

そうすれば、早い時期に動き出すきっかけが出てくるはずだ。

人生を悔やまないようにするために

自分も含めて人の命は有限であり、それも最大で100年程度しかない。

これも今の医療技術でもって、なんとか人の体に鞭打って頑張らせた結果の100年である。

 

平均寿命で行くと、日本人男性の場合は79歳、女性ならば86歳。

その中でも、実際に体の自由が効いて頭がしっかり回転しているのは、もっと短い。

つまり健康寿命と言われているタイムリミットまで、男性の場合は70歳前半までしかない。

それ以降は、下手したらベッドに寝たきりになって、ただただ毎日天井を見ながら生活しているだけかもしれないのだ。

 

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まあ、それは極端な想定であるが、実際に数%の可能性でそうなってしまうかもしれないということは、常に念頭におくべきだ。

 

残りの人生を悔いなくすごすためには

今自分の年齢がもうすぐ50歳であることを考えると、あと20年強あるかどうかということになる。

当たり前だが、これまでの人生を振り返っても、同じような過ごし方では何とも悔いが残りまくるような気がする。

自叙伝を書く気にもならない。

 

最近、ほかの人のいわゆる偉い人の人生はどんなだったか、自分にも真似ることができれば少しでもまともな人生に近づくだろうと、自叙伝とか伝記とかいう本を読むようにしている。

松下幸之助とか、本田宗一郎とか、吉田松陰とか、イーロン・マスクとか...

でも、なんかピンとこない。

 

話がそれてしまったが、自分の残されているだろう残り20年についてどうするか?

 

人生残りわずかになったときに悔やまないようにするためには

悔いが残らないようにするためにはどうすればいいか?

おそらく、大きく分けて2つしかない。

 

①自分の人生目標をしっかり定めて、それに向かって毎日を充実させていく

②残り20年でなく、さらに少しでも長く延ばすことができるように努力する

 

人は欲張りな生き物である。あれもしたい、これもしたいと思ってしまい、結局どれもまともに手を付けずに、目の前の些細なことで満足してしまう。

 

自分もそうだった。

 

20代から無駄なことにお金を使わずにきちんと貯蓄して、

1億円くらい貯めてアーリーリタイアするということよりも、

ゲーセンに行って「ストリートファイター」で勝ち続けるためにお金を使いまくったり、飲み会で一気飲みをしまくって道端にオエオエするために後輩の分も含めて飲み代を払ったり(汚くてすみません)と、目先の快楽を優先していた。

 

学生時代なら社会勉強と言って言い訳できたが、給料をもらうようになってからもどうもお金に対するリテラシーがなかった。もっと大事なこととして、いかに時間を無駄に過ごしてきたか。

 

これもおそらく人生における明確な目標がなかったからだろう。

自分は近い未来このように生きていきたいという目標があれば、いかに貴重な時間とお金を無駄にせずに有効活用していくか、ということをもう少ししっかり考え抜いていただろう。

 

幸いにも自分はまだ生きている。

体は健康とは言い難いが、それでも自由に動かすことができている。

脳みそもまだまだボケてはいないだろう。

 

今からでも遅くはない。

 

自分なりの目標を定めて、それに向かって邁進するということと、少しでも長く体の自由が効くようにボディケアに勤しむことをやっていこう。

 

みなさま、良い休日を。

そして、今年も残りあとわずか。

せめて、今年の初めに立てた目標のうち少しでもいいので、達成できるように悪あがきしよう。

主産物を伸ばしていくか、副産物に気づいて広げていくか

物を造る業界では、

最終的に当初の目的としていた物としてできあがった主産物に対して、

その生成の過程で造られた、より価値の低い物を副産物と言う。

(必ずしも価値が低いとは限らないが...)

 

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豆腐とおからの関係

たとえば、豆腐を作っていく過程で、その途中でつくられるのがおからである。

当初目的としていた豆腐に比べると価値が低い物になってしまうが、決して無用なものではない。

ダイエッターにとっては必需品ともいうべきもので、立派な健康食品なのだ。

その昔、おそらく最初の頃は、できてきたおからを片っ端から捨てていたに違いない。

何しろ、目的は豆腐を作ることなのだから。

しかし、そのうちに誰かが、それも食べることができて、なお体にいいものであると気づいたのだろう。

今では豆腐屋さんにいくと、それまでも値札を貼られて売られている。

もちろん、気前よく、ただでくれるところもあるが。

 

目標とその途中に達成したこと 

この関係は物においてのみ成り立つ話ではない。

物事を成し遂げようと目標を定めて、それに向かって邁進していく中で、

気づいたら何かを生み出していることが時々ある。

そして、それに気づくこともあるが、気づかないこともある。

あるいは、気づいても私たちはそれを有効活用できていない、もしくは次のステップにつなぐことができていない。

 

当初の目標を主産物と例えれば、その途中で達成して得たものを副産物と呼ぶべきなのだろうか。

言えることはその副産物と言うべきものは、決して価値の低いものではない。

豆腐の場合のおから、あるいはそれ以上に価値のあるもの、自分にとって武器となり得るものである。

 

英語を勉強する場合

英語を勉強するにあたり、

「英語でTOEIC 900点をめざす」

という目標を定めたとする。

仮に、日々英単語を覚え、文法や言い回しを勉強し、耳で英会話を聞き取れるようになって、最終的に目標を達成したとする。

おそらく、その時点では、ある程度英語の論文は読めるようになっているだろうし、ある程度はネイティブと会話ができるようになっていると考える。

さらに、英語力を活かしてビジネスに活用することもできるわけだ。

これらは、主産物の延長にあるものであろう。

 

一方で、自分の英語の勉強の仕方が間違っていなかったとして、ほかの言語を学び始めることもできる。

また、語学の勉強の仕方をスキルとして身につけたことで、そのノウハウをアウトプットすることで、「語学勉強」というジャンルでビジネス展開できるわけだ。

これらは、副産物として考えられる。

 

主産物の延長については、容易にすぐに気づく。

しかし、後半に挙げたものについては気づかないと、それを有効活用できない。

ひょっとしたら、英語を勉強して活用したで終わってしまうかもしれない。

 

副産物がニッチなものであれば、その価値は高い

 

意外に調べてみると、すでに誰かが先にやっていることもよくあること。

その一方で、誰もやったことがないことであれば、非常に価値が高い。

あるいはただ単に、その深く調べるという行為を、自分がしていなかっただけかもしれない。

 

主産物を掘り下げて極めることがタテの動きであれば、その副産物についての自分の知識を広げてスキルの幅を大きくするはヨコの動きである。

自分の専攻している分野外の本を読んだり、異業種と連携したりするのも、副産物への気づきの第一歩である。

 

新庄選手の話

さて、先日の新庄の話に強引に戻すが、

彼は目標である日本プロ野球復帰を達成できなかった。

それはファンからしたら、それは非常に残念なことである。

 

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しかし、頭のいい彼はおそらくそれだけに終わらないような気がする。

もちろん、メジャーリーグに挑戦するとか、独立リーグで1年間がんばって来年のトライアウトに再挑戦するとか、そういう話もあるだろうが、まあ無理な話だろう。

独立リーグは可能性としてあるだろうが、彼自身は自分の野球は終わったと宣言している)

 

彼が今回のプロ野球復帰をめざすということが主産物だったら、その過程で得たもの、つまり副産物って何だったんだろうと、私なりに考えてみた。

 

①健康、体力・筋力、そして体型

もともとそれほどたるんだ生活を送っていたわけではなかった。

彼はバリ島でモトクロスとかもやっていたとか。

もちろん、インスタグラムでプロ野球をめざす宣言をしたときでも、それなりに体型は整っていた。

決して不摂生な生活を送っていたわけではないと思われる。

しかし、宣言後、彼はものすごいストイックに体を鍛え始めた。

実際トライアウトでちょっと前までプロで投げていたピッチャーの球を打ち返しているくらいである。

バットを振る腕力およびそれを支える上半身、さらにはふんばるための下半身をしっかり鍛えないとそれはできないだろう。

当たり前だが、三段腹のオッサンよりも全然健康な肉体と体力を手に入れたことは確かだ。

 

さらに、筋力で覆われた体は、もともとの恵まれた身長に加え、体に素晴らしいシルエットに作り上げた。

それを活かして、ツイートなんかをみると、すでに某ブランドのモデルのような仕事もしている。

 

②野球の技術(スキル)と指導

今回トライアウトに際して、もともとの師匠である柏原元阪神コーチや青山学院大学陸上部の原監督、それから専属トレーナーらと行動を共にしていた。

昔のような若い体ではない。

自分の体を作っていくために、いろいろと試行錯誤をしていたはずだ。

彼自身も、しっかり自分の体やトレーニングの知識を持っていたと思うが、

周りのアドバイスにもきちんと耳を傾けていたようだ。

そこで得た知識は、今後自分が後輩を指導する際に、絶対に役に立つものであろう。

それを活かして、例えばパーソナルジムのトレーナーをやったりすることがあるかもしれない。

あるいは、プロが無理でも、どこかのアマチュアチームの監督やコーチをお願いされるかもしれない。

 

③テレビに出たり、本を書いたり

自分の存在が観客動員につながると、彼自身もアピールしていた。

それだけ多くの人が注目していた今回のトライアウト。

 

新庄選手のテレビへの露出は増えていたし、SNS界隈でも盛り上がっていた。

当然プロ野球選手になれなくても、周りが放っておくわけがない。

テレビ出演はもちろん、本の出版なども今後考えられるだろう。

 

それだけでなく、今回の注目度からすると、いわゆる広告塔として野球とは関係ないどこかのメーカーやブランドから声をかけられてもおかしくはないだろう。

 

まあ、このように今後のビジネスにつながるような副産物は、いっぱい得ることができたと考える。

(正直自分はこれぐらいしか思いつかなかったので、自分の創造性のなさにはつくづく嫌気がさす。)

 

果たして、新庄選手がこのように副産物についても考えながら、トライアウトを受けたのかどうかは定かではないが、実際はどうだろうか?

今後の彼の動向に注目である。

 

転んでもただでは起きないというのは、まさにこのことだろう。

おじさんに勇気をくれた、新庄選手ありがとう!

13日の日曜日に、新庄選手のインスタグラムに衝撃(?)のニュースが流れた。

新庄選手が、日本プロ野球への復帰を断念したそうだ。

(正確には新庄元選手になるのだが、自分はリスペクトして新庄選手と呼んでいる)

 

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やはり無理だったか、残念!

選手として厳しかったのか?

48歳という年齢、体力の衰え、そして14年間のブランク、やはりすべてに無理があると、各球団に判断されたわけなんだろう。

「いや、新庄選手を獲れば、お客さんは入る。」

そういう意見もあると思うが、現役で歯を食いしばって必死で首切られまいと頑張っている選手がいる中で、彼が入団したせいでそのうちの一人がグラウンドに立てなくなってしまうことを考えると、そう安易に獲得に動くべきでないということは、容易に想像がつく。

ましてや、シーズンを通して今の体でやっていけるのか。

彼自身もトライアウトが終わったその日は、4時間近くズボンを履いたまま寝てしまったというくらい疲れていたそうだ。

これでは、翌日試合があっても、しっかり戦える状態にあるとは言えないだろう。

(もちろん、彼のことだからそれなりに体を作ってくるのだろうが...)

 

コーチならいいんじゃない?!

では、コーチとしてやっていけばいいではないか、という意見もツイートされていたが、これも難しいかと思う。

たしかに、守備に関しては天才的だし、いまだに肩の強さは健在だったが、人を教えるとなった場合果たしてどうか。

「天才=良い教育者」には、必ずしもならないというのは過去が示している。

もちろん、ほかのコーチとうまくやっていけるかということもあるだろう。

 

まあ、素人がああだ、こうだと言っても、所詮飲み屋での会話でしかないので、やめておく。

 

全国のオッサン世代にはすごく良い刺激に

しかし、この挑戦、全国のアラフィフ、オッサンの年代にはすごく刺激になったんじゃないだろうか。

 

もちろん、サッカー界にもキングカズこと三浦知良が53歳でがんばっており、それもすごい話。

だが、通年体を鍛えまくっている、ある意味別次元の三浦選手については、私たち普通のおじさんにとってはもう届かないレベル、雲の上の人という感じ。

こうなると、ひたすら応援しかない。

 

ところが、新庄選手の場合は2019年までバリ島で好きなことをして過ごして、全く野球をやっていなかった環境から一念発起して挑戦しようと決意している。

つまり、ほぼゼロの状態である。

そこから14年ぶりに体を鍛えなおして、野球感を取り戻して。投げる、打つ、守るをすべてこなしていこうという、野球を知っている人間からすると到底無理だとあきらめてしまうようなことをやろうとした。

もちろん、センスという意味ではやはり持って生まれたものはすごいけど、一応スタート地点は私たちと同じような場所にあったので、より身近に感じるのだ。

(さすがに、私みたいに三段腹ではなかったが(笑))

 

そして、テレビでも放映されていたように、トライアウトを受けられるところまで体を仕上げていったところがすごい。

ものすごい努力!

極限まで自分の体を追い込んで、いじめ抜いて鍛え上げていっている。

ダメだったら、バリ島に戻ろうとか、テレビ中心に活動しようなんていう感じではなく、バリ島の家も売り払い、カメラの前で野球に専念すると宣言してのトライアウト挑戦。

完全に退路を断って、自分を追い込んでいた。

強い意志をもって、自分の体を鍛えぬいているのをマジマジとテレビ画面を通して見させてもらい、自分のダイエットや断捨離、勉強がいかに甘っちょろいか痛感した。

(いやいや、それはまた別の話だが)

 

本気で何かを会得したいのならば 

最近読んだ本で、

何かやるにあたり、それをしっかりマスターするためには、それが自分の生活に関わるくらい危機に面している状態でないと、人間は本気でそのことに向き合うことはなかなかできない

とあった。

(何の本か忘れた、すみません)

例えば、語学を習う。

いざとなったら日本語でいいや、あるいは日本にいればいいや

という気持ちがどこかにあるから、本気で英語が上達しない。

あらゆる逃げ道を塞ぎ、英語に一極集中するような環境に自らを追い込むことが英語上達への最も近道なのだと考える。

仕事においても同じだろう。

「プログラミングの知識を身に着けて転職したい」

というような記事をよく見かける。

その際に、今の仕事は即やめるべきか、続けながら勉強してうまくいくようになってから転職するか、どちらがいいのかという議論はある。

この場合も同様で、

「今の仕事があるから大丈夫。うまくいかなければそのまま続けていよう」

とかそういう生半可な気持ちでは、いつまで経ってもプログラミングの知識は身に着かない。

たとえ、身に着いたとしても時間がかかるだろう。

もちろん、自分の生活がかかっているので即退職するというのは極端すぎるし、このコロナ禍において危険すぎるかもしれない。

しかし、自分には転職しかない、どうしてもプログラミングの知識をマスターして、システムエンジニアになるんだという強い意気込みで勉強した方が、より早く習得できるのではないか。

 

オファーのなかった新庄選手の言葉 

「1%の可能性を信じてやって来たが、今日0%になり、ただただ悔しいし情けない。身の程を知りました! 応援してくれた皆んな、サポートしてくれた皆んなに申し訳ない! しかしいくつになっても挑戦した自分に悔いはなし! みんなも挑戦する楽しさをわかってほしいなぁ! 短い1年だったけど応援してくれた皆さん、有難うございます。感謝します!!」

これが新庄選手の敗戦の弁だ。

 

トライアウトから6日目。

潔く負けを認め、後に引きずることはなかった。

むしろ、引きずっているのは自分の方だった。

いまだに、阪神の谷本球団本部長が内緒で、実は交渉しているのではないか、なんて考えてしまっている。

(ボーアについても然り)

 

またファンからしたら、もう数年早く気持ちを決めていてくれて準備を始めていたら、状況は変わった可能性はあるとも考えている。

ひょっとしたら、彼の雄姿を甲子園で観れたかもしれない。

戦力としては?だけど、バッターボックスに立ってバットを振っているだけで、華がある、そんな選手だから。

 

おじさんに勇気をくれた、新庄選手ありがとう!

睡眠を質のいいものに変えるためにしたこと

以前書いたように、睡眠が非常に大事だと気づいた自分は7時間、時間的余裕があれば8時間睡眠をめざしている。

 

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それだけまとまった睡眠時間を確保できれば、朝起きた時にベストパフォーマンスを生むことができる。

 

睡眠は自分の体に貢献している

また健康の面においても、睡眠はいろいろなところに貢献している。

しっかり睡眠をとることで、

  • 頭の働きをシャープなものにし、認知症になりにくくする
  • 頭から体への意識の伝達をスムーズにすることで、体のキレがよくなり怪我をにしにくくなる
  • 脳だけでなく、筋肉や内臓を休ませることで体内のメンテナンスを図ることができる
  • 過剰な食べ物の摂取を防ぎ、ホルモンの分泌により体を太りにくくする
  • 戦闘状態である交感神経優位な状況から休ませる副交感神経優位に切り替えることにより心の安定を保証する

何よりも長く健康で生きていくためには、しっかり脳も体も休ませることが必須である。

 

最近、自分の「睡眠革命」のためにやったことを挙げる。

(それほど大げさなことではないが)

 

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 部屋の窓にカーテンをつけた、そして耳栓も

実は今までカーテンなし(!)で、窓がむき出しの状態だった。

もちろん、自分の部屋は1階なので、外から人がのぞけないようにすりガラス状になっているので、これくらいなら朝日とともに起きることができるから健康的だろうと勝手に思っていた。

ところが、よくよく考えてみると、以前から夜中になんとなく物音と明かりで起きてしまうことがあった。

寝ぼけているせいか、翌朝には忘れてしまっているのだが、今回睡眠について考えていたら、それは睡眠障害の原因になるかもしれないと思うようになった。

実は、自分の窓の向こう側には、お隣さんの駐車場があり、どうやら深夜に帰ってくるときもあるようで、その車を駐車する音とライトの明かりで、一番深い眠りの時間帯に起こされていたようだった。

そこで、窓に遮光カーテンをつけてみた。

当然だが、たしかに部屋が真っ暗になる。

カーテンの隙間から少し明かりが入るが、それでもこれまでと雲泥の差。

ここ数日間、消灯直後に眠りの世界に入れている。

 

それから、音の遮断のために耳栓をつけることにした。

最初は、耳に何か入っていることで気になっていたが、2,3日で慣れた。

(まあ、それだけ疲れているのだろう)

 

目と耳のノイズを締め出すだけで、より深い睡眠状態に持ち込むことができた。

 

部屋の温度の調節をするようにした

12月に入って、明け方にすごく冷え込むようになった。

先ほども書いたが、自分の部屋は1階なので、夏は涼しくていいのだが冬はすごく寒い。

日中の体を動かしている間はそれでも気にならないのだが、夜はその冷え込みで寒すぎて目が覚めてしまうことが多くなった。

そこで、ふと昔聞いた話を思い出した。

いつだったか、大雪が降ってものすごく寒い冬のある日、知り合いの人が会社で寝泊まりしたらしいのだが、明け方近くに停電でつけていた暖房が切れたらしい。

もちろん、服は着ていて、薄手ではあるがブランケットをかけてソファで休んでいたとのことだったが、思い切り冷え込んだことで帰らぬ人となった。

体が冷え込んで、心筋梗塞になったということだが、まだ40代だったと聞いて、他人事ではなかった。

急激に体が冷え込むことで、低体温症になってしまう。

脳や体も機能が低下して、無駄なエネルギーを消費しないようになるのだが、心臓の機能も免疫系の働きも弱くなるし、もとの体温に戻すのにものすごくエネルギーを使うので、それだけでパフォーマンスがひどく落ち込む。

(低体温療法はメリットとデメリットがあるわけで)

 

暖房費をケチることで、その分自分の体を危険にさらすことはないし、朝起きるときに無駄なエネルギーの消費と極度のパフォーマンスの低下を招くことも必要ない。

 

ということで、起きる2時間前にタイマーで暖房のスイッチが入るようにした。

それから、明け方布団の中で縮こまっていることがなくなり、すんなり起きれるようになった。

腰を傷めやすかったので、布団の中で腰のストレッチをやってから起き上がることは相変わらず実践しているが、筋肉の冷えのためにギックリ腰になる可能性も減ったように思う。

(これまで何度か、朝起き出すときにギックリ腰になっていた)

 

当たり前に体にいいことが、変なケチ根性のためにできていなかった。

この歳になって、自分の健康のために投資をすることが大切だとあらためて感じたこの数日間。

 

というわけで、寝具にも最近興味を持ち始めた。

巷で話題になっている「KOALA」マットレスってどうなんだろう?

みなさん、知っていますか?